子どもを寝かしつけながら、”子どもを産んでよかったこと”を考えていました。
思いのほか「するり」と思いつくことがありました。
もちろんカワイイ娘が生まれて、母と娘という縁のもと、「こんなことやあんなこと」がありつつも、楽しく暮らせること自体がとっても幸せなことだな!と思いつつ・・・。
↓こんなことやあんなことの一端。
そして思いついたのが以下の5つ。
・夫とともに成長する機会を得たこと
・人のやさしさに触れやすいこと
・弱者になったこと
・子どもたちや広く生き物を愛せるようになったこと
・自分の身体に与えられた機能や時間を使いきれることに感謝できること
一つずつ、その中身を書いていきたいと思います!
夫とともに成長する機会を得たこと
この世で最も縁の深い人で、実に”他人”というところからスタートした夫、
この人と一緒に成長する機会を得たことがとてもうれしいと思います。
人並み(?)に私たち夫婦には産後クライシスもありましたが…。乗り越えてここまで来たなとしみじみ!
娘は生まれつきのママっ子で、私が抱っこしないと寝ないという時期もありましたが、
最近は「パパでもいいよー(*'▽')」「パパとあそぼー(*'▽')」という言葉も聞かれるようになり、
最近は仲良しぶりが顕著に。ますますこの父娘ペアから目が離せないです。
これから、教育方針や、生活をどうしていくか、いろんなことに悩むと思いますが、ここまでの日々を乗り越えてきた夫は戦友のような感じ。
娘にとっては、私たち夫婦が父と母。もともと他人同士だった私たちを父と母にしてくれた娘に感謝です。
人のやさしさに触れやすいこと
妊娠中から、電車の席を譲ってもらったりすることが多かったです。
妊婦時代や小さい子を連れているときにつらい目にあった、ということを聞く中で、私は今のところ運がいいことに、娘を連れていると、町の人がニコニコしてくれる場面が多いです。
娘がぐずっているときなど、見ず知らずの方に助けていただいたこともあり、ありがたい限りです。
実家の両親や姉とも、娘が生まれて新たな関係を結び直せた気がするし、娘は私にとって、世界のやさしさを見えやすくする装置のような、存在なのです。
弱者になったこと
上に書いたことときっとペアだと思うのですが、娘とともに生きるということは、弱者である自分を受け入れることと最近思います。
何だかんだ、私自身はこれまで「弱者」ではなかったのだと思います。
学校でも職場でも。
健康だったし、自分の時間をいくらでも使えた。
でも守るべき存在ができて、この小さい娘のために自分の身体や時間を使いたいと思ったら、これまでの自分のふるまいでは立ち行かないような感じになっていったんです。
人に何かをお願いしなければならなくなったり、自分から何かを率先して引き受けられなくなったり…。
今でこそこれは、生きていくうえでの前提として受け入れているつもりですが、これは自分にとっては、受け入れがたい、耐えがたいことでもあったような気がします。
しかし。何というか。30代の今、弱者である自分に出会えてよかったなと思うのです。
人はいつまでも健康でいられないわけですし。弱者である自分を受け入れることは、自分の成長にとって大事なことだったと思います。
子どもたちや広く生き物を愛せるようになったこと
私、子ども好きではなかったのですが。今では、街の子供たちがかわいくて!
園児の散歩に出くわしたりなんかすると、
↓こうなります。
(*´ω`)
かわいいな~。と愛でたい気持ちになるのですよね。
動物とか虫とかもかわいく感じます。
自分の身体に与えられた機能や時間を使いきれることに感謝できること
自分には貧乏性なところがあるんだと自覚していますが、
30代になった頃から、
「時間と体を”よく”使う」というのはどういうことかなと考えることが多くなりました。
それで、思い至ったのは、子どもを産み育てること以上に、自分の身体のもつ機能や与えられた時間を有意義に使うすべはないだろうなという思いです。
娘の出産の前に流産があったこと。逆子が直らなくて帝王切開で産んだこと。
いろいろあったけど、娘を産み出せたことはうれしい経験で、親やご先祖様に感謝する気持ちがわいてきました。
・・・つれづれにいろいろ書きましたが。
こんな風にでも思ってなきゃやってられないよ!という気持ちもあるのかもです。
昔は自由に行けたカフェや居酒屋、ちょっとした旅行に行けない寂しさも計り知れないしなあ~。(ノД`)・゜・。
でも!この人生、「子どもを産んでつらかったこと」より、よかったこと、うれしいことに目を向けて生きていきたいです。