明日も暮らす。

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シンプルで暮らしやすい生活を目指しています。 2013年に娘を、2016年に息子を出産した2児の母。東京近郊在住です。 大学院修了後、教育関係の仕事に就いていましたが、現在は専業主婦です。

「フキハラ」について、かつて不機嫌だった自分が思うこと。

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こんにちは。

梅つま子です。

 

ネット上で数日前から話題になっている「フキハラ」。

思うところがたくさんある記事でした。

www.huffingtonpost.jp

 

この記事には以下のように綴られています。

(太字強調は梅つま子によるものです。)

子どもが生まれてからのこの7年は、とても大変でした。

なぜなら、彼の不機嫌さのハラスメント、名付けて「フキハラ」に振り回されていたからです。

(中略)

朝起きると開口一番「疲れた、眠れなかった」と体調が悪いアピールを始める。

私が高いところにある届かない物をとってほしいとお願いすると「今やらなきゃだめ?」と嫌な顔をする。

外では優しいのに家では不機嫌な夫。「フキハラ」には声をあげて、夫婦で話し合おう。 | ハフポスト 

 

ツイッターやはてブには、

「何でもかんでもハラスメントをつければいいものではない」という反感や、

「わかる」という共感も。

 

いろんな人が、何かを言いたくなる記事なのだろうと思います。

 

 

ハラスメントの定義

ハラスメントは以下のように定義されているようです。

ハラスメント(Harassment)とはいろいろな場面での『嫌がらせ、いじめ』を言います。
その種類は様々ですが、他者に対する発言・行動等が本人の意図には関係なく、相手を不快にさせたり、尊厳を傷つけたり、不利益を与えたり、脅威を与えることを指します。

ハラスメントの定義 - 大阪医科大学`

「不快になった」という本人の思いがある以上、私は、これはハラスメントなんだと思います。

いじめと同じで、いじめる側は「いじめじゃない」と思っていても、いじめられる側がいじめだと感じたら、それはいじめになるのと同様に。

 

「不機嫌な態度をされることが苦しく、怖いと感じることもある。そして、この関係はハラスメントの加害者と被害者と同じだ」と。

外では優しいのに家では不機嫌な夫。「フキハラ」には声をあげて、夫婦で話し合おう。 | ハフポスト

 

「不機嫌」とは、何だろう?

家庭内のハラスメントに関しては、モラルハラスメント、「モラハラ」がまず疑われることだと思います。

上記の記事の新規性は、「不機嫌であること」を、「ハラスメントである」と言及したことにあると思いました。

 

 「不機嫌である」というのは、「上機嫌」に比べて、よくはないことは、誰もが認めることでしょう。

 

でも、上機嫌が美徳である、とは理解できても、

不機嫌がハラスメント、「モラルに反すること」であるとまでは、私は今まで認識できてなかったです。

 

私、この記事を読むまでは、「不機嫌」を、「コントロールできない負の感情」、あるいは、「不機嫌であることは、(しょうがなく認められてしまう)権利」「(あまり望ましくないけど)性格の一部」くらいに思っていました。

 

現代においては誰もが疲れているし、不機嫌にさせられがち。

そういう思いが、

「家の中でくらい、好きにさせてほしい」

という思いになり、行動になり、

相手にも、「これくらいは仕方ない」「我慢しなきゃ」という思いを強要するのではないでしょうか。

 

でも、不機嫌であることが、コントロール不可能なことだったり、権利であったり、性格の一部であるのなら、不機嫌である本人が不利益をこうむればいいんだけど、問題は、誰かが不機嫌であることによって、周りの人が被害を受けている、という構造にあると思います。

 

何を隠そう、私が不機嫌をまきちらしていた、「フキハラ」人間の一人でした!

