明日も暮らす。

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シンプルで暮らしやすい生活を目指しています。オンライン英会話(英検1級)と空手(黒帯)が趣味。大学院博士課程修了(人文科学)。2児の母。

英語の名前を持っている話。

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おはようございます。

梅つま子です。

 

今日は雑談を。

私の、「英語の名前」について書いてみたいと思います。

 

さかのぼること約20年、大学生の頃。

そのころの私は、英語が専攻ではないものの、

そこそこ時間をとって英語を勉強していました。

 

4年生の1年間は、フィリピンのマニラに留学するのですが、

この話は、ちょうど留学を決めた頃だったと思います。

 

始まりは、ノリというか、シャレというか、

そんな感じだったと思います。

英語のクラスの友達と、

「自分たちも英語の名前を名乗ってみようではないか!」

という話になりました。

 

私の本名は、若干、日本語を母語としない人たちには発音しづらい音なのもあり、

何度も聞き返されたり、違う発音で呼ばれるのが、ちょっと厄介に感じていました。

 

そんなわけで、そのとき授業を受けていたアメリカ人の先生に、

「英語の名前をください!」とお願いしたように記憶しています。

確か、食事会か何かの場面で、

その先生も快く引き受けてくれました。

「そうね~!」とか言いながら、ものの数秒で、

私の本名とイニシャルが同じになる名前を選んでくれました。

「Tsumako」だから「T」をとって「Tina」、みたいな感じです。

ここでも仮に、Tinaとしましょう。

一緒に名前をもらった男の子は瞬くんといって、彼はSeanくんになっていました。

 

ノリと勢いで決めたわりには私はなんとなくその名前を気に入って、

その後、フィリピンに行ってからも、私はTinaで通していました。

レポートにもしれっと「Tina Tsumako UME」と書いていましたね。

本名をミドルネーム扱いにする…

 

英語の名前で思い出すのは、スタバでのことです。

今もそうかわかりませんが、当時フィリピンのスタバでは、

オーダーすると名前を聞かれ、

名前をカップに書かれるという習慣がありました。

(取り違えを防ぐため?)

 

日本人の友人はスタバに行くとおおむね聞き返されることから、

「ケン」とか「エイミー」とか、”スタバネーム”を持っていることも普通でした。

私は普段から、学校でもTinaで通していたので、スタバでもTinaでした。

 

そんななか、日本人の友達は「つま子をTinaとは呼べない。笑」とのことだったので、

「つま子ちゃん」と呼ばれていた気がします。

 

その後帰国してからは、すっかり出番のなくなった私の中のTina。

ほぼ20年近くのあいだ、「Tina」と呼ばれることなく過ごしてきたわけです。

ところが去年、オンライン英会話を始めることに決めて、

選んだ名前は、なつかしの「Tina」です。

私が英語を話すときにTinaになるのは、自分にとってはとても自然なことなんです。

そして今、再びTinaになる時間が増えてきたわけです。

 

オンライン英会話で初対面の先生に「Tinaです」と言うと、

「いい名前だね!」と言われることもあり、「日本人だよね?」と言われることもあり。

 

外国人には発音しづらいみたいだから、英語で会話するときはTinaを名乗っているよ、というと納得してくれます。

 

先日、いつもの私の朝のルーティーンである、

ネイティブキャンプ のデイリーニュースという教材で、

Why Some Asian Americans Are Dropping Their American Name
アジア系アメリカ人がアメリカの名前を捨てる理由

という記事を読みました。

 

これによると、

 

In the past decade, America has undergone a cultural change.

There is a growing demand for greater diversity.

Many Asian Americans, including celebrities, are now reflecting on their identity and their choice of names.

<つま子訳>この10年間で、アメリカには文化の面で変化がありました。

より多様性が求められるようになったのです。

有名人を含む多くのアジア系アメリカ人が、自分のアイデンティティや名前の選択について深い考えを持つようになりました。

 

There is now a cultural shift in how people respond to acts of xenophobia and discrimination.

Instead of ignoring it, social change means that attention is now being drawn to these instances loudly and publicly.

<つま子訳>
外国人排斥や差別行為に対する人々の対応に、文化的な変化が起きています。

社会の変化によって、こうした事例は無視されるのではなく、大々的に、公然と注意が向けられるようになったのです。

 

とのこと。

アメリカにおける流れでは、「むしろ自分のルーツを大事にしよう、公に名乗ろう」という動きのようです。

 

それに引き換え、私は自分からTinaという英語の名前を名乗っているわけです。

 

この記事を読んで、

「わー私は自らTinaだよ(汗)」と、マジョリティの文化に迎合しすぎなのかなあとも思う反面、

これはおそらく、「つま子(および本名)」としての自分のアイデンティティが阻害される心配がないから、こういう”アイデンティティの遊び”ができるんだろうなと思ったのです。

 

 

「私はつま子(および本名)なんだ!つま子(および本名)と呼んでくれ!」

と言わなくても、

ちゃんと「つま子(および本名)」としての時間も生活も安定しているし、

これからも脅かされる不安がないからできることなのでしょう。

 

私の場合は、自分から、限られた場面でやっていることだからいいけど、

もし、強制的に、みんながみんな英語の名前を持てといわれたら…

それはちょっと違うように思います。

 

つま子

Tinaとしての自分も、つま子としての自分も、

本名としての自分もいる、すべての自分が自分であるし、

そういうふうにこれからも生きていきたいと思うのでした。

 

今日もいい一日になりますように!

 

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