今日は、母方の祖母の話です。
母方の祖母は、今はもう鬼籍に入っていますが、編み物が得意な人でした。
晩年、出歩くことができなくなってから、祖母はとにかくたくさんの編み物をしていました。
母も、編み物好きの祖母のために、出かけると毛糸をたくさん買って、祖母に送っていたのを覚えています。
そして祖母のお見舞いに出かけると、昔ながらの衣装ケースの中に、それはもう色とりどりの毛糸で編まれたものたちがありました。
「好きなのあったら、持ってきな。」
と祖母は言い、私は、衣装ケースの中の一つ一つを吟味するのでした。
渋めのオレンジ色のスカートを選んで持って帰ってきたのは、10年位前のことでした。
スカートというよりはもっとごつくて、防寒具みたいな感じでした。
なので私は、スカートとしてではなく、頭からかぶって、首だけ出してポンチョのようにして、家の中での寒さしのぎに着ていました。
前に住んでたところは、隙間風で寒かったんです。
その形から、夫がスカートに「ゴン太」という名前をつけました。
(ゴン太は、一定の年齢以上の方ならご存知だと思われますが、某テレビ番組のあの子です。)
日常生活にゴン太という言葉は頻繁に登場しました。
「私のゴン太とってきてー。脱衣所にあると思うんだけど。」
「ゴン太貸してー」
このころ、狭いリビングで、夫とこたつに入って、二人で違うことをそれぞれにしながら、時間を過ごすのが好きでした。
夫も私も時間があって、いちばんがむしゃらにいろいろやってた時期に使っていたものでもあり。
モノ自体が、いろいろな思いを詰め込んでるんですよね。
ゴン太を見ると、2人だった生活のこと、その毎日のことを思い出せます。
当時は、それなしでは冬を越せないほど、ゴン太と一ずっと緒にいました。
でも、ゴン太をかぶったままだと、子どもを抱っこすることもできないし、ほとんど家事もできない。
生活スタイルにも合わなくなってきました。
そのことを直視しないまま、ここ数年は、クローゼットの中の棚に入れっぱなし。
すごく場所をとるし、ほこりっぽくもなってきて。
手放そう。
とはじめて思いました。
反対したのは夫。
「ゴン太、とっておけばいいじゃん」と。
(彼はモノを捨てないタイプの人です。)
でも、もう着ない。
これから子どものものも増えていくのに、こんなに場所をとるものを持っているべきだろうか。
そして気付きました。
そういえば、これ。特に、私のために編んでたものじゃなかったわ。
たくさん編んだものの中から、私のほうが勝手に「じゃ、これもらうね」といってもらってきたわけだった。
何か、自分で勝手に、おばあちゃんが私のために編んでくれたもの扱いして、必要以上に貴重品感を出してしまっていた…(笑)
おばあちゃんの思い出は、このゴン太だけではないです。
よし、処分しよう。
最後に、記念写真を撮ってもらいました。
それでは、ご覧ください。
これがゴン太です。(というか、ゴン太を着ている私です。)
ゴン太を手放して、しばらくは、「私、ゴン太手放しちゃったんだ…。」という気持ちが胸にいつも去来して、なんだか寂しい気持ちでいっぱいでした。
でもなんだか、今はすっきりして、おばあちゃんのことを前よりもよく思い出します。
よくタバコ吸ってたなとか。機嫌がいいところしか見たことないわとか。
遠方に住んでてなかなか会えなかったけど、会えばいつも楽しい祖母でした。
5人の子どもを産んだ祖母。いったいどんな母親だったんだろう。
末っ子の母のことは、やっぱり特別かわいかったんだろうか。とか。
あのゴン太を手放せたんだから。そう思ったら、苦手な断捨離も、進めていけそうです。
おばあちゃん、ありがとう!ゴン太はたくさん私を温めてくれたよ!