明日も暮らす。

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シンプルで暮らしやすい生活を目指しています。オンライン英会話(英検1級)と空手(黒帯)が趣味。大学院博士課程修了(人文科学)。2児の母。

0歳で保育園に預けたのですが、仕事を辞めるので、おそらく今年退園になります。そんな立場で考えたこと。

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保育園落ちた日本死ね、の記事がニュースになっているみたいです。

私の場合は0歳で保育園に預け、仕事を今年半ばで退職するので、

保育園も退園になる予定です。

そんな立場で考えたことを書いてみます。

 

「保育園落ちた」の方が、これだけの苦境の中で、よくここまで自分の状況を書き綴れたなあ、って、私は実は感動したんです。

こんなに反響が大きいのは、表現は賛否あるみたいだけれども、この方の文章の力、実感のこもった筆の力だと思う。

だから私もそれに励まされて、書くことによって考えたいと思ったのです。

 

 

anond.hatelabo.jp

 

<保育園に入れて育休復帰するまでの気持ち>

私も2年前の今頃は、保育園に入れるのかどうか、気が気じゃなかったです。

結果、0歳児クラスに何とか入れたことは、運がよかったなと思います。

 

でも、入園=復職が決まって完全にハッピーだったかというとそうでもなくて、

育休を切り上げて復帰することにためらいもあったし、

忙しい職場で、休業中に業務がどうなっていたのかを知らなければならないし、

どんな仕事を任されることになるのか、それがこなせるのかにも自信がない。

復帰後の生活を考えたらつらくて、育休生活、全然楽しめませんでした。

 

 <復帰後の気持ち>

では実際、復帰してどうだったかというと、最初の半年は夢中でした。

出産しても働けるんだ!という高揚感、

社会に出て、居場所があるという安心感。

休暇を経て、再び職場の一員になれた自分に喜びを感じました。

通勤時間に一人になれて、本を読んだり居眠りしたりできるといった、出産前は当たり前にできていた小さなことも再び手に入れて、新鮮に感じ、とっても幸せでした。

 

でも。

「両立がんばって!」といわれるたびに、

「両方」を「立たせなきゃ」いけないの?

ときどきはどちらかに手を抜いちゃいけないの?

なんで子どもを持つ男性には「両立」って言わないのに、

女性だけに「両立」を強いるの?

と、イライラが募りだしたことも事実です。

 

 

また、娘の発熱で呼び出されたり、

風邪をひいて仕事を休まなければならないことが出たときは、

なんで私が休まなければいけないの?と思いました。

帰宅したって、仕事のメールは来るし、明日の仕事の準備があります。

仕事をしている時に膝にのぼってくる娘をおろして仕事をしました。

正直、家族なのに、敵のように見えてしまったことがあったと思います。

 

<今の気持ち>

仕事を辞めようとしている今、

”いずれ辞めることになる未来(=今のこと)” がわかっていたとして、

あのとき、保育園に入れなかったとしたら納得できるか?

と思うと、

・・・納得できなかっただろうなと思います。

 

 

保育園に預けて仕事を2年間やってみて、

この生活が持続可能ではないことと、

自分の人生に何が大事かが、わかったんです。

 

辞めたら今のポジションや待遇は二度と手に入らないだろうけど、

未練なく納得できたのは、

仕事をして苦しんだからです。

 

そして、流産をしたことが、大きな後押しをくれました。

今は言えます。家族が一番。

 

 

科学的にありえないことだとわかっていますが、

今おなかにいる赤ちゃんは、

流産した時と同じ赤ちゃんのような気がして。

今の生活が持続可能じゃないこと、このまま働いていても家族で幸せになれないことを教えてくれて、

「もう少ししたらまた来るね」

と言ってくれたような気がしているんです。

(そういうふうにして、生まれなかった命を身ごもったことに意味付けをしているんだと思います。)

だから何とかこの職場での残り時間を頑張って、無事に出産にこぎつけたいです。

 

<仕事を辞めるという決断>

もしかしたら私は、もっと仕事がしやすいような工夫もできたかもしれない。

・職場近くに引っ越す とか、

・家事代行サービスを利用する とか。

はたまた、

・離婚して、娘を実母に任せてしまう とか!?

半ば本気で、半ば冗談で、ありとあらゆる可能性を探ったけれど、そのどれも魅力的ではありませんでした。

結局は、やっぱり家族が好き。夫と一緒に、自分でもっと子育てにかかわりたい、子どもとの時間を持ちたいと思いました。

 

仕事を辞めるという決断は大きなことだったから、

辞めると決めた後で、実はちょっと揺れました。

辞めることを後悔する可能性もちらついて、ちょっと立ちすくんだ時があったんです。

 

結果、そんなこと、今、1ミリも後悔していない自分がいます。

やっぱり辞めることにしてよかったと、思っています。

 

いろいろありますが、今、納得できているのは、

あの時保育園に入って、仕事をして、もがいて、あらゆる可能性を探ったうえで自分なりの最善の選択だと腹に落ちたからです。

 

