明日も暮らす。

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シンプルで暮らしやすい生活を目指しています。オンライン英会話(英検1級)と空手(黒帯)が趣味。大学院博士課程修了(人文科学)。2児の母。

けんか腰のママさんに初対面で怒られた話。母親同士はどんな関係を築けるのかな、と考えた。

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おはようございます。

梅つま子です。

 

もう何ヶ月も前のことなのですが、こんなことがあったなあ、と思い出したことがあったので、防備録的に書いてみます。

 

 

ある出来事

ある観光地の、ある施設で。

子どもが遊べるアトラクション的な機械がありました。

f:id:umet:20180611074412p:plain

こういうやつだと思っていただければ。

 

で、その機械は全部で3台くらいあって、娘がそのうちのひとつを使っていました。

3台はすべて埋まっていたけれど、混雑しているというふうでもなく、特に制限時間の設定があるわけでもなく、子どもたちがめいめいに遊んでおりました。

 

娘が1回終わって、もう1回やろうとしたところ。

後ろから怒声が。

「あの!!もう、一度やりましたよね?!替わってもらえないんですか?!」

相当なけんか腰で話しかけられました。

 

私ボーっとしていて、何が起きているのかわからず、怒りのにじんだ声に、敵意が私に向けられてることだけがわかって、ビクッとなりました。

(ボーっとしすぎ)

 

見ると、後ろに、ママさんと3歳くらいの娘さんがいて、並んでいたようです。

 

おお、すまん、やりたくて待ってたのね

え、1回で交代っていうルールがどこに書いてある?

あのー、使ってるの私たち親子だけではないんだが、なぜターゲットにした?

やっぱり私が一番へなちょこに見えたから?^^;

そこでなぜ怒るかな?なぜ穏やかに言えない?

 

という思いが、0.3秒くらいの間に去来し、でもママさんが怒りのまなざしでこっちを向いているので、あまりじっくり考えていることもできず。

 

娘がまだ、そのアトラクションに熱中しているのを確認しつつ、

「マイちゃん、待ってる子がいるみたい、替わってあげよう!

 …でも向こうののお友達は、何回か使っているから、きっとそのうちあくよ!」

と言いました。

 

1文目は娘に向けた発話。

で、2文目は、怒りのママさんと、隣の台を使ってる親子に、「遊んでるのはわが親子だけではないぜ…。1回目で交代というルールも、どこにもないぜ…」というメッセージが、願わくば届け的な…。

…チキンで…すみません

 

まだ一度も遊べてない子を差し置いて、娘にずっと独占させて遊ばせたいという気持ちなどないのです。

機会は均等がいい。他の子が遊べないほど、独占しちゃいけない。

だから、

「え、1回で交代しなきゃいけないってどこにも書いていませんよ」

「遊んでいるのは私たちだけではないですよね」

とは言わず、替わります。

 

でも、いきなり怒りのかたちで言葉をぶちまけててくるのはどうか…。

そんなに私は、悪いことをしたのか。

私が一番聞きたかったのは、「何で怒ったように言うんですか?」だったかもしれないです。

普通に言えばいいのでは…?

 

私の前提

育児大変だよねえ、みんながんばってるよねえ、って思うから、見知らぬママさんとも私はなんだか勝手に、戦友感を感じているような気がします。

そんな私は、のほほんとして見えるのかもしれない。

 

ぼーっと見てたのがいけないのか、そうなのか。

いつ何時も目を配り、娘が楽しんでる後ろで、まだ遊べていない小さいお友達がいないかどうかに目を光らせ、遊べていないと知るや「娘よ!替わってあげようぜ!」と声をかけなきゃいけないのか。

 

そして、今回の事態にもいち早く気づいてあげて、

「(女の子に向かって)あ、やりたい?ちょっとまっててね。^^」

「(娘に向かって)マイちゃん、この子遊びたいみたい。替わってあげよう?」

って先回りして言えたらよかったか。

そこまで要求されたんだろうか。

 

そうであれば、私はボーっとしている人間で、そこまで気を配れなくてすみませんです。

でも自分には、かつても今もこの先も、そんな配慮のスキルはないぞ…。

 

