明日も暮らす。

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シンプルで暮らしやすい生活を目指しています。オンライン英会話(英検1級)と空手(黒帯)が趣味。大学院博士課程修了(人文科学)。2児の母。

佐渡島庸平『WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE. 』は、専業主婦ブロガーである自分の自己理解を進めてくれた一冊でした。

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おはようございます。

梅つま子です。

 

以前、『死ぬこと以外かすり傷』のレビューを書きました。

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実はこの本、2冊平行で読んでいたんです。

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一緒に読んでいた本は、これでした。

 

佐渡島 庸平 幻冬舎 2018-05-09
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ふたを開けてみたら、この2冊を平行で読んでいたことは「とても正解」 でした!

なぜ正解かというと、両方の本、ふたりの著者の理解が深まったと感じたからです。

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著者の佐渡島庸平さんは、講談社で編集者をされていた方。

現在は講談社を退社されていて、コルクラボというオンラインサロンを主宰なさっているそうです。

 

本書はコミュニティの構築・運営(佐渡島さんの言葉で言えば「編集」)について書かれた本です。

私は現在、専業主婦。

家庭や、PTAといった、妻・母親としての立場で”自動的に”属することになったコミュニティを除いては、積極的にコミュニティに属していないし、今後その予定もありません。

しかし、この本は思いがけず、自分が今取り組んでいることへのヒントをくれました。

具体的には、

「私はなぜブログを書いているのか」

「私はどこに向かおうとしているのか」

について考えることができました。

 

今日はこの本、佐渡島庸平『『WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE. 〜現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ〜 (NewsPicks Book)』をレビューします。

 

 

「私はなぜブログを書いているのか」、の答えになりそうなこと

ネットの中には、リアルにはない楽しさがあるから

ネットの中なら、自分が大好きなことについて、とことん話せる。

そんな風にとことん話せる楽しさを知ってしまうと、無理やりテーマを探しながら話すのは、かなり退屈に感じてしまう。

情報量が爆発して、人の好きなものは細分化した。

好きなものが同じ人とつながるには、ネットしかない状況だ。

(『WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE. 〜現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ〜 (NewsPicks Book)』p.51)

 

ああ、これは本当にそう…。

2018年は私にとって、「ブログは私の中の核となる習慣」、「毎日更新する」という意識でブログを書いてきた1年でした。

そして、ブログを書いているいろんな方たちと、リアルでも会うという経験をたくさんしました。

そうしたら、自分の中での「梅つま子」としてものを考え、発信するサイクルがぐんぐん回って、うれしいことに、かつてないほど自分の中に活気が出てきました。

その結果。

自分がいたい場所、一緒にいたい人を選べる場面では、「信じられないほど濃い時間、充実したやりとり」ができる喜びを感じられるようになりました。

一方で、そうでない場面では、残念なことに、「その場を持たせるだけの、内容のない話」をしている自分もいることに気づいてしまいました。

そしてそのことが、とても苦痛になってきました。

 

それでも、「ネットのほうが楽しい」と、物理的近距離の人たちとのつながりを切り捨てることはできません。

地域の人たちと、信頼し合える関係作りをするということも自分にとって大事な課題だと気づいたからです。

具体的には、近所のママ友は、特に育児の面で重要なサポーターです。

彼女たちの助けなしにやっていくことはできない、と結論しています。

 

「今から大学病院に行けますか?」と近所のクリニックで言われたとき、「娘の幼稚園のお迎えに間に合わなくなるから大学病院は行けません」、と言わなくて済んだのは、ママ友の助けがあったからです。

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急に子どもを見ててもらうことを頼める相手は、ママ友。

そして、ママ友が持っている情報は、私の育児を助けてくれるんです。

幼稚園のこと、小学校のこと、PTAのこと、予防接種のワクチンの在庫がある病院のこと…。

ネット上には何でもあるけど、住んでる地域のリアルタイムの情報は、ネット上にはない情報。

こうした情報をもってるのは、どこでもドアが要らないくらいの近距離に住んでる、ママたちなんです。

 

私はリアルのママ友には自分からは「ブログを書いてる」とカミングアウトしていません。

だから、ブログの中の人間関係と、地域のママ友との関係は重なりません。

ネットの中での「とことん話せる楽しさ」を追求する一方で、地域の身近なママ友とも、やっぱり意識的に「楽しく」つながっていきたいんです。

その「楽しい」の質は違おうとも。

 

そうじゃないと、「私は、意思を持って、自分からつながってるのか。それとも、意思なくつながれているのか」ということになってしまう。

意思なく、あるは意思に反して、つながれちゃってるような関係は、どんどん断捨離していきたいです。そして、楽しいものに置き換えていきたい。

 

ネットの世界で「梅つま子」として生きることが楽しいから、それがリアルライフに波及していると思う。

つま子

ブログを始めてからのほうが、私は自分のことが好きです

 

