おはようございます。
梅つま子です。
この数週間、いくつものイベントがありました。
遠足、娘の七五三、幼稚園のサークルの集まり、ハロウィン。
しかも子どもが二人とも風邪を引き、幼稚園や保育園もお休み。
ものすごく忙しくて忙しくて、ストレスがたまり、「ちょっと息抜きしないともうダメだ…」と思いました。
そして私が手を伸ばしたのは…アマゾンのタブレット、fireだったのでした。
見たのは、「バチェラー・ジャパン」
アマゾンのプライム会員になると視聴できるサービス、プライムビデオの人気シリーズ、「バチェラー・ジャパン」をご存知でしょうか。
プライムビデオ自体は、少しずつ見始めるようになったのですが、「バチェラー・ジャパン」は、ものすごくアマゾンが推している番組のようで、「これ見ませんか」とばかりに何度も画面にバナーが出てくるもので、
「そうか、じゃあ、見ておくか…」と軽い気持ちで見始めたのでした。
『バチェラー・ジャパン』(The Bachelor Japan)は、Amazonプライム・ビデオにて配信されている恋愛リアリティの婚活サバイバル番組。
ハンサムで社会的地位を確立している才色兼備の独身男性(バチェラー)の元に集まった25名の独身女性たち(シーズン2では、20名)が、バチェラーの心を勝ち取るためにゴージャスでロマンチックなデートをしながら過酷なバトルを繰り広げていく。
最初は、子どもたちの昼寝の時間でした。
それが、見始めたら止まらない。
よせばいいのに、シリーズ3まで全部見たんですよ…。
どこにそんな時間があったんでしょう。
ええ、寝る時間を削りました。
一人の男性を女性が奪いあうという構造
これは、見ていてツラい…と思いながら、現実ではあり得ない設定に、
「なんだろう、ここで起こっていることは?!」
と引き込まれて、結局はすべてのストーリーを追いかけていた私がいました。
バチェラー自身が「上品な番組ではない」(シーズン1の初代バチェラー、久保裕丈さんが言っていました)と言うとおり、やはり「上品さ」からはかけ離れている気がします。
何人もの女性との間で同時にデートを重ねていくということが、通常は到底ありうるものではないけれど、それが「アリ」になる(というかそういう番組である)状況下で、バチェラーは、女性それぞれと、言葉を重ねて真摯に関係を結ぼうとしているように見えます。
ここでは、「不誠実という誠実」という矛盾が成立するように見える。
番組の構造上、「君だけが好き」、「一番好き」と言えないセッティングのなかで、
「4人の女性に恋をしてしまった」
「2人とも愛しています」
というバチェラーの発言が出てきます(シーズン2の2代目バチェラー、小柳津林太郎さんが言ってました)。
こういう発言って、普通だったら、ただの二股(四股?)浮気野郎としか思われないのですが、この番組の設定からいったら、そうか、そのように言うことが誠実なのか。
この人の今の状況、今の立場に立ったらそう言うしかないんだろうなあ…。
などと、期せずして認識論に思いを馳せることになってしまった。
極限状態の中で、魅力が引き出されていく女性たち
バチェラーに出演する女性たちは、「売名」とか「やらせ」とかいろいろ言われているようですが、収録中は、女性たちはスマホも取り上げられ、自由に出かけられもせず、外界との接触を立った状態で共同生活を送っているそうです。
そのストレスはホンモノだと思われます。
そして、バチェラーから、次のステージに進める「ローズ」を渡されるべく、女性たちはどう行動するのかさまざまに考えて実行に移しています。
そのために自分はどう動くか、を考えるのも、ホンモノの心の動きだと思う。
各エピソードの最後に必ず行われるローズセレモニーでは、一定数のバラが用意されており、バチェラーが残ってほしいと思った女性の名前を一人一人呼び、バラを手渡していく。
バラを受け取ることができなかった女性たちは、その場でバチェラーと残ったメンバーに別れを告げ、直ぐに帰宅しなくてはならない。
言う、言わないの駆け引き
