おはようございます。
梅つま子です。
この夏、読んだ本のご紹介です。
岡本太郎『自分の中に毒を持て』
夏になると、読書感想文を書いていたころの名残なのか、
「なんか本を読まなきゃ…」と思うもので、
この夏も本を読みました。
私の中で、岡本太郎という人は、
1.岡本かの子の息子
2.太陽の塔の人
3.芸術は爆発だ、の人
という程度の知識しかなかったのですが…、
アマゾンのレビューの数も評価も桁違いであることに気づいて、
「読むか!」と思ったしだいです。
(評価の高いものには触れておきたいミーハーです)
表紙のインパクトよ…。
というわけでこの本は、
自分の中の、”この夏の課題図書”みたいな位置づけでした。
「自信」との付き合い方
ところで、数年前から「自信」というものとの付き合い方がよくわからない…
と思うようになっておりました。
客観的に、誰かが「自信がない」と言っているのを聞けば、
「そう?そんな風に見えない」「そこは気にしなくていいんじゃないかな」と思うんです。
でも自分のことになると、「自信がない」は、つい言ってしまいたくなる。
ですが自分はもう、40代の2児の母なわけで、
「自信がない…」ともじもじしているのが似合わない、とも感じるようになりました。
そうはいっても、前職はほとんど志半ばで去っているのもあり、
「自分が何者なのかよくわからん!」
「何に自信を持っていいのかわからん!」
という気持ちが常にありました。
知ってて読んだわけじゃないのですが、
この本を読んだら、
そういう気持ちを持っていた自分を、
ハリセンでパシーンとはたかれるような、
気持ちよいようなスッキリした文章に出会えました。
自信なんていうのは相対的価値観だ。
誰々よりも自分は上だ、というものでしかない 。
(『自分の中に毒を持て』57ページ )
(以下、太字強調は梅つま子によるものです。また、私が読んだものは新装版ではないので、ページ数のズレがあった場合ご容赦ください。)
私はこれを読んですごく納得しました。
結局私は、「自信がない」と言って、
自分より下の誰かを探して、見つけて、安心したかっただけなのか…、
と気づいたんです。
自分が頭が悪かろうが、面がまずかろうが、財産がなかろうが、それが自分なのだ。それは”絶対”なんだ。
実力がない?結構だ。
チャンスがなければ、それも結構。
うまくいかないときは、素直に悲しむより方法がないじゃないか。
そもそも自分を他と比べるから、自信などというものが問題になってくるのだ。
我が人生、他と比較して自分をきめるなどというような卑しいことはやらない。
ただ自分の信じていること、正しいと思うことに、わき目もふらず突き進むだけだ。
(『自分の中に毒を持て』55から56ページ)
うまくいかないときは、素直に悲しむしか方法がない…!
そうか、素直に悲しめばいいんだな…。
そういう単純な感情に浸ることを避けて、
言い訳を探していたように思います。
上記の文章の「卑しい」もグサッときました。
人間にとって成功とはいったい何だろう。
結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか。
夢がたとえ成就しなかったとしても、精一杯努力した 、それで爽やかだ。
(『自分の中に毒を持て』27ページ)
「素直に悲しむ」とか、「卑しい」とか、「爽やかだ」とか、
心の状態を表す表現がまっすぐで、
新鮮でした。
何か、これと思ったら、まず、他人の目を気にしないことだ。
また、他人の目ばかりではなく、自分の目を気にしないで、萎縮せずありのままに生きていけばいい。
これは、情熱を賭けられるものが見つからないときも大切だ。
つまり、駄目なら駄目人間でいいと思って、駄目なりに自由に制約を受けないで生きていく。
(『自分の中に毒を持て』35ページ)
やりたいことややってみたいことがあるときもないときも、自由に生きる。
「駄目なら駄目人間でいい」…なんてすがすがしい言葉だろう!
これやったら駄目になるんじゃないかということ、まったく自信がなくってもいい、なければなおのこと、死にもの狂いでとにかくぶつかっていけば、情熱や意志がわき起こってくる。
一般の人は、あの人は意志が強いから、これだけのことをやったんだと評価するかもしれないが、今言ったように、それは順番を取り違えているんだ。
(『自分の中に毒を持て』61ページ)
最初から意志があるというよりは、
やりたいことや、やむにやまれずやっていることが意志を生むことは、
私にもわかります。
誰かと出会う、ということ
これは「相手の中から引き出す自分それが愛」という(すごい)タイトルの章の中の文章なのですが、
たとえ別れていても、相手が死んでしまっていても、この人が自分の探し求めていた人だと強く感じとっている相手がいれば、それが運命的な出会いの対象だと言える。
必ずしも相手がこちらを意識しなくてもいいんだ。
こちらが相手と出会ったという気持ちがあれば、それが本当の出会いで、自己発見なんだ。
(『自分の中に毒を持て』148ページ)
死んでしまった相手とも出会える…!
この考え方がすごい。
大事なのは相手からどう思ってもらうかではなくて、
こちらが相手と出会ったという気持ち。
この考えは経験を深くすると感じました。
ところで。
著者は若い時代をパリで過ごした方なのですが、
ある女性とのエピソードに度肝を抜かれました。
あるとき、とても知的で、色っぽい、チャーミングな女性とキャフェでビールを飲んでいた。
「そういえば、あなたと一緒に暮らしてたことがあるね」ふと気がついて言うと、
彼女はにっこり笑って
「そうね、あのときは楽しかったわ」
何か悩ましい、いい匂いの風が吹き抜けていった気がした。
(『自分の中に毒を持て』137から138ページ)
私の人生には吹かないタイプの風だ…。
そんな感じの彼が、女性に対してどんなメッセージを送るのだろうと思ったら、
女性の不利な立場を理解したうえで
「自立のないところに愛も、人格も、誇りも何も成り立ちはしない」と書いていました。
先進国の文明社会では今日、子供を産むという以外に女でなければならない、男でなければ、という条件はほとんどなくなってきている。
それなのに、世の中の慣習や制度の面では、まだまだ女性は不利だ。
賢い、自覚した女たちがそれにいらだち、同権をかちとろうとすることは当然と言えるだろう。
それは人間としての自由と自立の問題であるし、自立のないところに愛も、人格も、誇りも何も成り立ちはしないからだ。
(『自分の中に毒を持て』153ページ)
この言葉は声に出して読みたい日本語でした。
もっと上から目線のマッチョなメッセージが来るかと思ったら、
そんなことはなかった…!
終わりに
私がこの本から受け取った2つの大きなメッセージは、
人と比べるなんて卑しいことはやめて、
自分のやりたいこと思うがままにやろう。
そして、
相手がどう思うかということを越えて、
自分が出会いたい人と、意味のある出会いをしよう。
この2つです。
シンプルで力強い。
いつでも立ち返りたい原点のような。
夜行バスで大阪に行って、太陽の塔を見た日のことを思い出しました。
思いのほか大きかったっけ。
私の中の「太陽の塔」として、このメッセージを覚えておきます
今日もいい一日になりますように!