明日も暮らす。

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シンプルで暮らしやすい生活を目指しています。オンライン英会話(英検1級)と空手(黒帯)が趣味。大学院博士課程修了(人文科学)。2児の母。

【断捨離】本を処分するのは難しい。

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はあ。

勢いよく、こんなこと書きましたけど…。

umet.hatenadiary.jp

本を処分するのに苦戦しています。

 

 

全部を一気に出して、「いる/いらない」の作業ができないものだから、

ちまちまちまちま、手放せる決意がついたものだけを抜き取っています。

 

いや、だいぶ減ったと思います。たぶん半分くらいは減った。

感覚としては、1000が500くらいになったような気がします。

(いろんな意味で怖いので、本の数は数えていません…。)

 

しかし、ある程度まで減った後が、なかなか減らない。

この停滞感は、ダイエットとか、語学習得にちょっと似ている気がします。

 

捨てにくい本というのは、私の場合、大きく分けると3つあるようです。

一つは、まだ読んでいないけれども、これから読みたい、まっさらの本

二つは、昔読み込みまくって、書き込みやらアンダーラインやら手あかがつきまくった本

三つ目は、実用的で、これから使うかもしれない本

 

まだ読んでいないけれども、これから読みたい、まっさらの本」のなかでも、

特に別れがたいのは、がっつり重たい哲学書とか。

そんなの一体いつ読むんだよ、と思いながらも、とてもじゃないけど手放せない。

 

これを手放すためには、ちょっとした、理想の自分の上書きが必要な気がします。

かっちょよく言うと、

”こういう自分になりたい”と願った自分像との決別なのかなあと思います。

「なりたかった自分」に未練があるのか、

もういらない。さようなら~、と、

ライトに手放せないんですよね。

こんな本読みこなせる自分になれたらかっちょいいのになー、

と思ってしまう。

そして、そうした古典的名著の価値は今後も変わらないだろうから、

家に置いといてもいいだろう。と思ってしまうので、

さらに処分しづらくなってしまうんですよね。

 

昔読み込みまくって、書き込みやらアンダーラインやら手あかがつきまくった本」は、

自分がどういう人間であったかの証拠みたいなもので、

物理的に、今の自分の近くに、モノとしておいてあってほしい、

と思ってしまいます。

もはやアルバム状態。

といってもアルバムほど手に取りはしない。

むしろ見返すと、青くさい自分の走り書きが、こっぱずかしい。

ただ、そこにあると安心な感じがするし、情があって捨てにくい。

 

これから使うかもしれない本」は、

割と簡単に「これは残す。必要。」と思ってしまうんですが、

よく考えると、その”これから”って、来るとしても5年以上あとだと思います。

この類の本に関しては、さらに、

「子どもたちが大きくなったら、こんな本を手に取ってほしい…」という夢見がちな思いも重なってしまいます。押し付けがましいな…。

よしんばいつか手に取ってくれるとして、そんな日はいつ来るのだろう…。

 

 

こんな考え方をしているようでは、ミニマリストには絶対なれないな。

 

何も考えずに、すべての本と別れても、

普通に暮らしていける気がする。

その一方で、一気にこれらの本を処分したら、

放心して、いったい自分が何者かわからなくなってしまいそうな気もする。

 

 

 

 

 

そんなこんなで、

昨日も今日も、たぶん明日も、

「これは…まあ、いらないかな…これは、ちょっとまだ手放せないな…」と、

ちまちまちまちま続けている気がします。

はあ。

 

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© 梅つま子