大学生までは確実に、「私は不機嫌である!」というのを恥ずかしげもなく表明し、

主に母親に、尻拭いをさせていました。

 

いい年して、「疲れた」といっては、食器もさげず自分の部屋に戻り、

風呂の一つも洗わず、洗濯物のひとつもたたまず。

 

徒食の若きつま子。

「反抗期」という名を盾にして…。

(繰り返すけれど、恥ずかしい)

 

集団を維持する仕組み

ちょっと話がそれるのですが、

この記事を読んで、高校教員として着任した高校でのできごとを思い出しました。

 

どこの高校にもたいていあると思いますが、

私の勤めていた高校にも、「指定校推薦」というワクがありました。

いくつかの大学や短大が選抜枠をくれて、

高校側は、数名の生徒を「推薦生」として選抜し、

選ばれた生徒はほぼ無試験で指定の大学や短大に合格できる、という制度です。

生徒はあらかじめ、どこの大学や短大に推薦枠があるかを知っているので、

本人の希望を元に、主に成績や内申点で決められていました。

 

指定校推薦制度を使って、ある大学に入学しようとしていた生徒がいました。

 

しかしその生徒は、成績は基準を満たしていても、いわゆる(学校が求める)基本的な生活習慣というのがない生徒でした。

遅刻、校則違反などなど…。

 

教員の一人が、その生徒に言い渡す場面に、私は遭遇しました。

 

「指定校推薦が、どういう仕組みで維持されているかわかるか。

『つまらないな』と思いながら校則を守り、寝坊しそうになるのをがんばって遅刻せず学校に来る生徒がいるから、『この高校の子はしっかりしている。信頼できる』と認められて、指定校推薦がもらえるんだよ。

君はどうだ。

この仕組みを維持する努力をしたか。

そうではないのに、努力をした側の成果だけを、やすやすと手に入れることが許されるはずがないだろう

 

「仕組みを維持する努力をしなかった者に、その成果を手にすることは許されない」と伝える、

それは厳しい場面でした。

 

おそらくその生徒は、自分の素行があまりよくないことは自覚していたけれど、

進学は将来にかかわることだから、きっと大目に見てもらえる、と思っていたと思うんです。

居心地の悪い静寂がその部屋にあったことを、今でも覚えています。

 

私もその場にいて心が痛かったのは、

「集団を維持するための、構成員の義務」について考えさせられたからです。

そして、

自分も、ある集団に属していて、集団への貢献を大してしてしないのに、

自分が貢献した以上に、得たいと主張したり、

実際に得てしまったことがないかと、

考えさせられました。

 

今この出来事を思い出すのは、

「誰かが不機嫌である」というのは、集団が集団であることを、著しく阻害する要因だと思うからです。

 

子どもが、不機嫌はよくないと学ぶとき

他方で、不機嫌であることが許され、それを表現することが大いに奨励されている存在もいます。

新生児に代表される、乳幼児たちです!

 

かれらは、空腹になっては泣き、眠いといっては泣く。

そうして不機嫌の形で表明しなければ、容易に死んでしまうし、

何なら、不機嫌さをアピールして全力で泣く姿すらかわいかったりもするので、

「あらあら…(笑)」くらいに対処されたりもする。

 

乳幼児が成長し、

「不機嫌を表現するのは、よくない」

と体得するまでに、人は平均どれくらいかかるんだろう。

それまで、「不機嫌を表明することはよいこと」と認められていたのに、

「機嫌よくいる」ことが求められるなんて。

天変地異的な変化だよな…。

 

恥ずかしながら私は、

それを理解し、実践するのにものすごく時間がかかった人間のひとりだと思う。

 

しかし、

不機嫌を真正面から出すことを奨励された乳幼児時代が過ぎ去れば、

子どもというのは、集団に入って、集団の規律として、

「自分の機嫌は自分で維持しなければいけない」と、遅かれ早かれ、学ぶことになるわけで。

 

その学ぶ過程は、キツいものだと思うんです。

学校って、成長過程の子どもたちが集団で過ごす場所である以上、

教員や保護者がどれだけ努力しても、

どうしても理不尽なことが起こりうる場所だと思うから。

 

理不尽な目にあっても、

なんとか自分を維持するのって、大変なことだ。

 

