明日も暮らす。

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シンプルで暮らしやすい生活を目指しています。 2013年に娘を、2016年に息子を出産した2児の母。 教育関係の仕事に就いていましたが、現在は専業主婦です。

稲垣えみ子『魂の退社』を読んで、私もアフロにしたくなりました。(前編)

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情熱大陸を見てそのお名前を知った、稲垣えみ子さん。

稲垣えみ子(フリーランサー): 情熱大陸

 

その著書、『魂の退社』を読んでみました!

 

アフロと退職

たくさんの共感ポイントがあったため、本記事の引用は多めです!

なお、太字やアンダーラインは、引用者(梅つま子)によるものです。

将来は暗かった。

そもそも会社の役に立つような優秀な社員じゃなかったし、頑張ってもそうなれそうな気もしなかった。憂鬱であった。

(中略)

そんな時、ふと思ったのである。

そうだ、アフロ、しよう

(中略)

以来、人生は思いもよらぬ方向に動き始めた。

40台も半ばを過ぎて、まさかのモテ期が訪れたのである。(p.5)

 

こんな調子で、稲垣さんのアフロの謎が紐解かれ…もう冒頭から引き込まれる!

そのトレードマークであるアフロヘアー。退職と意外なほどの関係性があったことが、本編で語られます。

このあたりはぜひ、本を手にとって読んでいただきたいと思います!

 

今日はそんなわけで、つま子もアフロスタイルになってみますっ。

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会社を辞める=「もったいない」説

このブログでも話題にしてきた、会社辞めたことを言うと「もったいない」といわれちゃうよ問題。

退職はもったいない選択だったのか。 - 明日も暮らす。

 

稲垣さんにも、たくさんの「もったいない」発言が浴びせられたようです。

会社を辞めると宣言した時、周囲の反応は驚くほど同じであった。

まず言われるセリフが、「もったいない」。

え、もったいない?

な、何が?

答えは様々だったが、要するに、このまま会社にいたほうが「おいしい」じゃないか、ということのようであった。

(中略)

私はもう「おいしい」ことから逃げ出したくなったのだ。

「おいしい」というのは、実は恐ろしいことである。

たとえばおいしい食べ物、寿司やステーキやケーキを毎日食べ続けていたらどうなるか。確実に健康を害して早死にするであろう。

しかし、いったんこういうおいしい食べ物にはまってしまうと、なかなかそこから抜け出せなくなる

なぜなら、大きい幸せは小さな幸せを見えなくするからだ。

知らず知らずのうちに、大きい幸せじゃなければ幸せを感じられない身体になってしまう

仕事も同じである。

高い給料、恵まれた立場に慣れきってしまうと、そこから離れることがどんどん難しくなる。

そればかりか「もっともっと」と要求し、さらに恐ろしいのは、その境遇が少しでも損なわれることに恐怖や怒りを覚え始める

その結果どうなるか。自由な精神はどんどん失われ、恐怖と不安に人生を支配されかねない。(p.12-13)

「もったいない」という言葉については、この本の他の個所でも稲垣さんは触れていて、「もったいない問題」の根深さを感じさせました。

その「もったいない」の使い方って何かおかしくないですかね……。

「もらえるはずのもの」なんて、厳密に言えばあるはずもない。

給与とは、会社に貢献した対価として初めて受け取ることができるものだ。私に関して言えば、もう会社に貢献することができなくなったから辞めるしかなかったわけで、もったいないも何も、そんな人間に給料をもらう資格などそもそもあるはずもない。

それに、そこをもったいないと思ってたらそもそも辞めません!私にとっては、このまま何の役にも立てないのにずるずると会社にいる時間のほうが、残り限られた自分の人生にとって「もったいない」と思ったから辞めるわけで……。(p.122)

 

定番なんですね、辞めた人への「もったいない」は。

私もたくさんの「もったいない」を言われてきたし、

言ってしまったこともありました。

言ってしまった身としてふり返れば、

「もったいない」って、不安を感じるからこそ発してしまう気がしています。

自分とは異なる決断をして、離れていこうとしている人を見て、軽く脅かされるような気がするんだと思う。

え、そっち行っちゃうの?私はそっちは行く気がないんだけど、って。

だから、自分とは異なる決断をしている人を「もったいない」という言葉で軽く否定して、そっちをマイノリティ扱いすることによって、自分の考え方がマジョリティ側であり、普通である、としておきたいんだと思う。

自分のいるほうがまっとうで、順当であることを確かめたい気持ちから発せられる言葉なんじゃないか、って…。

 

自分について言えば、

私が誰かに「もったいない!」って言いたいときは、

自分だったらとるだろう道を、肯定してほしいからこそ言ってしまう言葉でした。

 

組織に所属していても、不安はみんな持っている

それは降りようにも降りられない列車でした。

というか、降りようなんて考えたこともなかったのです。

なんで降りなきゃいけないのか。

こんなにキラキラした生活をしているのに。

しかも何とかなっているのに。

しかしよくよく思い返してみると、その列車に乗り続けている自分に、そこはかとない不安のようなものも感じていた

どこまでやればいいのだろう。

いったいいつ「これでいいんだ~」と心から満足できる日が来るんだろう、と、ぼんやり考え続けていたように思います。(p.36-37)

 

慣性の法則が働いているかのように、

変化を恐れる気持ちが、私にはありました。

何とか今週もやれた。また来週乗り越えよう。

ぎりぎりで保っている、危ういバランスを崩したくなくて、必死でした。

 

定年退職まで私は頑張れなかったけど

ブログでどこまでリアルに語れているか自信がないものの、私も、会社員から専業主婦へのギアチェンジに、多少なりとも苦労しています。今も。

でも、去年退職していなかったとしても、ずっとなんとか働くことができていたとしても、会社員には、いつかは定年がある。

「何のために生きていくのか」という目標を失う苦しさは、はたから見る以上のものがあるように思うのだ。

それは我が身を振り返るとよくわかるのである。

組織の中で競争に次ぐ競争を繰り広げ、勝てばその分地位や報酬も得られるという「よくできたゲーム」を何十年も繰り返してきた身には、悠々自適の生活などというのは意外なほど魅力のないものに違いない。

それを思うと、「会社員」→「定年後」というのは、あまりに乱暴なギアチェンジのように思えてくるのだった。

(中略)

会社員をしていると、ややもすれば、バリバリ働いてバリバリ稼ぐことが人生の「華」でありもっとも輝かしい時代のように考えてしまいがちだが、そもそも人の一生に、表も裏も本番もオマケもあるはずもない。すべてがかけがえのない自分の人生である

(p.74)

 みんなどこかで、ギアチェンジは、いつか必要になるってことなのか…。

 

そしたら今私が感じてるギアチェンジの難しさは意味があるものなのかもしれない。

そしていつか夫や友達が職場を去るときに、先にギアチェンジを経験した者として、何か力になれるといいな。

 

…『魂の退社』の感想、まだまだ触れたいところがあるので、続編に続きます!

 

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