特に言葉の面では、「何を、いつ言うのか/言わないのか」の駆け引きが起こっていました。
バチェラーに寄せる好意や、自分の生い立ちや、過去に付き合った男性について、などなど。
言う/言わない、そして言うならそのタイミングをどうするか。
実は私は常日頃、「今はそのタイミングではない」を見極めるのが下手すぎるのです。
なので女性たちが、いい頃合いに自己開示していく様子に「おお…こうやってやるのか!」とたくさん学びました。
バチェラー・ジャパンは、
「好意的な関係を築くための、情報開示の適切なタイミングや方法とは」
を学ぶのにものすごく有益だと思いました。
戦友になっていく女性たち
そして、各エピソードの最後に毎回行われるカクテルパーティーでの、女性たちのふるまいに見られた個性にも学ぶことが多かった。
パーティ中に設けられる2ショットタイムでは、バチェラーと二人きりの時間を過ごすことができる。
2ショットタイムは、バチェラーが自ら女性を誘う場合と、女性がバチェラーに声をかける場合の2パターンがあり、バチェラーと女性の駆け引き、女性同士が牽制と邪魔をし合う本番組の見どころの一つ。
個人戦である、というか、1人しか勝ち残れないのだからどこまでもと個人戦でしかないはずなのに、同時に、なぜか団体戦の風合いも帯びる、不思議な番組、それがバチェラー。
カクテルパーティーの場で、女性が手を挙げて、全体に聞こえるようにバチェラーに質問している姿も。
これは…自分がバラを獲得するためにというよりは、全体のために問うているんだろうなあ、女性たちのなかでの役割も割り当てられたり、引き受けたりしているんだろうなあ、ということも想像できるような。
そして、偶然と必然の積み重ねで、戦友になっていく女性たちの姿には、心を動かされました。
エピソードごとに引き立っていく、女性たちの魅力
一般に、人っていうのは「許せないのは、どんなことか」に、個性が出ると思います。
だから、女性たちは、エピソードの中で起こるさまざまな出来事に涙したり、憤ったりします。
その様子を見ると、きっとこの人は責任感があるんだろうなとか、優しいんだろうなとか、姉御肌なんだろうな…とか想像できる。
美しさ、こらえ性、機転のきき方など、わかりやすい美点だけではなくて、鈍感さ、図太さ、切り替えの早さなども、場合によっては魅力になって見えるものも、いくつもありました。
ベースにあるのは、あくまでも「一人の男性を複数女性が奪いあう」というあられもない戦いなんだけど、その、気を抜けない戦いの中で、女性たちの魅力が引き出されていたのは事実だと思います。
終わりに~感情は保険がきかない
番組が、番組である以上、ある程度虚構の部分もあると仮定しても、感情自体は、生身の人間のものです。
選ばれたり選ばれなかったり、ということは、生身の心を危険にさらすし、痛める。
だから本気を出すとツラいし、でも本気を出さずには勝ち進めないという構造。
そして傷ついた心は、収録が終わっても傷ついたままだろうなと思うと、すごくいたたまれない。
それにしても、シーズン3のこの最終話を見たときは…。
頭の中にこの曲流れた。
第一級恋愛罪…。
視聴者として、この痛みに共感するからこそ、この番組はヒドいと思いつつ、でもどこか見ずにはいられないところがありました。
「品がない」、「人としてどうなの」という意見はすごくわかる。
でも私は「だから、私は見ない」と言えるような高潔な人間ではないようで、「ここで起こっていることは、いったい何なのか」と思いながらずっと見てしまいました。
そして最後に…MCの坂東工さんの魅力がすさまじいです。存在感と声の、圧倒的な。
坂東さんの、優しさと緊張感のあるたたずまいに、だいぶ救われたように思います。
シーズン4が始まったら…、きっとまた見てしまうような気がします
アマゾンプライムの恩恵を受けてます
▼おっさんずラブの新シリーズ楽しみだなあ…!▼
▼固定してたんですけどね。今は持ち出すことも多いです▼
▼fire TV stickはまだ買ってないです!▼
今日もいい一日になりますように!