おはようございます。
梅つま子です。
最近読んだ本の紹介です。
pha 幻冬舎 2020年02月06日 売り上げランキング :
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phaさんの本は、
「~をしなければならない」という気持ちにとりつかれているときに、
リセットボタンを押す手助けをしてくれる本なんです。
退職前後、大変お世話になりました。
phaさんと私は、「仕事はないわけではないが、フルタイム勤務ではない」という点では一緒であり、
「世話をしなければいけない子どもの有無」という点では異なります。
phaさんの著作を読み、phaさんのしていることを知ることは、
・自分に何ができるのか、できないのかを考える
・(母親としての属性を除いた)自分が何をしたいのかを考える
この2点において参考になる部分が多いです。
以下、読んで考えたことをメモしておきたいと思います。
(太字強調は梅つま子によるものです。)
家を出る、移動すること
僕が旅に求めているのは珍しい経験や素晴らしい体験ではなく、単なる日常からの距離だけなのだ。
いる場所を変えるだけでも考えることは変わる。
(『どこでもいいからどこかへ行きたい』7ページ)
「いる場所を変える」。
私には毎日通勤しなければならない場所はなく、
家にいてもできることをしています。
そうすると、「家にいる」ことが当たり前になってきます。
だからついつい家にいがちで、
家にいることがいいことと思えてくるんですけど(お金も使わないし)、
「単なる日常からの距離」がとれないんですよね。
その結果ストレスがたまったり、考え方が凝り固まってきたり。
やっぱり場所を変えて空気を変えることが必要で、
考えることを変えることの大事さに気づかされます。
「旅で自分探しをする」と言うとちょっと笑われたりするけど、僕は全然ありだと思う。
人間というのは周りの環境にすごく影響を受けるものだから、身を置く環境を変えてみると、自分の行動のどの部分が周りの影響でやっていたことで、どの部分が環境によらず自分がやりたいことなのか見えてきたりするからだ 。
(『どこでもいいからどこかへ行きたい』8ページ)
私の行動を規定するのは子どもの存在で、
今の生活スタイルでは、子どもの帰宅時には、私も在宅していることが必要です。
phaさんは高速バスに乗ることが好きなんだそうで、
本書にも高速バスでの移動のことが出てきました。
いいなあ、私も高速バスに一人で乗り込んで、読みかけの本とともに乗り込んで、
何時間も景色を楽しんだり、うたたねしたり、
知らないパーキングエリアのトイレ休憩でチラッとお土産コーナーのぞいたりしたい。
しかし、そう簡単にそれはできないわけで。
ひとりで、
たっぷりとした移動時間で、
帰宅時間も気にせず出かけることができた時代は遠いです。
でも!
だからといって全く家を出られないわけではない。
ここを分けて考えないと、
「家にいなきゃいけないから何もできない」という極端な考えになってしまうと気づきました。
インドアな私なので、
「子どもが帰宅するまでには家にいなきゃ。いいや、今日はいっそずっと家にいるか」と思うのは簡単なんです。
でも、外に出れば気が晴れるし、楽しいアイディアも思いついたりする。
そういうことを継続していくと力がわいてくるし、その一瞬楽しいだけじゃなくて、
心の基礎体力みたいなものがついてくる気がします。
「何ならできるのか」、
「どこまでなら行けるのか」、
「その範囲の中に、素敵なお出かけ先はあるか。居心地のいいカフェはあるか」、
「外で食べられるお手ごろメニューはなにか」、
「ベンチでさくっと食べられるおやつはなにか」、
こういう問いに自分であらかじめ答えておいて、
「自分にもできる楽しいことリスト」を作っておきたいなと思いました。
(今までもぼんやりとはあったけど、もっと意識的にこのリストを強化しておきたい!)
子どもが帰宅するまでの4時間しかなくても、
工夫すれば、「小さな旅気分」を味わうことはできるはず。
いつかその日が実現するときのために、
ちょっとした旅程表を作っておこうかなという気分になっています。
結局は、旅で少しの非日常体験しつつ、どこにもユートピアなんてないんだということを確認して、また日常に戻って、「やっぱり家が一番落ち着くわー」とか言うしかないのだ。
それを繰り返していくしかない。
ただ、旅で一瞬だけ味わうことができる非日常のきらめきや、知らない街を歩いているときのワクワク感、旅からそういった気分を持ち帰ることで、また平凡な日常を少しだけやっていくことができる。
そのために旅というものはあるのだろう。
(『どこでもいいからどこかへ行きたい』99ページ )
健康のこと
ダイエットを決意してから、この3年くらい、ずっと健康を意識しています。
ステッパーも持っているし、ダンベルも買ったし、スポーツタイツも持ってます。
やっているうちに、エクササイズに対する自分の価値観や、好みも見えてきました。
決定的に分かったのは「私は、ジムには通えないタイプの人間だ」ということです。
「運動をするために運動をする」ということが、まだしっくりこないんです。
日常の中にやりたいことが多すぎて、
運動のためだけにジムに行く、という気持ちは自分にとっては現実的なものになり得ないみたいです。
だから、家のなかでのながら運動や、ちょっとそこまでの散歩など、
日常を送る範囲での健康の追求が自分のテーマです。
時間もそこまで捻出しないし、かけられる経済的な負担もそこまで大きくはない。
