クリスマスプレゼントの話です。
去年は、親があげたくて、娘もきっと喜ぶだろうものとして、
アンパンマンのブロックをあげたんでした。
↓娘気に入ってくれて、一時期は、お風呂にも連れてってました。
プレゼントっていくつかの類型に分けられるような気がします。
1.本人が欲しがるから買ってあげる
→我が家の場合、ピンクの自転車がそれかな。
2.親が買ってあげたいから買ってあげる
→これは、ピタゴラスプレートがそれにあたりそう。
成長に役に立つようなものとか。
3.必要だから買ってあげる
→「必要」の意味合いもいろいろだけど、
文具とか。まだだけど、ランドセルとか?
きっとグラデーションになっているんだと思います。
ピンクの自転車は娘がほしがったものだけど、親が買ってあげたかったものでもあるし、
ランドセルは必要だから買うけれど、おそらく娘の意向も少しは反映させるような気がするし。
ところで、この季節になると、
サンタさんをいつまで信じてたか、という話題になることがあります。
私今でもサンタさんを信じてます、といったらちょっとおかしな人のよう、ですが、「いないとはいえないよなあ」という気持ちでいます。
宇宙人がいないことを証明できないのと同じように、
世界は広いから、サンタさんがいないとは証明できないし、
慈悲深い目で、見返りなく、子どもたちにプレゼントを贈る、メタファーとしてのサンタさんのような存在の方だったら、ほんとにたくさん存在すると思ってます。
で、本物のサンタさんにせよ、メタファー的サンタさんにせよ、
おそらく非常に忙しいので、うちの娘みたいに、かわいがってくれる大人が周りにたくさんいる子のところには率先しては来られないだろ、と思います。
サンタさんは体一つで大変だから、もっと先に行かなきゃいけないところがある気がする。
だから親がサンタさんのメッセージを汲んで、サンタさん(博愛的に子どもを愛する、娘との血縁関係のない大人)なら、娘に何をあげるかな、と考えて、それを娘に贈りたいなと思ったのです。もちろん息子にも。
というわけで、
クリスマスプレゼントをどうするかは家庭によって千差万別だと思うのですが、
「サンタさん的視座で、今彼女に必要なものを与えたい」と思いました。
そんなことを考えていたころ、
夫と「プレゼント、どうしようね」
という話題になったのですが、
「教育的意義のあるものとかは絶対やめたほうがいいと思う」
と力説する夫。
「そんなの絶対面白くないと思う」。
がーん。
えー・・・!
まさに今、”教育的意義のあるものをあげたい”、って思ってたんだけど。まっこうからの反対意見・・・。
何だか、ものすごくダメージが。
自分自身の発想の狭量さを指摘されたみたいに感じる。。。
夫いわく、
『ドラえもん』で、のび太君が、クリスマスに、欲しくもない参考書をもらって可哀想だったというエピソードがあるらしく(本当にそういうエピソードがあるのか確認はしていないのですが)、
そのことがすごく夫にインパクトを与えたらしいです。
そんなわけで彼は、”本人が欲しがるものを買ってあげようよ”派みたいです。
うーむ。
食い下がって、思うことを言うと、
サンタさんはただただ娘がほしいものだけをポンとくれるようなプレゼントの与え方はしない気がするんだ。
欲しいものをあげるのは、”親”としての私たちがすればいいような気がするんだ・・・。
何が欲しい?と聞くのは誕生日とかほかの機会でもできそうだし、
クリスマスは親が子育てをふり返る日にして、サンタさんなら今の娘に何をあげたいと思うのかな、と、考えてみる日でもいいんじゃないの?と思ったんだよね・・・。
だから、参考書とまではいかなくても、
本人ももらって喜ぶようなものでありつつ、なんかちょっと心が豊かになるようなものはどうかね・・・。
でも何を言っても、
「そんなの絶対面白くないと思う」、と言われてしまうと、それもそうかな。
何か彼女の成長に役に立つものをあげたいと思うのは、やっぱり親のエゴというか、独りよがりなのか、はたまた私自身の考え方のセコさなのかな~。
思い当たるところがバッチリあるから、余計になんだか傷ついた~。(-"-)
やっぱりシンプルに、「欲しいと思っていたものがもらえた!」というのが、娘にとってはうれしいのかな。サンタさんもむしろそうするのかもな。
もうそんなに時間がないけど、もうちょっと考えてみます。