私はどこに向かおうとしているのか、の答えになりそうなこと

「安心・安全」と「熱狂」の間にいたい

死ぬこと以外かすり傷』の箕輪さんと、本書著者の佐渡島さんの、大きな違い。

それは、「安心・安全」の位置づけです。

私の理解では、箕輪さんの「熱狂」はすべての動力として位置づけられていると感じました。

「努力は夢中には勝てない」という方程式は、編集者に限らずすべての仕事に共通する。
目の前のことにどれだけ夢中になれるか。

熱狂できるか。

夢中の前ではどんな戦略もノウハウも無力だ。

(『死ぬこと以外かすり傷』p.162)

 

他方、佐渡島さんは、熱狂に先立つものとして「安心・安全」を考えていました。

僕は講談社という安全・安心な場所を捨てて、起業したように多くの人は思っている。

しかし、僕の中では違った。

結婚して家族ができたことで、社会の中での居場所を生み出すことができた。妻との関係は、僕に非常に大きな自己肯定感をくれた。

それによって、僕の心理的安心と安全が確保されたから、僕は挑戦してみようという気持ちになった。
(『WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE. 〜現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ〜 (NewsPicks Book)』p.155-156)

 

この好対照があったので、「熱狂」についてよりよく理解できました。 

私の考えも、「安心・安全」が熱狂に先立つと言っている佐渡島さんのほうに近いです。

安心・安全を無視して熱狂することはできません。

特に家族の問題をクリアせずに自分だけ熱狂することはできないです。不安でそわそわします。

 

話はそれるけど、この2人の「妻についての語り」は非常に好対照です。

 

↓それにしても、この記事の箕輪さんの、なんともいえない表情よ…。

kidsline.me

 

あえて、個人活動する。コミュニティに進まない意味

佐渡島さんがコミュニティ作りで思い描いているのは、

「安心・安全な場の構築→熱狂→コミュニティの信頼関係」

という展開でした。

 

佐渡島さんの考える安全とは「客観的に身の回りに危険がなく、危険があったときの準備ができている状態(p.161)」。

そして、安心とは「イメージがわくこと(p.162)」。

「熱狂を生み出すよりも、安全・安心の確保が重要だ」

「熱狂は絶対に必要ではある。重要なのは、熱狂の順番だ(p.165)」と書かれています。

信頼関係を築くと、プロジェクトが、うまく進むらしい。

 

他方、私。

コミュニティに属していないし、プロジェクトにも関わっていない。

今後、属する予定もかかわる予定も立っていない。

 

つま子

なぜこの本を読んだ…!

って感じですが(汗)

でも、そんな「コミュニティに属していない、プロジェクトもやらない人間」である私、この本を読んで気づいたことがあります。

それは、私は出会う個々人と、安全・安心な関係を目指せばそれでいいのだ

ということ。

 

私はいろんなやりたいことがあって、読書とか空手とか断捨離とか整理収納とかお友達に会うこととか、日々いろんなものに熱狂しているけど、熱狂は、あくまで私ひとりの熱狂です。誰かと共有するものではない。

つま子

つまり、個人熱狂です。

複数の「誰かたち」と一緒に熱狂することは、今の私の生活では、考えにくい。

考えられるとしたら、特定の「誰か」との熱狂。

個人と個人、ふたりの間の熱狂。つまり、個人熱狂。

この間の、がっちゃんとの対談みたいに。

 

そう、考えるとすごくシンプルです。

誰かとの間に、「安心・安全」を確保する。それは、熱狂を誰かと共有するときには必要。

でも、複数の誰かを想定していないから、その先をあえて考える必要はない。

つま子

コミュニティ作りをされてる方から見たら物足りないかもしれないけど、基本的には私は今、自分ひとりで行う作業に熱狂しているのかもしれません。

それでいい。

それで楽しい。

 

家事をし、育児し、ブログを書き。

筋トレし、本を読み、空手に行き。

私の生活には、コミュニティの入り込む隙間がないんです。

 

その他いろいろ、考えたこと

もう少し自分のことを書いていこうかな

このブログを書いている私の自己紹介はこちらに書きましたが、「もっと書いたほうがいいかな」と思うようになりました。

今後、自己紹介を書き足すか、また改めて自分のことを記事にしてみようかな。。。

自己紹介とは、ある意味、自分の物語を相手に聞かせることだ。

自分のことなど、相手が興味を持たないはずというのは、一見謙虚なようで、実はコミュニティにおいては自分勝手な行動だ。

自分がどんな人間かを紹介するのは、自己アピールではなく、その場にいるメンバーの安心のためだからだ。

 (『WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE. 〜現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ〜 (NewsPicks Book)』p.198)

私が好き勝手に綴ってるこのブログをコミュニティと呼ぶのはおこがましいけど、どんな人間なのかをもっと書いていくのは、自分自身の今後のためによさそう。

いわば、発声練習。

 

コミュニティを作るつもりはないけど、「誰か」には声を掛け続けよう

「誰かたち」は、今の私の生活には出てこないけど、「誰か」は、私はいつも必要としています。

だから、会いたいと思う人には声を掛ける自分でありたい。

メンバーの探し方については、 

■メンバー探しは直感でOK

■個別に直接連絡するときに躊躇しない人を選ぶ

と書かれています(p.182)。

つま子

これは参考になります!