じゃあ、どうすればよかったか

上記のとおり、私は知らないママでも勝手に戦友感を感じます。

特にわが子と同じくらいの年齢の子どもを持つママさんには、「ここまでお互いがんばりましたよね!」って感じが、常ににじみ出てしまう。

 

そう思うから、向こうが敵意をむき出そうが、感じがよかろうが、結局のところ返事は、

「あ、そうなんですか、じゃあ替わりますね」

しかないと思う。

「え、1回で交代しなきゃいけないってどこにも書いていませんよ」

「遊んでいるのは私たちだけではないですよね」は、思ってもひっこめます。

 

前もこんなことあったな

なんか同じようなこと書いた気がする。と思ってブログをさかのぼったら、

「スーパーの自転車置き場で知らないオバサン(60代くらい)に舌打ちされて凹んだよ」

という話が出てきました。

www.tsumako.com

 

これ、私の特徴なんだろうな。

誰かの悪意とか怒りとかに触れるのが、すごくつらい。キツイ。

打たれ弱い。引きずる。

そりゃ早々にワーママ脱落するわけだわ、と我ながら思う。

あ、でも!!空手始めたから、変われるかな!!

 

じゃあ、自分が同じ立場だったらどうするか

話は戻って、今回の事件。

もし私が、向こうの立場だったらどうだろう。

娘が遊びたがっている。

でも、残念。どの台も埋まってる、というような状況。

 

そんな場合だったら、自分はどうするだろう?

 

今の段階での、マイベストアンサーは、相手が1回は遊んだことを確認した後で、

「ごめんなさい。うちの子も遊びがってて、さっきから並んでたんです。すみませんが、替わってもらってもいいですか?」

と低姿勢で、なるべくにこやかに行くかな…。シンプルだけど。

あんまり交渉ごとが好きじゃないから、混んでたら別のところに行って、空くまで待つような気もします。

それで戻ってきてもやっぱり列ができてたら、言うかな。

 

「もう遊びましたよね?!」は、言われて初めて気づいたのですが、すごくドキッとする言い方でした。

会話の中で、知らない人にこちらの行動を指摘されて、注意されるってすごく居心地が悪い。

見られている・裁かれている怖さがあったんです。

自分の状況や、どうしたいかを伝えたほうが、相手は動きやすいなと思いました。

 

いざ、交渉する場面が来た

その後しばらくして、こんなことがありました。

子どもの室内公園みたいなところに行って、1台しかない遊具に、娘が乗りたがりました。

そろそろ、帰宅したい時間。

しかし、前には小学校3年生くらいのお姉さんが。

どうしても遊びたい娘。

その遊具は年齢制限はありませんでしたが、小学生くらいじゃないと扱いが難しそうだったし、あきらめれば?と促したのですが、首を振ります。

そうか、ここか。

ママさん相手ではないけど、ここであれをやってみよう、と思いました。

 

空ちゃんも、「それはきいてみないとわからない」って言ってるし。

 帰国子女の年長さんに大切なことを教わった夏祭り。 - Call me Iqo.Pls!

勇気をもらえるお話です。

 

「お姉ちゃん、遊んでるところにごめんね。この子、もうすぐ帰らなきゃいけないの。1回、替わってくれるかな?」

と言ってみました。

 

すると小学3年生くらいの女の子は…「どうぞどうぞ!」と快く替わってくれて、しかもそのあと、娘にそっと寄り添って、遊具をうまく動かせない娘をサポートしてくれるではありませんか!

 

ありがとう。

この光景を見たことで、あの時、知らないママさんに怒られた私が、時間差でものすごく慰められました。

 

いずれは子どもが、自分で交渉できるようになるといいな

後から思ったのですが、子どもが直接「替わってね☆」って言うのが、とげが立たない気もする。

娘に関しては、もう5歳なので、できるなら自分で交渉しておいで!と思ってます。

たとえば、娘が通う幼稚園のブランコは、そういうシステムがあるようです。

ブランコが使われていたら、使っているお友達に「かーわって♪」

かーわって、のイントネーションがカワイイ

を言い、そのあと10回数えて交代、みたいです。

 

そこにはいちいち、先生も出てきません。

乗りたい子は自分で言うし、間に先生が入らなくても、自分で替わってあげる。

 