とはいえ、

仕事に没頭し、仕事における成果主義で邁進していた自分にとって、

子育てという別のパラダイムに価値を見出して、

仕事を辞めて別の人生を歩きだそうというのはとても勇気がいったし、

今だって、じゃあこれからどう生きるのか?、と言われたらまだよくわかりません。


 

小さい子を育てるというのは、不確実性の海に身を任せることだなと思います。

いつ具合が悪くなるかわからないし、何があるかわからない。

そして時間をくいます。

仕事も似たところがあります。

今のプロジェクトがどうなるか、業務がどうなるか、人事がどうなるか。先が読めないことにおいては、仕事も子育てに負けてません。

急な案件、急な会議。こちらも時間がいくらあっても足りないんですよね。

 

はっきりしているのは、今の職場で仕事を続けていたとしても、

二つの”不確実性のカタマリ”をハンドリングする能力は私にはないし、訓練で身についたとも思えないし、その過程の中で幸せになれなかっただろうな。ということ。 

 

<どうであったら、仕事を続けられたのか>

先日この本を読みました。

「育休世代」のジレンマ 女性活用はなぜ失敗するのか? (光文社新書)

「育休世代」のジレンマ 女性活用はなぜ失敗するのか? (光文社新書)

 

この本にある、仕事を継続している人の言葉にとても共感しています。

特に共感したところがアンダーラインです。

 続I:何時まででも働ける人と同じように競争して評価されるまで頑張るのは、すごくきつい。子どもを産んで、貢献していたい、社会とか組織に貢献している実感がほしいという気持ちが強くなった。でも、積極的に提案していこうと手を挙げれば、自分の首をしめることになる。だけど、それをしていかないと、貢献してる、という感じにならない。手を挙げることをしないで、淡々と代わりがきく仕事をやっていると、やりがいが分からなくなって、今、子どもを朝の7時半から19時半まで12時間預けてるんだけど、どうしてこんな思いまでして働いてるんだろう、と思う。(P.264)

 

加えて下の箇所も、自分の職場と照らし合わせても、そうだなあと納得しています。

男性論理に従うことができるケア責任のない女性のみが昇進し、そうでない女性は二級労働者扱いをされ、本人たちもそれに合わせた意欲の調整を行う。(p.294)

 

この本に出てくる登場人物がそうしたように、結局は私も、仕事への意欲を意図的に冷却したところは多いにあると思います。

仕事を続けられないから、仕事によって価値づけられる自分を最小限にして、育児する自分、家庭の一員としての自分に、焦点を当てようとしています。

 

その結果、今、子どもを産んでから、一番、子どもがかわいい、子育てが楽しいと思えている自分がいます。育休中よりもずっと子どもとの距離が近いと思う。

有限の人生の中で、新しい自分を発見できたことは、ほかに代えがたい喜びです。

 

でも、あえて、どうだったら働き続けられたかな、と考えると、そのヒントはこの中にありそうです。

仕事の内容は変えないことが、本人のモチベーションを維持する上で重要である。その上で、生産性なども含めた仕事の「質」で評価し、その評価に応じて高付加価値で成長機会のある仕事、能力に見合ったポストを任せることが、女性の継続・活躍には重要であると考えられる。(p.316-317)

 

理想を言えば、質は落とさずに、拘束時間の短い仕事ができたらいいなと思います。

それによって待遇が低くなるのは受け入れるとしても、それでも難しいんでしょうね。

職場の業務は、基本的に誰が担当しても回るスタイルにしないとならないのだから、それはしょうがない。

質と時間は直結するし、職場はどちらかというと、時間をささげてくれる労働者を求める傾向がある気がします。

そして時間を差し出してくれる労働者はたくさんいて、買い手市場なのですから。 

 

<改めて、今の気持ち>

今すごくすっきりしています。

流産を経たこともあり、やっぱり私は2人目の子供がほしいですし、

子どもを2人育てながら今の職場で働く自分の図は描けないです。

 

自分の進む道としては迷いがなくなったわけです。

 

 

まあでも、この結論を手に入れる過程で、すでにちょっと疲弊したかな…。

 

こんな風に自分で自分の退路を決めるのは、人生の中での初めての経験でした。

この決断をするまでにたくさん泣いたし苦しんだし、

もしかしたら辞めた後も、揺り戻しのように、もやもやした感情にさいなまれる日が来るかもしれない。

仕事を辞めて、じゃあ子育てがパラダイスかというと、そういうわけでもないこともわかってます。

これからはこれからで、また別のいろんなことがあるだろうなあ、とは思っています。

何かのタイミングでまた仕事を始めることもきっとあるでしょう。

 

 

ここまで書きながら思い出しているのは、

去年、カンブリア宮殿で放送された、千葉県の大里綜合管理株式会社のこと。

熱を出した小さいお子さんを連れて、女性の社員が出社していました。

こういう職場や新しい働き方のことも、これからもっと考えてみたいです。www.tv-tokyo.co.jp

 

私は今、おそらくちょっと疲弊しているけれど、

きっと退職して、自然な元気がわいてくる日が来ると思う。

そしたら何か自分の居場所を作るような活動にも携われたらいいです。

子育てだって、永遠に続くわけじゃないですしね。

でも今はまだかな。その時、考えます。

 

 

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