だからこそ、子どもには、家庭はシェルターであるといいなと思う。

不機嫌が是だった日常から、不機嫌が非である日常へと足を踏み入れて苦労している子どもには、

自分の機嫌を自分でとる大切さとその技術について、

(できればなるべく早く確実に、)学んでもらいたい。

でも、それが大変なことだとわかるから、「機嫌よくいてよね」と家の中で強要することは、なるべくしたくない。

(自分の育ってきた状況からして、言えないというのもある…。)

 

で、それは、学校においても、社会においても、家庭においても同じことですよね。

みんなそこそこ、いろんな場所で、嫌な目にあってるんだと思う。

 

そういえば私も道を歩いているだけで嫌な目にあったよ…。

 

女性がいつもフキハラの被害者、ということではなくて

フキハラの記事を書いた伊是名夏子さんが女性なのもあり、「フキハラの被害者は、いつも女性なのか?」と問われてしまうところだと思うのですが、

当然、女性が不機嫌で、男性が被害をこうむる場合もあるでしょう。

 

実際、私がフキハラをやってしまったのは、

娘がいろいろな要求をしてきた朝、それをこなして何とか学校へと送り出した後、

夫が私に、

「何で怒っているの?」

と怒り気味に言ってきたことがありました。

 

こっちは!

なんとか笑顔で娘を学校に送り出そうと!

必死でいろいろがんばったんだよ!

それを何だ!今起きてきて、言うことがそれか!

 

とね…。

 

フキハラがフキハラを呼び起こして、不機嫌の応酬ですよ。

ああ、不毛。

 

でも、「私が不機嫌に見えることが、夫にも脅威で、ハラスメントになりえる」と知っていたら、

私は5分間くらいスマホもってトイレに閉じこもってドラクエウォークでもして、

ちょっと気分を立て直してから、夫の前に出る努力はしたかもな、と思います。

 

 

家庭以外の集団でも、フキハラは存在するのかもしれないです。

ただ、たとえば職場や学校などの集団で、「なんかあの人、不機嫌に見える=怖い」という理由で遠ざけられたとしても、

不機嫌に見えることで不利益を受けるのはその人であるなら、それほど問題がないのかも。

 

フキハラが主に問題になるのは、家庭においてだろうと私は思っています。

家庭の構成員である以上、その人の不機嫌も吸収した上で集団を維持しなければいけないのがしんどいですよね。

 

終わりに

主たる家計の維持者が父親で、

主たる家事・育児の従事者が母親である家庭の場合、

 

父親=不機嫌

母親=機嫌をとる

という役割が固定されるとしたら。

 

父親も好き好んで機嫌が悪い人になってるわけじゃなく、

もうしょうがなくてそうなっちゃうんだろうと思う。

日ごろ、職場で嫌なことなんていくらでもあるだろうし。

そもそも疲れているし。

家でくらいゆっくりさせてくれよ!じゃあどこで休めばいいんだよと言いたいでしょう。

そりゃそうだろう。ホントにそうだと思う。

 

でも、自分以外の誰もが機嫌の悪さをストレートに出していたら、

母親はどうなる。

家族としての屋台骨はどうなる。

 

基本的に子どもっていうのは気分屋だろうし、場合によってはかんしゃくもちだったりするし。

そういう子どもと日常過ごしているだけで、母親は大変なので、

ぜひともぜひとも、父親には、家庭を維持する側に回っていただけないか、と思うのです。

 

この記事を読む前までも、「育児は感情労働だ」というのはわかっていたけど、

「不機嫌がハラスメントであるからだ」というのには思い至ってなかったです、私は。

 

不機嫌はひずみなので、誰かに吸収してもらうことになってしまうんですよね。

私が若いころ、母親に、自分の不機嫌の尻拭いをさせて、のうのうと(ツンツンと)生きていたのを恥じます。

 

配偶者からの、そして子どもからの、

機嫌の悪さを一身に受けていたら、母親の精神は、近いうちに崩壊するよね!と思うのでした。

 

かつて不機嫌者だった自分を恥じて反省しつつ。

つま子

私も、自分の機嫌くらい、自分でとる方法を、全力で学んで、実践していきたいと思います!! 

若松英輔 NHK出版 2018年11月24日頃
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今日もいい一日になりますように!

 

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