おはようございます。
梅つま子です。
某大学に勤めていた私ですが、3年ちょっと前に退職しました。
大学に勤めていた、というと、さぞかし安定していたのだろうというイメージかもしれませんが、私の雇用形態は任期の定めがある形だったので、一般企業で言えば、いわゆる契約社員的なイメージでしょうか。
退職してからは第2子の出産、育児が始まり、専業主婦の道を歩み出しました。
そんな私が今思うことを書いておきます。
今思ってること
立つ鳥跡を濁せばよかったな
このブログでも何度も書いてきたように、「辞めなきゃよかった」とは一度も思ってません。
辞めようとしていた私に、今の私が声をかけるなら「まあ、辞めるしかないよね」っていう感じです。
心身ともにもう続かなくなったので、「病気になるのは、体が先か、心が先か?」秒読みカウントダウン、の状態でした。
しかも当時、おなかには息子がいた。
ただ、今思うと、「この先もお世話になる業界だから、穏便に、キレイに辞めたい」とそのことばかり考えていた気がします。
結果、今となっては、元の業界に戻るつもりはないので、
「疎ましがられてもいいから、最後にもう少しあがいてから辞めたら?」
と言いたい気はします。
私が仕事を続けるために、というよりは、後進のために。
若い研究者が、子育てしながらも仕事ができる環境を整えるために、一石投じられたのでは?と思うのです。
妊娠・出産をする人が、今ちょっと助けてもらえるような制度。
そして、少し子どもが手を離れたら、「今度は自分が若手を助けてあげよう」と思えるような制度があったら…続けられてかもしれないから。
それは、在職しているからこそ発せられる声、届く声であって、辞めた今となってはもう届かない。
まあでも、そのときの自分は、さっきも書いたけれど、マジで病気になる5秒前みたいな状態だったので、今の自分がそれを言ってもしょうがないのですけどね。
子どものせいではない。だけど、子どもが生まれて、「自分」というものがさらにはっきりしてきた
私は、「辞める選択をしたことを、”子ども”のせいにしたくない」という思いが強すぎた気がします。
自分が立ち行かなくなったことを、子どものせいにしたくなかった。
もともとの自分の性質(非バトルタイプ)のゆえに辞めるのだと思いたかったし、思っていました。
今、なるべく冷静に、客観的に考えても、「子どものせいで辞める」、というのはちょっと違う。
それよりは、「子どもが生まれたことで、自分の本来の性質や能力が明らかになったんだ」と思います。
今思うと、辞めるにいたった背景は、
・自分の性質・状況(急な変化に対応できない、客観的な判断力が弱い)…4割
・職場の環境(家から遠い、人間関係シビア)…3割
・仕事の性質(持ち帰り仕事、緊急会議多し)…3割
って感じですかね。
仕事ができなくなったのは子どものせいではない。
むしろ、子どもが生まれて、もっと自分の特徴、「らしさ」が出てきて、それが「ここではもう働けないな」につながった。
自分の、無理ができない性質、ディフェンシブな面がより顕在化し、強化された。
そして、弱者である子どもを守っていくために、子どもをケアする時間を死守するために、仕事に向き合う時間や熱量の比重が下がっていきました。
私は犬の世界に住む猫だったよ
就職する前は、大学院での学業がさほど苦労少なく進んだこともあり(たぶんそれが仇となった。もっともっと、ゆっくり時間をかけるべきだったな)、
自分は優秀なほうなのでは?
という幻に、自らつつまれに行った気がします。
そして仕事を辞める段になって「自分が優秀ではないから、辞めるしかないのだ」というストーリーに切り替わってズドーンと落ち込んだたけど、なんてことはない。
元から私は優秀ではないのでした。
たとえていえば、この世界は犬のためにつくられた犬たちの世界で、私は、「犬だと思い込んでいた猫」だった気がします。
職場は、犬の中のエリートたち。
犬レベルが過ぎて、ちょっと狼さえ入っているような、犬・オブ・犬たちの活躍する場でした。
猫である私が、何かのめぐり合わせで、犬の世界でしばらくやっていっちゃったけど、本来は私がそこに紛れこんでいたのが変だったんだと思う。
もっと人を信用して、頼ればよかったのかもしれない
話がそれにそれまくっているのですが、辞める前に私は「雇用された人が得る権利」をちゃんと行使すればよかったのかも、と今、思うのです。
上司だけじゃなくて、労働組合に相談してみるとか。
「降格でいいから働きたい」とは言ったのですが、そのほかにももっと、いろいろ言ってみるべきだったかもしれない。
辞める決断をしたそのときは、その職場での自分の未来が見えなさ過ぎて、もう、一気に職場から離れてしまいたくて、気持ちが先に折れたけど、何かできなかったのかな…。
違う部署とか、関連の機関でなら、働けたかもしれない?
