明日も暮らす。

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シンプルで暮らしやすい生活を目指しています。オンライン英会話(英検1級)と空手(黒帯)が趣味。大学院博士課程修了(人文科学)。2児の母。

育児で怒りが炸裂した日。「時間が解決」以外の解決を探したい。

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*ネガティブな内容を含みますので、読んだ方が不愉快になるかもしれません。

育児の記録として、「もうこんなひどい怒り方はすまい」という今の決意を記すために描いておきたいと思います。

 

 

 

朝。

5:30に目が覚めて、子どもたちまだ寝てる。

 

至福の時間が来たっっっ!!

ブログを書こうかなー。

とりあえず洗濯機まわしちゃって。

それから茶も沸かしておいて。

図書館で借りた本も読みたいし、

録画しておいた番組も見たいな。

 

 

そんなワクワクが膨らんだそのとき、

娘が「わーん!!!」と言いながら、泣きながら、リビングに飛び出してきました。

 

いわく、

「ママが隣で寝てくれなきゃいやだー!!」

 

 

 

…。

 

娘を寝室に連れ戻しながら、

「ママ、お仕事(=家事のこと)があるから。(ブログも書きたいし。)

隣の部屋にいるだけだから、大丈夫だから。

まだ朝早いからさ、もう少し寝てなよ。ね?」

 

 

寝室で添い寝を10分くらい。

寝かしつけに成功し、

またリビングに戻ってパソコンを開く。

3分くらい経ったか経たないか。

「わーん!!!」がまた始まりました。

以下、繰り返し…。

 

 

2回目に寝かしつけていたとき、

たぶん、娘は半分寝ぼけてもいたのでしょう、

「ママ、パンツはかせて。パンツ、お部屋から持ってきて…。」

 

 

今から思うと、別にたいしたことではないし、

普段なら、何のかんのとやり過ごしていた場面だと思います。

そうなのですが、なぜかこの日、

この時点で私の怒りが炸裂しました。

完全にキレた。理性吹っ飛んだ。

 

 

私は何を思ったか、

その辺に転がってた緩衝材(エアバッグというのでしょうか、プチプチじゃなくて、ビニール袋に空気が詰まってるやつ)を、

思い切り踏み潰していました。

 

 

鋭めのパーン

 

(早朝です。ほんとにほんとに迷惑だ。

冷房つけてたので2重ガラス戸は閉まってたけど、この音で目が覚めてしまった人がいたらほんと申し訳ない…。)

 

 

で、続けざまに、娘に対してちょっと耳障りの悪すぎるひどい叱咤をしました。

「あんたねっもうすぐ4歳…」

 

 

 

もうね思い出しても、頭痛がするくらい恥ずかしいんですが。

 

 

 

今は、こんな怒り方をしたことを反省していますが、

そのときは怒りが収まらなくて収まらなくて。

 

 

私、普段はキレることほとんどないと思うんですが、

いったんキレるとひどいということがわかりました…。

 

 

 

さらに恥ずかしいなあというか闇が深いよなあと思うんですが、

このとき、

仕事がしたい。と猛烈に思いました。

 

仕事=自分のしたいこと(私の場合)を大手を振って出来てたころは、

ここまでひどいキレ方をしたことがなかったなあ、と。

 

 

ああ仕事がしたい、

大人と話したい。

挨拶したり、事務連絡したり、書類作ったりが恋しい。

ミスをめぐって謝ったり謝られたり、

誤解をめぐって説明したり説明されたり。

もうそんなネガティブなことでさえ、大人同士のやりとりが懐かしい。

昼休みとか、仕事の合間のコンビニとかに至っては、

めまいがするくらい渇望している自分がいる…。

 

 

 

さらには、

隣の芝生が青くて。

 

 

私は自分の今の状況に満足しているし、

保育園辞めて結果的によかったと思ってます。

娘が2年保育の幼稚園に来年入園することも納得してるつもりです。

 

 

 

でも未就園児が2人いる生活って、私には結構きつい日もあり。

満足してる、よかったと思ってる、納得してるつもりだ、というすべてがぐらついて、

一気に、いろんな人がうらやましくなってしまった。

 

 

 

保育園に子どもを入れられている人がうらやましい!

