この間のことです。
お友達と遊んでいた娘。
ちょっとお友達にぶつかられただけで、
大声で、「ごめんなさいは!?」
と言っていました。
まさかの、謝罪の強要!
私は、娘に「ごめんなさいは?」と言って育てているつもりはありません。
でもそういう言葉が出てくるということは、娘に無意識で言っているのかもしれない…。
本当に悲しくなってしまいました。
謝罪を強要するような発言をして、お友達にどう思われるんだろう。もう一緒に遊びたくないと思われちゃうかも…。
私のほうが先回りをして心配してしまいました。
このとき私は、「そんなふうに”ごめんなさいは?”って言われたら、こわいよ。お友達も、ごめんなさいって言いたくても、言えなくなっちゃうよ。」
と言いました。
今思えば、私はこの時、娘より、お友達のほうに立ってしまっていた気がします。
本当は、娘の気持ちに立って、代弁してあげるべきところだったと思います。
「急だったから、ちょっとびっくりししちゃったね。でも、お友達も、わざとじゃないと思うよ。」
とかなんとか…。
いろんなおしゃべりができるようになったとはいっても、
まだ3歳にもならないのだから。
母や周りの人にも相談してみたところ、
「(娘にも)”ごめんなさいは?”って言いたい理由があるんだと思うよ」
「これからほかの言葉も増えてくるから、別の表現になるんじゃない?」
「”やさしい言い方で言ってね”と言ってみては?」
とアドバイスをもらえました。
友達と一緒の時の言葉遣いについては、
以前、NHKの「まいにちスクスク」で扱っていたんですよね。
この番組をちょうど見ていて、ハッとした言葉がありました。
引用します。
ママはわが子を早くいい子にしたいという思いから、子どもが何もトラブルを起こさないほうがいいと思いがちです。
しかし、子どもはさまざまな経験やドキドキするような思いをするほうが、やがて人の気持ちが分かるようになります。
思ってもいないのに「ごめんなさい」を言わされてしまうと、子どもにとって自分の思いを押し込める存在が「友だち」ということになり、友だちなんかいないほうがいいということになりますよ。
この文章で、ああそうだと思いました。
私、娘がお友達との間でトラブルを起こさないほうがいい、と思っていました。
だからつくろおうとして、娘の発言をカバーしようと、いろいろ言いたくなってしまいます。
私は言葉を、
娘が社会的に不利益をこうむらないように、
未来に苦労しないように、
方便のように使っているところがあるんですよね。
でもそうじゃなくて、まだ言葉をうまく扱えない娘の気持ちを察して、
娘の言葉を代弁して拡張するような機能を持たないといけない。
ここで紹介されているように、
「ごめんね、びっくりしたね、でも素敵なものに見えたみたい」
「貸してもらえてうれしかったね、ありがとう」
が自然に言えるお母さんになりたいです。