ママ友に声を掛けるときなんかも、知らず知らずにこれを実践している気がします。

声を掛けやすい人ってやっぱりいる。

 

私が属したことのある最強のコミュニティは大学院のゼミ

私は大学院のゼミで、20代後半から30代前半の時期を過ごし、人間関係に恵まれてかなり濃い経験をしました。

自分より、少し年上の方々に囲まれて、信頼関係を築き、プロジェクトを成功させていく中で、自分自身もスキルアップを図る。

独り立ちして就職するまでの間、泣いて笑って学んで、たくさんの時間を過ごしました。

 

いや、今も?心のどこかでは、まだ、ゼミの一員のつもりなのかも、です。

発信することには意義があると私は信じています。

この価値観は、きっとゼミ生のとき、獲得して、まだ持ってるんだな。

どこかでまだ、ゼミ生のつもりでいるのかもしれません。

 

納品主義とアップデート主義

コミュニティを運営し始めて気づいたことに、「納品主義」と「アップデート主義」という考え方があります。

一度で完璧な情報を伝えるのが「納品主義」だとすれば、不完全でもまずは伝達し、そこから修正を加えていくのが「アップデート主義」です。

これまでは本や雑誌といったコンテンツはもちろん、一般企業の仕事のやり方に至るまで、ほとんどのシーンで「納品主義」がとられてきました。

当然、本は完成品を「編集し切る」ことが求められていましたし、企業では業務内容を一回で正しく伝えるために、綿密な会議の準備や根回しが行なわれてきた。

でもコミュニティに関しては、雑な形でも、みんながたくさん話題にしやすいような意思伝達方法にしたほうがいいのです。

合宿があるとしたら、日時や場所をビシッと告知するのではなく、みんなが「どこに集まるんだっけ?」と会話をして、その中で情報がだんだんと磨かれていくのが理想です。

(中略)

従来の「納品主義」の概念から抜けられていないメンバーは、「しっかりと情報を整理しないと伝えたくない」と感じて、長文を投稿してしまう傾向にある。

そのため、情報発信までの腰が重くなるし、相手からの返信ももらえず、あまりいいことはありません。

(『WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE. 〜現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ〜 (NewsPicks Book)』p.235-257)

ブログを書いている人間として、考えさせられました。

以前は論文を書いていた身なので、書くものは納品主義でしかありえませんでした。必要な情報は、その紙面に盛り込まなければならない。出来上がりのときに出来上がっていなければダメ。改稿のチャンスはありません。

(そして、論理の破綻のないように何度も遂行して作り上げた論文が、なーんの反響もないことはしょっちゅうでした。むなしい。)

確かに納品主義って、私にとって、あまりいいことなかった気がする。。。

 

でも、ブログは違う。

ブログを書いていると、書けることって「今日書ける最善」でしかなく、後からもっといいアイディアが出てくることもあるある。

だからがっちりしっかり情報を盛り込んでいくよりも、あっさり軽くアップデートしていくのがいいのかなあ。と。

(といいつつ、今日のブログもこんなに長くなってしまったわ。^^;)

 

終わりに

最後にこの言葉を。

インターネットは、個に力を与えて、自由にするところがすごいのです。

自分がどんな人間なのかを理解して、それを世に発信していく。

それを正確に、繰り返しできた人は、 いい人、いいコミュニティとつながって、成長していける。

すごくシンプルな時代がやってきていて、自分を正しく理解することが、今まで以上に求められているといえますね。

(『WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE. 〜現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ〜 (NewsPicks Book)』p.250)

コミュニティに属する予定もない私だけど、このブログは、私を、今までいた場所から、もっといいところに連れ出してくれたなあと実感しています。

これからもブログを続けていったら、いいことあるかな?

 

 

ブログを書いてる専業主婦である私。

私の、「こうしよう、こうしたい」の確認が、この本を読んだら、サクサク進みました。

■これからも、ネットの世界で楽しく書き続けていこう(アップデート主義で)

■でもリアルのママ友との関係も大事にしよう

■一人の熱狂だっていいじゃない

■集団に属するのは、今の自分の生活では考えにくい

■でも、「誰か」 に声をかけてつながり、誰かと熱狂を共有することはあるかも

■そのときには、お互いの安心・安全を大事にしよう

■もう少し自己紹介しようかな

 

今年も、ブログが楽しく書けそうです^^ 

今日もいい一日になりますように!

 

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