おはようございます。アフロの梅つま子、お久しぶりの登場です!
いきなり失礼しました!
アフロの梅つま子、実はブログに登場するの、2度目であります。
というわけで、今日の投稿は、昨日に引き続き、読書記録です。
今回読んだのはこれ!稲垣えみ子『寂しい生活』
稲垣 えみ子 東洋経済新報社 2017-06-16 売り上げランキング : 6734 |
朝日新聞を退職されて、節電生活を送られている、アフロヘアの稲垣さんの著書です。
以前も読んだ『魂の退社』の読書記録はこちら。
■稲垣えみ子『魂の退社』を読んで、私もアフロにしたくなりました。(前編)■
■稲垣えみ子『魂の退社』を読んで、私もアフロにしたくなりました。(後編)■
稲垣えみ子さんの著書を紹介するときは、私もアフロです。
なんでしょう、定期的に読みたくなります、稲垣さんの本は…。
背筋がぴんとして、「私は今どうしてここにいるのか」「何をしたいのか」を考えさせてくれます。
今回も引用しながら紹介します。
なお、太字やアンダーラインは、引用者(梅つま子)によるものです。
冷蔵庫を手放したときのくだりがよかった
本書では、稲垣さんが、ありとあらゆる家電を手放していく過程がつづられていくのですが、その中でもインパクトがあったのが、「冷蔵庫」を手放し、冷蔵庫の存在意義について考察しているところです。
稲垣さんの鋭い語り口に、わが身を省みました。。。
改めて、これまでの買い物を振り返ってみる。
冷蔵庫があれば、明日や、明後日や、はたまた1週間後のことまで視野に入れて買い物をすることができる。さらに冷凍すれば1ヵ月後まで見渡すことだってできる。
なるほど冷蔵庫とは、時間を調整する装置だったのだ。
我々は冷蔵庫を手に入れることで、時間という本来人の力ではどうしようもないものを「ためておく」という神のごとき力を手に入れたのである。(p.131-132)
冷蔵庫=時間を調整する装置…。なるほど!
確かに冷蔵庫に入れておけば、保存期間が長くなります。
私もそんな感じで、保存前提でモノを買うことがしばしばです。
でも、あまり考えずに買って、思考の停止に陥っているところもあると思います。
(ずいぶん前に買った、冷凍庫の中のカキフライ…早く食べないと!)
食べることに直結する家電である冷蔵庫。
冷蔵庫がない時代、食べ物を買うということは、今日食卓にのぼるご飯だったはず。
それが、冷蔵庫があることで、買ったものを、明日、あさって、しあさって、一週間後、1ヵ月後に食べることが可能になっています。
時間を調整するだけなら、まだいい。
冷蔵庫=思考停止のための装置になっているんじゃないか、我が家の冷蔵庫は。
とりあえず買って、とりあえず入れておいて、いつか食べるだろう、というあやふやなことを私はしている…。
冷蔵庫は、「食べる」ということを「生きていくための軸」ではなくしてしまったのだ。
(中略)こんな状況では、「食っていく」ことの骨格は見えなくなる一方である。
つまり「生きていく」こととはなんなのかが誰にもわからなくなっている。
「欲」と「欲じゃないこと」の境目がグズグズになっている。
そんな中では、自分にとって「本当に必要なこと」はどんどんわからなくなり、人はぼんやりとした欲望に支配される。
ただただ失うことだけをやみくもに恐れるようになるのである。
それが、今の世の中における「不安」の正体なのではないか。(p.145-146)
冷蔵庫の中身が、多ければ安心。
いつ食べるかはわからないけど、とりあえず買っておこう。そうやって買い物しているのは…他ならぬ自分なのでした。
長くなったので、後編に続きます。
後編はさらに切れ味鋭く、私はまたも「仕事を辞めて専業主婦になったこと」を考えさせられたのでした…!