なので、phaさんの健康法=歩く、は興味深かったです。
ただしphaさんは健康というよりは、アイディアを出したいときに歩くようですし、
そうでなくても普段から一定の時間を歩いているそうで、
そもそも歩くのが好きだということでした。
「これなら私でもできそう」「楽しそう」と思えた、phaさんの歩き方を抜粋しておきます。
ただ普通に歩くのが退屈な時はイヤホンで音楽を聴きながら歩くとはかどる。
曲のBPMに合わせて歩くのも楽しいし、BPMと少しずらして歩くのもポリリズムが生まれるので楽しい。
15分くらい歩いていると股関節の辺りの筋肉がほぐれてきて体幹の芯の方から出せるような感じがしてくる。
その辺りからが本番で、その後30分くらいは楽しく地面を踏んでいける。
(中略)
足脚腰肩首腕手、歩くときに使うすべての筋肉や関節を一つ一つ意識してみる。そうすると人間の体には思った以上にいろんな筋肉や関節があるということに気づく。
普段使わない筋肉を意識して使うようにしながら歩くと、歩いているだけでマッサージをされているみたいに体がほぐれていって気持ちいい。
変わった歩き方の例としては以下のようなことをイメージしながら歩いたりする。
・地面がすごくねばねばしていて、靴の裏が地面にくっつくのを剥がしながら進んでいるイメージで歩く・頭のてっぺんから糸が出ていてその後で転から吊られているのをイメージしながら歩く
・地面から湧き出てくる妖怪を聖なる靴の裏で一歩一歩踏みしめて進めていくイメージで歩く
・右手と右足を同時に前に出して左手でと左足を同時に前に出して歩く
・普通の3分の1くらいのスピードで体をゆっくり動かして歩く
・肩甲骨をグリグリ回して背中の筋肉をミシミシほぐしながら歩く
(『どこでもいいからどこかへ行きたい』87ページから89ページ)
健康関連の本は、専門家とかアスリート系の方が書くものという定石はあるようだけど、
phaさんの歩き方、インドアな私には響きました。
漫画の効能
漫画はもう社会的、文化的な地位を得ていると言っていいものだろうと思うのですが、
自分としては漫画にそこまで深くは触れ合ってこなかったので、
「あまり知らない分野」のままなんですよね。
自分にとって漫画をむさぼり読むことによる精神の回復は欠かせないものだ。
もはや単なる娯楽というよりも、定期的に一定量は摂取しないと精神の安定を維持できないような必需品になってしまっている。
(『どこでもいいからどこかへ行きたい』132ページ )
amazonプライムの会員になってからは、
映画を見ることが「定期的に一定量は摂取しないと精神の安定を維持できないような必需品」、ちょっとそれに近いかも。
でも心のなかで、
「もっと私は漫画の豊かな世界に触れるべきだ…」という声がいつもしているので、
まずは近場のネットカフェを探すところからやってみたいと思います。
ネットカフェ自体はかつて行ったことがあるから、全くの初めてではないものの、
大人になってからの冒険のようでドキドキするなあ。
まずは3時間パックくらいからチャレンジしてみたいものです。
行動の自由と生活のクオリティ
本書の後半で、
行動の自由と生活のクオリティ
(『どこでもいいからどこかへ行きたい』199ページ )
という言葉が出てきます。
「人生のプランを立てたとしても予定通りに進むとは全く限らない(p.198)」とは、
どんな人にとっても当てはまることなのでしょうが、
子どものことや私の性格、キャパシティを考えると、
ある程度予測可能で安定したものであってくれ…という気持ちもあります。
見通しができて、しかも波風のあまり立たないものであることを望む気持ち。
何にも制限されずに、自由に行動したい気持ち。
矛盾するようであるけど、地に足のついた安定と、羽の生えたような自由。
自分の中にある、両方ともを希求する気持ちがあることを認めて、
その両方に目を向け、手をかけて生きていくことができたらな…と願っています。
最後に
渡辺ペコさんによる解説がとても良かったです。
自分が何に快、あるいは不快を感じ何を喜びとし、いま何に倦怠を感じ何に挑戦したいのかと、phaさんは自分をよく観察し相談している。
自分を信頼し、丁寧に扱うとはそういうことなのかもしれない。
自分より世間の常識や慣例や雰囲気を上位に置かない、そのことに細心の注意を払っているように見える。
(『どこでもいいからどこかへ行きたい』257ページ )
母親として生きていると、「自分より世間の常識や慣例や雰囲気を上位に置かない」ことが、もうどうにも不可能に思えてくることがあるんです。
自分より常識、自分より慣例、自分よりその場の雰囲気。
これまた全部を否定して生きることも難しいだろうし、
否定した方がいい場面ばかりじゃないだろうけど、
自分を抑えて、期待される役割を果たさなきゃいけない場面では、
どっかで「いま自分、自分より世間の常識や慣例や雰囲気を上位に置いちゃってる自分になってる」ということは分かっておいた方がよさそう。
制限があるなかでの自分らしさの出し方を、
これからもっと考えていきたいです。
それを考えること自体を楽しむこともきっと、自分ならできると思う。
でもその「どこにも行けなさ」で今の自分を規定してしまうと、それこそどこにも行けなくなっちゃう。「どこにも行けないなかで、どこになら行けるのか」を考えるのが、きっと私らしい。
— 梅つま子@月経カップとシンプルライフ (@umetsumako) October 7, 2021
そうやって歩いていくしかないし、そうやって歩いていきたいなあと思うのでした
今日もいい一日になりますように!