明日も暮らす。

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シンプルで暮らしやすい生活を目指しています。オンライン英会話(英検1級)と空手(黒帯)が趣味。大学院博士課程修了(人文科学)。2児の母。

3年前に亡くなった父のこと。父との別れは、突然に来た。

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*父が亡くなったときのことを書きました。

少しリアルな描写も出てきますので、苦手な方はご覧にならないようにお願いいたします。

 

 

 

3年前の8月15日のこと。

お盆真っ最中だったけれど、私は仕事で、作成しなくてはいけない重要な書類を抱えていて、出勤しました。

娘は保育園へ。

 

暑い夏の一日、娘を迎えに行って、夕方に帰宅して、

いつもより少し早い時間に入浴して、お風呂からあがった午後7時ごろ、着信がありました。

 

母でした。

 

 

いつになく取り乱した母が電話越しに、

「パパが取り返しのつかないことになった」

と言いました。

 

 

「落ち着いて、今どこにいるの?」

 

車で40分ほどの距離の大学病院でした。

 

姉には連絡がつかないというので、私から必ず連絡するから、と言って、電話を切り、

母から聞いた病院に直行しました。

 

 

夫は夜間の運転に慣れていないため、

義母が車を出してくれて、

まだ1歳になる前だった娘と、夫と私が車に乗り込みました。

このときまだ、「取り返しのつかないことになった」ということの意味が、飲み込めていませんでした。

 

 

さかのぼること15年ほど前、父は私が20歳のときに脳出血を起こし、

以来、半身不随でした。

それでもリハビリを続けて、杖をつきながらの移動はできたし、

多少の困難はあっても、普通に会話できていました。

その後、何回か、体調を崩して入院することがあり、

1年ほど前からは透析が始まったけど、むしろ透析が始まってからは調子がよかったように思います。

 

そんな矢先の電話でした。

 

病院に着くと、

救急救命センターのベッドに、父は寝かされていました。

 

 

あ、なんだ、一命は取り留めて回復中なのか、と思ったのは、

そう思いたかったのかもしれません。

スタッフの方が、バイタルを示すモニターのスイッチを入れて、

そこから出てくる電子音が一定なのを聞いて、

父は死んだんだということがわかりました。

 

 

父のベッドの横でうなだれる母がいました。

父が日ごろ飲んでいる薬を入れた箱を持ったまま。

 

 

どうしたの、何があったの、何時ごろ…?

そんなことを少しずつ聞きました。

 

 

 

父は夕食後に、母が作った白玉団子を食べていたそうです。

「こんなことで…こんなことで…」

「ごめんね、大事なパパを」

 

 

白玉団子を詰まらせて窒息し倒れ、

すぐに母が救急車を呼び、

いったんは心臓が動き出したものの、

戻ることができなかったようです。

 

 

父は食べることが好きで、

健啖家というか、食欲はいつもあったと思います。

食事は父の楽しみでした。

 

 

 

父との別れは急なものでした。

8月15日、お盆の日に。

 

数年前に他界した祖母が、お盆に父を連れて行ってしまったのかもしれません。

父のことが大好きだったからなあ。

 

 

つらい場面に、母を一人で立ち向かわせてしまいました。

倒れた父を一人で介抱し、救急車を呼び、同乗して。

その間に起こったことを一人で見させてしまいました。

 

 

このとき以来、母は白玉団子を食べません。

以前一緒に、近所のカフェに入ったとき、

母は私のお皿に、自分の宇治金時の白玉団子をすくって何も言わずに乗せてきました。

たぶんこれからも母は、白玉団子を食べないんだと思う。

 

 

 

数年経って、私が息子を出産した日、

呼吸が安定しなかった息子が搬送されたのは、父と同じ病院のNICUでした。

 

 

息子を出産して2日後の朝方、

夫から、

「赤ちゃんの肺から空気がもれていることがわかり、今お腹から空気を抜く治療をしています。赤ちゃんがんばっています。一緒にがんばろう」

というメールを受け取り、何も考えられなくなるほどに血の気が引きました。

 

処置がうまくいき、息子の状態は数時間で回復しました。

その間私は帝王切開の術後でベッドの上でひとり、何もできなかったけど、

たぶん、父が息子を守ってくれたと思います。

 

 

 

 

実家に飾ってある、遺影の父の写真は、

私の結婚式のときの写真。

父は目を赤くして少し泣いていました。

写真の中の、泣いた後の父の顔を見ると、

今生はもう二度と会えないということの意味を、改めて思い起こさせて、

ときどき愕然とします。

 

父に息子を会わせたかった。

娘の生後、初めて娘に会ったとき、

父は娘の顔を見て「優しい顔をしてる」と言いました。

息子の顔を見たら、父は何と言ったかな。

 

 

父は、自分の子どもには男の子が生まれると思っていたそうです。

ところが、姉が生まれ、3年後に私が生まれ、

女が立て続けて生まれて想定外だったようです。

息子が生まれたら、「大輔」という名前にしたかったらしい。

 

私の息子は「大輔」でこそないけど、

偶然ながら、

息子の名前には、父の性質を思わせるような一字が入りました。

 

今、息子は私の父に似てるといわれることが増えました。

 

 

父に似ている息子。

息子をお風呂に入れるとき、

祖母と父にも、こんな時間があったかなあと思います。

生後10ヶ月の父を、祖母はどんな風にお風呂に入れたんだろう。どんな風に呼んで、どんな風にお世話したんだろう。

 

祖母と父にもあった時間を想像しながら、

お盆を過ごしたいと思います。

 

 

 

 

・・・ここまで、先日書いて下書きに入れておいたのですが、

リアルタイムでは、珍しく風邪を引いてしまいました。

昨日の朝からトイレで動けなくなりました…。

今はだいぶ体調戻ってきておりますが、

皆様、体調管理にはお気をつけください。

 

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© 梅つま子