昨年3月末の退職から、そろそろ1年経とうとしています。
退職してからの私は、
家のことを整えるのが楽しいし、
裁縫や料理など、人として強化していきたい面や、
読みたい本や学びたい分野も見つかって、
「仕事辞めなければよかった」、と思うことはないです。
揚げ物するようになったし、
ミシン使うようになったし、
車も運転するようになったし。
以前の私に比べたら、ミラクルです。
↑こんなこと、働きながら実現していらっしゃる方、
たくさんいらっしゃると思うので、
いかに自分がダメ人間か、証明しているようなものですね(;'∀')
保育園激戦区に住んでて、
育休復帰でもない生後半年の子どもを預かってくれるあてもないし、
おそらく、しばらくは、どこかに就職することはないんだろうなーと思います。
それでも、
じゃあ今、どんな条件なら働けるかなあ。
と、あえて考えてみました。
・給料は高望みしない(そりゃ多ければありがたいけど)
・出勤日は週2日くらいがいい
・しかも急に休んでもOK
・何なら子を(ときには病児を)連れてきてもOK
・自宅に限りなく近い勤務地
・勤務時間は10時~15時くらい
・在宅勤務もOK
・・・とこんな具合になりました。
言うまでもなく、こんな職場はなさそう。
(;´∀`)給与面以外は。
定期的に収入が入る日々が、遠い。
めいっぱい大人とやりとりできる生活が、遠い。
社会人として感じてきた知的シゲキやヨロコビ(や定期収入)が恋しくなるときもあるけど、
それに引き換えにして失われる、家族との時間その他もろもろと天秤にかけたら、
家庭にいる時間が大事だし、私には必要なんだろな。
そして、
「社会人として感じてきた知的シゲキやヨロコビが恋しくなるとき」は大抵忘れているんだけど、
仕事をしているときには、莫大なストレスがありました。
返さなければいけないメールの数におびえて、よく眠れませんでした。
仕事をやめて、私の眠りの質もQOLも、格段に上がったというよりほかないです。
三浦しをんさんのエッセイに出てくる話なのですが、
『求められることと、したいことと、できること』が見事に一致しているひとが、完璧で幸せで輝くことができる人間なんだ、という説
『桃色トワイライト』p.280~
があるそうです。
黄金の三角形(ゴールデン・トライアングル)というものだそうです。*1
もしも、自分なりにも、
『求められることと、したいことと、できること』のトライアングルを考えてみることができるとしたら、
それは仕事上の、職業人としての私にではなくて、
家庭のことや生活に直結した、家庭の主婦としての私に、私の三角形はあるんじゃないかなと、
今、本気で思えるようになってきました。
これまでずっと、
職業人としての自分のほうが価値が高くて、
家庭の主婦としての自分はほとんど無価値だと思ってました。
主婦としても母としてもスキル低いし、ずぼらだし…。
自分の人生のこれまでの30数年の時間は、
職業人としての自分の価値を上げるために費やされてきた時間で、
生活者としての訓練を全然してなかったからなあ。
↓こんなことを書いたこともあったな。
退職はもったいなかったか。
私はもったいないことをしたのか。
得た資格とか、スキルとか、費用対効果とか。これらを全く考えないわけではありませんが・・・。
でも今は、ちょっとだけ言ってやりたい気持ちもあります。
「もったいない」のは、私の決断ではなく、
私を活用できない社会のほうだぜっ
・・・!щ(゚Д゚щ)
フー、ちょっとすっきり・・。
(;'∀')
何を言っても、「酸っぱいぶどう」っぽくなると思うんですけど、
でも思ったついでに書いちゃいます。
これまで、私にとっての「勉強」といえば、職業上のスキルアップのことが想定されてきたけど、
家事育児が、自分にとっての、切実な勉強だと、思えるようになってきました。
美味しい料理を手早くできること。
簡単な布小物なら自分で作れること、
散らかっていても家をササッときれいにできること。
メールの返し方とか、会議での交渉ごとに長けるより、こっちのほうが、
自分のしたいことだし、できるようになりたいんです。
もー負け惜しみでもなんでもいいや。
退職1年記念に、黒いものを出してみました(笑)(・∀・)
だって今のほうがずっと楽しいもんね。
これからも、ときどきイライラしながらも、笑って楽しく生きてやろう。
長いうえにお目汚しの記事になり、失礼しました。m(__)m
*1:このエッセイの中では、ゴールデン・トライアングルの達成者とは、「自分の築いたゴールデン・トライアングルの中心で、『俺ばんざい!』と叫ぶひと」「常人には無理」と結論付けられております。