仕事が出来て、かつ、子どもを保育園に見てもらえるなんて最高だー。

3年保育の幼稚園が近くにあったらいいのに!

3年保育+プレの幼稚園に通わせるのであれば、2歳から通わせられてたなー…。

 

 

 

自分でも思います。

いろんなひとのいろんなひとの状況や、苦労に共感のない、

もはや、言いがかりレベル。。。

 

 

 

すべて自分で納得しての選択のはずなのに、

急に自信がなくなって、

オセロの白が一気に黒く返されるような勢いで反転していって、かなしくてせつなくて。

 

 

もうなんというか感情の濁流が流れまくり、

ひとつひとつ、私の脆弱な思考力で積み重ねてきたいろんな結論がガラガラと崩れて、

怒りのやりどころがなくって、

でも、大人気ないキレ方をした自分のことも、みっともなくって情けなくて。

 

 

それでこの日は、

またこの勢いで、例の、本を処分しまくって少し落ち着くという、

全く直接的でない解決をしました…。

 

 

 

 

で、しばらく経って考察したのは、

育児直接の負担というよりは、

「自分のやりたいことが出来ないことが一番きつい」んだなと。

 

育児は育自だといわれている通りに、育児を通して、経験してきて学んできたことたくさんある。

でも、私はもっとダイレクトに直接的に育自がしたい。

仕事を通して、趣味を通して、自分の時間を自分のために使って育自がしたい。

 

たぶんこのあたりが本音なんだろうな。

 

 

 

来年、娘が入園すれば少しは楽になる。

だからもうしばらくの辛抱。

それはわかる。

でも私にとっては、今は今。

駄々っ子のようでどうかと自分でも思いますが、

”今はちょっと我慢”というのが、なんかぜんぜんしっくり来ません。

 

 

 

時間が経てばましになるということはわかっていても、

なんかもうちょっと違う話が私はしたいんだと思います。

 

 

 

前日、買っておいた雑誌に手が伸びました。

児童心理増刊 子育てを楽しめる親になる 2010年 02月号 [雑誌]

児童心理増刊 子育てを楽しめる親になる 2010年 02月号 [雑誌]

 

 

この本の中に、気になる一節があります。

人がケア責任に自分を埋没させていくとき、その担い手は主体性の放棄を余儀なくさせられる。他者によって定義される存在のみを生きることは、自己否定、自己欺瞞という深い精神的疎外を生み、自己実現をしていくのでなく、他者をコントロールし、その他者の自己実現を通じて、代理の自己実現をしていくことに結びつく (村本邦子「専業主婦の抱える問題とは」p.30)

 

「主体性の放棄を余儀なくさせられる」。

一番心に響きます。

 

 

 

子育て中心の今の生活の中では、

子育てというケア責任の中にどっぷり漬からざるを得なくなる感じがしてしまう。

そうすると、私という主体はどこにも行き場が無くなってしまう。

 

私は私で自己実現がしたいし、

娘の自己実現を通して自己実現をしたいわけじゃない…。

 

 

幼い子と母親が不可分であるということは、

体験を通してもわかっているつもりです。

 

子どもにわがままを言われて、

せつせつと「それはだめだよ、なんでかっていうとね…」と繰り返しても、

それでも言うことを聞かないときは、

「わかったよ!もう勝手にすればいいじゃん!ママは知らんよ!」

と言い放ってしまいたくなる。

でも勝手にすればいいなんて言ったって、

勝手にさせられるわけない。

いとおしい子が事故にでもあったらどうするよ。

一番傷つくのは私だし。

 

 

 

これも、時間という無敵存在が解決するパターンか。

やがて子どもが成長し、親を必要としなくなり。

 

 

 

なんか私はそれがすごく悔しい。

 

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