朝起きると、洗濯をするのが日課です。
ある日洗濯機を回しながら、ふと思ったこと。
”洗濯と同じ熱量で、料理をできたらなあ。”
洗濯は、苦にならないのです。
朝起きて洗濯機を回し、干し、取り込み、しまうまでの流れを、日常の中に組み込めます(文字にすると、当たり前のことを偉そうだ…)。
が、掃除や炊事は比較的面倒に感じます。
特に料理。嫌いではないつもりですが、毎日のことになると、結構きついです。
そしたら先日、ツイッターで話題になっていた、料理における調理は氷山の一角、という例えの絵。
私としては、100%共感!まさに我が意を得たりというところでした。
川上未映子さんのエッセイにもありましたっけ。
料理というのは、そのほかの家事とまーったく異なるものなのだ。まったくぜんぜんちがうものなのだ。毎日誰かのために料理をするということは、冷蔵庫のなかになにがあるのかを把握し、買いだしの予定、週単位での献立の計画、会計管理などが全面的に関係していて、それがずーっと連続するものなのよ。そのつど料理して終わり、ではないのだよ。そして、疲れ果てて料理ができないときにも、惣菜や店屋物を食べたくないことだってあるのだ。お野菜を茹でたのとか、そういうのをさっと食べたいときがあるのだ。なぜそれをわかってくれないのだろう。(p.220)
料理というのは、本質的にほかの家事と異質だと私も思います。
私の実家はほとんど外食をしない家だったのですが、毎日淡々と料理を作り続けていた母、偉大だなと思います。
料理は「嫌い」ではないので、いつか実家の母のように、サクサクっと手料理を作れる人になることは目標です。
「作る」、というか、料理は、単発の行為のように見えつつ、昨日から今日へ、そして明日へ、と連綿と連続する行為だから、「作り続ける」ということなのでしょうね。
今の私は、料理が得意ではないので、道具に頼ったり、キッチンの整理整頓をせめて頑張っている段階、という気がします。
↓これとかも、思えばその一環ですね…。
お弁当づくりというのも、泳げない子のバタ足練習みたいな風情です。
今、得意ではないからこそ、頑張りがいもあるってものかな~。
いつかブログに、「昔は料理苦手だったんですけど、今は別に苦になりません!」とか、
書けるようになる日が、来るかしら。