おはようございます。
梅つま子です。
図書館でたまたま手にした本が、とてもしっくり来るものでした。
普段は、読み終わってからレビューするのですが、
この本は、なんだか読み終わってしまうのが惜しくて、
ずっとこの本の中の雰囲気にいたい気がしています。
ここには、ずっと私が聞きたかった言葉がある、と感じました。
事故にあったとか、事件に巻き込まれたとか、
必ずしも、人から見てわかりやすい悲しみの状況にいるわけじゃなくても、
癒されるべき人がたくさんいる、と感じました。
たぶん私も、その一人です。
何をはばかり、畏れて、自らの苦しみや悲しみをなかったことにしなくてはならないのか?
(『悲しみとともにどう生きるか 』p.8)
事件、事故を問わず、日常にあふれる悲しみを語ることのできる安心安全な場所は少ない。
(『悲しみとともにどう生きるか 』p.9)
自分が他者に何を教えられるかを人はほとんど知らないのだと思います。
(『悲しみとともにどう生きるか 』p.78)
私が自分の悲しみに向き合おう、口に出してみようするとき、
いつもそれをないがしろにする声があります。
「あなたの悲しみなど取るに足らない」
「あなたのように恵まれた人が、何を言うのか」
というような。
でも、私には私の悲しみがある。
私は毎日英語を勉強していますが、それは、やむにやまれず、という感じです。
悲しみに心を奪われすぎないようにするために、耳栓をしているみたいに英語を勉強しているようだ、と感じています。
英語の音や英語の文法に心をふさがれている間は、平穏でいられるからです。
「大丈夫か」
といわれたら大丈夫だし、
空手とかリングフィットとかやって、
元気に日常を暮らしています。
悲しい人には見えないはず。
それでも、ベースにはいつも悲しみがあります。
悲しみがある自分のために、手ごろなのが英語なので、
あてがっているものが英語なのでしょう。
じゃあ、何がどう悲しいのか、
何がどうなればいいのか…を自分でわかっているわけでもないし、
それを人に説明するのは、もっと違う。
そういう問題でも、そういう段階でもなく、
誰かにわかってもらって認めてもらいたいのではなく。
せめて、説明可能な自分でいなくてもいいことを自分に許していたいです。
そういう状態の私であることを私がわかって、
私が尊重できていればそれでいいのかなと思うのです。
こういう感じで、私には、
「ほっといてくれ」「そういう感じで生きさせてくれ」、
というようなニーズがあります。
「私の心の中に、無視できない悲しみがある」ということに気づいたこと、
それに向き合っていこう、と思えたことは、
おそらくきっと私の40代をずっと流れていく音になるような気がします。
この本のキーワードである「グリーフケア」は、
これから私がずっと心に留めておく言葉になりそうです。
今日のブログはいつもに増して妙ですが、
こんな感じが、今の気分です。
そういうわけで(?)、
今年、私が自分に贈る誕生日プレゼントは、英語辞書になりそうです。
来月の自分の誕生日に英語の辞書買おうかなと考えたらわくわくしてきた!英英にするか、英和にするか。和英もついでに買っちゃうか!電子辞書もいいけど、10年後を楽しみに使うなら、紙の辞書かなあ。悩む。
— 梅つま子@月経カップとシンプルライフ (@umetsumako) April 20, 2021
辞書ほどニュートラルな本はないと思うので、
今の自分にぴったり。
どの辞書を買おうか考えるという、楽しみもできました。
今日もいい一日になりますように!