犬の世界の猫だけどね、猫なりに…
ダメ元でいいから、もっと周りの人を頼ってみるべきだったかも、とも思うのです。
「言ってもしょうがない」
「働けなくなった私の能力が足りない」
と思っていたけれど、頼るべき人に頼ってみたら、案外、私みたいな若輩者には思いつきもしないアイディアがあったかもしれない。
そのときはそのときで、カウンセリングも受けたし、上司にも、恩師にも相談したし、持てるものはすべて使ったと思ったけど。
もしかしたら、まだまだもっともがき、あがけたのかもしれないです。
「職能」を伸ばす機会を失った
「辞めたい」、と言っている人には辞めさせてあげることが一番だと思える。
私も辞められて、辞めさせてもらえてほっとしました。
どうしたいのか、と聞かれたら、辞めたい、だったのだけど、今心をちくりと刺すのは、この言葉なんです。
それは、
職能
しょく‐のう【職能】の意味 出典:デジタル大辞泉(小学館)
1 職務を遂行する能力。
2 社会や組織の中でその職業が受け持つ一定の役割。
仕事を辞めるということは、その職業に就いていることで発達する私の何がしかの能力や、それによって社会に貢献しうる役割を放棄するということでもあったのだなあ
と今、つくづく思うんです。
あるひとつの職業について、その仕事の中にいることを通して、自分の能力を高め、性質を磨く。
それは、私の権利であったと思う。
もちろん、主婦という立場も、それはそれでひとつの職能なんですよね。
しかし、いかんせん主婦としての日々は社会から隔絶されているし、賃金はないし、年金は半分にしちゃうぞとか言われていますね。
はあ~。
いろいろ、気持ちの背骨がぽっきり折れてしまいそうなことは多々あれど、私は今は開業できて、ちょっとお仕事もいただけて、ブログという思いの丈をつづるスペースもあり、子どもを通して関われる役割もある。
職能については、残念に思ってるけど、あきらめてはいません!
「自分プロジェクト」というすばらしい概念を薄井シンシアさんから学んだので、自分の生活の中で実践するのみです。
専業主婦のその先へ
昨日、ブログ友達のもがきママちゃんが、すごく素敵な記事をアップしてました。
もがきママちゃん、「ママ解放活動家」になるんだって(もうなってるのかな!)。
ママ解放活動家として、「この世の中には、ママや専業主婦を苦しめる考え方が多すぎる!もっと自由になろう!もっと楽になろう!」と、決意されています。
具体的には、「だらしない育児の様子や飾らないリアルな一面をさらけ出していこう」と…!
わくわくする!いいぞ、もがきママ!
私も、一歩前に進もうと思い、ブログの副題、ちょっと変えました。
以前の副題は、「ワーママから専業主婦へ。シンプルライフ探しの日記」だったのですが。
開業したことで、純然たる専業主婦でもなくなったし、ワーママとか専業主婦とか超えて新たなところを目指したい。
「専業主婦のその先へ。2児の母、シンプルライフ探しの日記」にしてみました。
何がしたいのか、何ができるようになりたいのか。
そのために、何をしているのか。
その結果、どんな力が身についているのか。
誰にも聞かれることのない毎日だけど、改めて、意識していきたいな。
それはなぜかと言うと、下記の記事に書いたように、「子育てによって自分がどれだけ成長したかを、ほかならぬ子ども自身に知らせたい」からです。
自分が2ヶ月前に書いた記事を、読み返したところです。
うん、私、がんばろう。
専業主婦のその先へ…行けるといいな
▼退職によって、あるべきものを得ました。なくすべきものも手放せました▼
▼専業主婦とワーママは、互いに「すごいね」と言いがち▼
▼自分が幸せであることが原点なんだと思う▼
今日もいい一日になりますように!