おはようございます。
梅つま子です。
4連休。
4連休とはいえ、
ぱーっと遊べるわけでもない二児の母という身の上。
そしてコロナ禍という事情。
両手を挙げてイエーイ!と遊べるわけでもないですが、
せめて、「この4連休はこれをした」と思えること、何かしたいなと思って、
大好きな『千と千尋の神隠し』を見ました。
昔のブログを見たら、
3歳なりたての娘のお気に入りでもあったんですね。
アニメを見ながら語彙を増やしている様子も見られます。
「ぐっどらっく、って、最後まで頑張って、って?」
「おいでな、って、おいでのことかな。」
「こぶたってなあに?」
などと私や夫に確認しながら見ています。
私も以前から、この作品は「働く」ということをいつも考えさせられるな~と思って見ていました。
”働く”っていうことについて、私も考えを深められる大好きな作品です。
釜爺の「手ぇ出すならしまいまでやれ!」「気まぐれに手ぇ出して、人の仕事を取っちゃあならねえ」って名セリフだなあ。
だけど、今回全体を通して私が得たメッセージは、
「母親がうまく子どもを育てられなくてもいいんだ」
ということでした。
作中に出てくる「母親」は、
千尋のお母さんと、
湯婆婆のふたり。
どちらも、母親として優れているようには見えず、
子どもとの関係構築にむしろ失敗しているように見える。
千尋はハクや釜爺、リン、とのかかわりで、
坊は千尋とのかかわりで、本来の自分らしく成長していったように見えます。
子どもによい影響を与え、導くという点で、
ふたりの母親たちは失敗しているけれど、
このふたりの母親は「子育てがうまくできていない」ということに関して、
罰を受けていないんですよね。
親が子どもをうまく育て損ねても、それは、子がうまく育つことの失敗じゃない。
「どんな親を持ったとしても、
社会の中で、人とのかかわりの中で子どもが本来の自分らしさを獲得して、
大きく育つことができる」
というメッセージを、私は受け取ったのでした。
映画は、いつも、そのときに私が必要なメッセージをくれるように思います
今度、この本読みたいな。
スタジオジブリ/文春文庫編集部 文藝春秋 2016年03月10日頃 売り上げランキング :
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今日もいい一日になりますように!