明日も暮らす。

明日も暮らす。

シンプルで暮らしやすい生活を目指しています。 2013年に娘を、2016年に息子を出産した2児の母。 教育関係の仕事に就いていましたが、現在は専業主婦です。

親は私をどう育てたんだろう。親にしてもらってよかったことを考える。

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ブロ友が次々と、印象的な記事を書きました。

  

 

「親にしてもらってよかったことって何だろう?」

この話題が出た場に、私もいて、

私には何があるかな…と、思いついたらメモを書くことにしました。

すぐに思いついたのが、

「ほどよく放任、無関心でいてくれた」こと

 

ところが、数日経ってもこれしか出てこない…!

 

放任だけか…!!!

 

メモをするだけだと本気で考えないので、

ちゃんと向き合って考えることにしました。

 

私が育った家庭はどんな家庭だったのか。

両親はどんな夫婦だったのか。

 

…うん、思いつきました。

 

この3つでした。

 

1.私の意思を尊重して自由に育ててくれた

2.お金の心配をさせなかった

3.独立しつつ、お互いを必要としあっていた夫婦でいた

一つ一つ書いていきたいと思います!

 

1.私の意思を尊重して自由に育ててくれた

学生時代、私は、今よりもさらにずっと失礼で生意気な娘で(涙)、

家族の状況をあまり省みることもなく好き勝手やっていたと思うのだけど、

両親は私を上手に野放しにしながら、よく育ててくれたなと思います。

たぶん、「言ってもこいつは聞かないだろう」と思ったのか…。

進学も就職も、やりたいようにさせてくれました。

こうしたほうがいい、ああしたほうがいい、という導きはほとんどなかったような気がします。(優秀な姉とは比較されて育った自覚がありますが…)

 

高校生のときのエピソードですが、東南アジアの3カ国を数日かけて見学旅行する企画に参加したことがあります。

これに参加するとき、親の意見を聞かず、何の相談もせずに参加を決めました。

結果、無事に行かせてもらえたのですが、「許してくれるだろう、旅費を出してくれるだろう」という私の思い込みがすごい。

 

姉いわく、「つま子は甘やかされた」みたいです。

姉は中学に進学するとき「運動部に入らなきゃだめ」というお達しが父から来てました。

中学校に入学した姉は、父の命に背くことなく、運動部に入っていました(人望が厚くて部長になってた)が、

3年後、同じ中学に入学した私には、運動部入部命令は下されませんでした。

たぶん私の運動神経をわかってたんだろう…。

というか、徒歩50分かかる中学に通ってさらに運動部って、私には無理だ。姉はすごい。

子どもがどんなか見極めるのを、両親は上手にやったということかな。

 

2.お金の心配をさせなかった

お金持ちだったのではありません。

「うちは貧乏だよ」「中の下ってとこかな!」みたいなことは、何回か言われたことがあるのですが、それだからといって子どもの進路を制限することはありませんでした。

結局、姉も私も私立の4年制大学を卒業したのですが、そんなお金、よくあったもんだ。

これって、両親の倹約の賜物なんだろうな…。

子どものころは、旅行やイベントなどほとんどなく、家族で新幹線に乗ったことはおろか、飛行機に乗ったことも一度もないです。

先日姉と母が旅行に行ったのですが、そのとき母は約50年ぶりに新幹線に乗ったのだそうで…。高校の修学旅行以来だったとか。

 

自営業で、休みもなく働いてくれたんですよね。

家の経済状況からみて、自分が私立大学を卒業できたのはすごいことで、

親の老後の蓄え大丈夫か、いやたぶんないだろ!と気づきました。

数年前、月数万円ずつ母に学費を返そうと思ったのですが、数ヶ月で「もういい」といわれました。たぶん、1学年分の学費にも相当していなかったと思う…。母よ、お金が必要になったときは、また改めて…。

 

お金の心配をさせなかったと同時に、お金の教育も受けておらず、今もって貯め方をわからない娘です…。

これからがんばらねば。

 

3.独立しつつ、お互いを必要としあっていた夫婦でいた

父は完全に趣味人の自由人で、趣味がたくさんありました。

お酒も煙草も競馬も麻雀も好きな一方で、アウトドア派でもあって、ボディビルやってて(ベンチプレスとかトレーニングマシン数台所持してた)、キャンプも好きでBE-PALとか山と渓谷よく読んでた(ん…?父は娘の進学のために倹約してたのか怪しくなってきた…)。