そのへんの交渉は、大げさかもしれませんが「生きること」と直結しているように思います。

もちろんこれから先、親が出て行く場面もあるだろうけれど、基本的には自分で交渉したりされたりするようになってほしいと願っています。

 

何でこのことを書こうと思ったのか

上記の経験は、もうだいぶ前の経験のことです。

 

私は徳の薄い人間なので、怒りを差し向けられたらムカッと来るんです。

この話も、もう済んだ話なのですが、いまだに腹立たしいというか、あそこで何で私が怒られなきゃならなかったかな~と、今でも、チラッと思い出すことはたまにありました。

 

で。

話は唐突に変わるのですが、先日読んだ、クラタイクツさんのブログ。

「育児の先輩のクソバイス~後編~」と題されたブログで、先輩ママさんが新米ママさんにクソバイスとわかっていながら、延々とクソバイスを述べてしまい、収拾がつかなくなる…というお話です。

そこに、「それでも身を挺してクソバイス言おう」というメッセージがありました。

www.mamazero.com

先輩ママは玉砕覚悟でクソバイスするのが、”優しい世界”なんじゃないかなあと私は思っています。

とタイクツさんは書いています(太字強調はつま子)。

ここで初めて、前述の怒りママさんの一件が、腹に落ちたんです。

 

友達だろうが初対面だろうが、母親同士でやりあってもいいことないな、と。

 

ママさんの言葉の表層で、私は腹を立てたイラついたりするんじゃなくて、もっとなんか、大きな、優しい世界に向かっていけばいいのかな、と思ったんです。

 

私の出会ったイライラママさんが常日頃、知らない人にも怒りモードで話しかける、そんな人なのかどうかはわかりません。

子育てしてると、イライラしたりムカムカすることはあるから、たまたまつい、けんか腰になっちゃっただけかも。

 

真実がどっちかは、どうでもよくて。

知らないママさんとちょっとうまくいかなかったことを、私はそれほど気にしなくていいんだ。

「ママさんとの関係に玉砕してもいいんだ、誰が悪いって犯人探しをしなくていいんだ」

と思えたんです。

 

クラタイクツさんの「身を挺してクソバイスを言おう」の真意は、クソバイスを言い合う関係になろうということではなくて、その先にある優しい世界に、みんなで行けばいいのだ、っていうことだと理解しました。

 

さきほどのタイクツさんの記事からもうひとつの言葉を。

親しい関係性はなくても、そういう軽い支え合いみたいなのが当たり前の空気感がある団体だと、人間関係もすごく楽なのになあと、今は思います。

私は、人のイライラや怒りに触れるのがすごく苦手なので、今回のことも、私の記憶に強烈に印象付けられて、忘れ難かったのです。

でも、イライラをぶつけられても、「何で怒ったように言うんですか?」って言わなくていいんだな、と気づきました。

イライラママの怒りを、何でか私は買っちゃったけど、まあそれもどうでもいいことじゃないか。

まだ遊んでない子が、遊ぶことができたんだし。

 


 

私は、クラタイクツさんのいう「優しい世界」の中心にあるのは、子どもの笑顔かな、と思っています。

 

子育てしていると、自分の子だけが、健康に賢く、安全にスクスク育つことなんてありえないと、よくわかります。

同じ幼稚園に通う子もそうでない子も、同時代に一緒に育ってくれる子がいるからこそ、わが子が育つことができる。

 

私は、怒りながら人に話しかけるのを、「いいこと」だとは思わないので、そういうことをする人とは積極的に友達になりたくないです。

でもそれはそれとして、どんなママの子であっても、何か自分にできることがあれば、できる範囲で何かすればいいのかな。

イライラママのイライラを受ける日があっても…まあ全体的に子どもが笑顔なら…別にいいや!と思ったのでした。

 

ネガティブな感情を表に出して、ぶつけてくる人は、これからもずっと苦手だと思う。

でもそういうのは、鳥の糞が頭に降ってくるようなものだと考えて、これからも私は、ママとの関係の中で、自由に玉砕していってもいいかな。

もちろん、嫌な思いをするのは嫌だけど、「玉砕してもいい」って思えたら楽になったんです。

ママとの関係に一喜一憂するよりも、優しい世界につながることかどうかを、私は気にしたいな。

 

変なまとめですが、今の気持ちということで…。

 

今日もいい一日になりますように!

 

 

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