めちゃくちゃ器用で、独学でプロ並みの版画やら和紙工芸やらをマスターしてたな。

私が、自分の時間がないと呼吸できない感じになるのは、完全にこのあたりの父の気質を受け継いでいるな…。

 

母は、ひとりでいろいろ楽しいことを見つけては没頭する父に、結婚当初大いに戸惑ったみたいなのですが、

母は母で、生活の中に楽しみを見つける天才で、料理やら手芸やら独自のセンスでこなしていました。

私の本好きは母に似たと思われます。

私は静かに勝手に本を読む子だったので、姉が4歳で幼稚園に入園した後は、母はいつも私を図書館に連れ出していた気がする。(絵本を読んでくれた記憶はほとんどない…。勝手に読めスタイル。)

 

ふり返ると、両親には、自分の人生に熱中する方法を、後姿で教えてもらったと思います。

そのおかげで私も、どんなときでも自分の生活を楽しく面白くする方法があると信じていられます。時間はいつでも足りないくらいだし、退屈するかもしれないという心配はまるでない。

 

子どもには「勤勉であれ」とか「人の役に立て」とかいろいろ思っちゃうけど、

究極的には、自分の人生に退屈せずに熱中して生きていたら、

その過程でなんらか、誰かの役に立つことができるんじゃないかなって楽観的に思っています。

 

両親は特に際立って仲良し夫婦だったわけでもないと思うのですが、

特に父の晩年は、寄り添って生きてたなという気がします。

介護が必要だった父には、物理的に母の助けが必要だったのですが、

それ以上に精神的な結びつきが強かった。

 

 

…思いついたのは、この3つでした。

どれも簡単なようで、奥が深いような気がしています。

 

親はしなかったけど私はしたいこと

わかりやすい愛情表現

これに尽きる。

両親は愛情は示してくれたけど、わかりにくかった。

昭和の育児ってそんなものかもしれないけど。

■スキンシップしたい

■好きって言いたい

子どもたちったらもちもちすべすべなんだもの。

かわいい、好きって言いたい。

もちろんTPOはわきまえなければいけないし、ダルダルに甘やかすつもりもないのだけれども。

 

かわいがられて、愛されて育った、と子どもたちが自然に思えるといいなと思っています。

そういえばこんなこともかつて書きました。↓

どういう子に育てたいか。私が望むたった一つのこと。 - 明日も暮らす。

 

子育てチームメイトとしての母と姉

スミカちゃんがいみじくも書いているんですが、

あれ?私何も育児方針ないし父母のやってくれたこと何も活きてなくない?
と思ったら。わかったよ!その原因が

その恩恵をまだ受け続けているから

近距離別居の我が家はダイレクトにそれをまだ受け取っています。

 

そうなのそうなの、私もそうなの。

父こそ他界しましたが、母と姉は近距離にいて、常々育児にかかわってもらっています。

だから私も、結婚して家庭を持った身ではあるけど、実家の家族はまだ現在進行形で家族であり続けている感じです。

母と姉が、かつて私にしてくれたことを、祖母と伯母となって、またちょっと違う形で今度は娘と息子にしてくれてるんですよね。これはちょっと、わが子ながらうらやましい。

 

母も姉も、人として尊敬してます。

祖母、伯母となった2人から得るものもとても多くて、昔も今も、2人は私の学びの源泉なんですよね。

そんな2人が、わが子たちの「子育てチーム」に加わってくれてることは本当に心強くて、
私もついつい、末っ子気質丸出しで甘えにかかってしまうんだけど、
逆に言えば、私もまだ母や姉に現在進行形で返せることがたくさんあるということ。
親にはなったけど、私もまだまだ学びたいです。
 

24時間、親であるということ

親にいわれていやだったことや、こうしてほしかったと思うことも思い出せば出てくるんだけど、
両親が、私の親であることから逃げずにずっと育ててくれたことに感謝しています。
 
自分の親と比べて、私はイライラしたり、自分の気持ちで動いてしまうことが多いなと思います。
自分が今しているのはどんなことで、どんな意味があるのか考えて意味づけていかないといけないんだと思う。
 
ご飯を作ること。
これはだめだよ、と教えること。
一日ずっとそばにいること。
 
自分を犠牲にしていると思えることも、それが一周まわって自分の望みなんだと気づくことができたら、きっと今よりも笑って過ごせるようになる気がする。
 
 
 
のぼり坂のペダルを踏みつつ子は叫ぶ「まっすぐ?」、そうだ、どんどんのぼれ (佐佐木幸綱)
 
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