おはようございます。
梅つま子です。
今日は、先日読んだ本の紹介です。
坂口恭平 晶文社 2020年07月14日頃 売り上げランキング :
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この本を読んだのは、黄金頭さんのブログを読み、面白そうと思ったからです。
詳しい説明は黄金頭さんのブログにまとめられていますので、
ぜひ読んでいただきたいと思います。
私は「よく生きるための仕組みづくり」みたいなものに興味があるので、
「自分の薬をつくる」というこのタイトル自体が、
「ああ、私もそうしたいと思ってた」と惹かれるものがありました。
生きやすくなるための知恵
著者の坂口さんが自分なりに「どう工夫したら生きやすくなるのか」を実践していて、
この本にはその知恵が詰まっていました。
「ああ、そうしたらいいのか」「こう考えたらいいのか」がいっぱい発見できました。
(以下、太字強調は梅つま子によるものです。)
苦手な時間帯というのはあると思います。
こういう時に落ち込むと、つい自分の性格の問題だ、となってしまいがちですが、僕は自分の性格の問題だと、一切考えないようになりました。
なぜなら、それは対処ができないからです。
対処ができるものに、都合よく問題をすり替えていく。
(『自分の薬をつくる』28ページ)
私がやっていることは、実はやりたいことをやっている、のではなくて、やりたくないこと一切しない、ということなんです。
おかげでストレスが一切ありません。
それは当然です。
やりたくないことをしていないのですから。
人に文句もありません。
なぜなら気持ちの余裕があるからです。
自分のことをまず丁寧に守る。
自分がやりたくないことであれば、考えるのは簡単です。
だって嫌なんですから。
(『自分の薬をつくる』158ページ )
汲み取らない練習
話はそれますが、ちょっと前にツイッターで話題になって、
気になっていた記事があります。
お気に入りのラーメン屋さんに顔を覚えられたのがイヤで、もうお店に行けない、
という話なのですが、
この作者の方は、店員さんの「こいつまた来た」という心の声(=言われてはいない)を、
実際に言われてしまったことみたいにリアルなものとして、
受け取ることができる方なんだと思いました。
同様のことに坂口さんはこの本の中で触れていて、
人の言葉を汲み取ることができることを「能力」とした上で、
うちらに必要なのは、人の言葉を勝手に予測しないこと
(『自分の薬をつくる』134ページ)
他人が言ってないことは、他人は何も言ってない
(『自分の薬をつくる』135ページ)
『汲み取らない練習』をしたい
(『自分の薬をつくる』136ページ)
としています。
私自身はカフェの店員さんに顔を覚えられたらうれしいタイプですけど、
「言われてない言葉で勝手に傷つく」ことは、だいぶ体験しているので、
響きました。
汲み取らない練習かあー!
できるかなあ。
そのためには、
まず自分がしっかり守られていて、
安全だと感じていて、余裕がある必要がありそうです。
アウトプット
坂口さんがこの本の中でしきりに言っているのは、
インプットするときのように気軽にアウトプットする
=アウトプットすることを日課にする
=それが自分の薬になる
ということです。
アウトプットに関する坂口さんのことばをいくつかまとめて引用しますね。
教わってなくても、一人で勝手に見つけ出してアウトプットできる人はいます。
そういう人が、いわゆる芸術家であるとか、表現者になっていくわけですが、アウトプットはそういう人達だけに備わっている能力ではありません。
そうではなく、全ての人が、インプットしたぶんだけ本来はアウトプットする必要があるのです。と、私は思っています。
(『自分の薬をつくる』36ページ)
アウトプットの方法を教わっていない。
バランスが完全に崩れています。
それこそ芸術家たちだけにアウトプットを任せている場合ではないように私は思います。
下手でもなんでもいいからアウトプットする必要があります。
息を吐く、ウンチを出すことに上手い下手はありません。
それはただ必要で、自分なりの方法であればよく、しかも自然に身についていることで、方法を誰かから教わるようなものでもないはずです。
それが本来の方法なはずです 。
(『自分の薬をつくる』39ページ)
自分の日課を作り出して、毎日実行すること、これ自体が、あなたにとってのアウトプットということです。
普段呼吸をするように、排泄をするように、日課をやっていく。
(『自分の薬をつくる』40ページ)
哲学者なんてずっと考えてます。
飽きもせずに、ただ考えている。
哲学者にとってはそれがアウトプットの方法なんです。
24時間悩んでいる人は、実は24時間哲学者のように考えているということなのかもしれません。
つまり、それがあなたのアウトプットですから、それを日課にすればいいのです。
(『自分の薬をつくる』41ページ)
映画は見るわ、音楽は聴くわ、服も買うし、本も読むじゃないですか?
見境なく、適当に何でも雑食するじゃないですか?
でもアウトプットの時は急に改まる。
アウトプットも今皆さんがやっているような適当なインプット、乱雑なインプットのように出来ると楽になるような気がしませんか?
私が普段心がけている方法はこれです。
適当なアウトプット。
さっとやる。
思いついた瞬間にそのままやる。
改まらない。
偉そうにしない。
教科書通りにしない。
ルールを無視する。
ほっとく。
適当に。
真似したりして、さっと形にする。
深刻に考えない。
ただの娯楽としてやる。
人に見せることは一切考えないでただの楽しみとしてやる。
(中略)
インプットと同じで、適当にランダムにそれが完成形だと決めつけずに、まずは手っ取り早くやってみることです。
(『自分の薬をつくる』206から207ページ)
考えてみると、このブログも私のアウトプットだと思います。
ただインプットとアウトプットの境目はよく分からなくて、
英語の勉強はインプットでもあり、アウトプットでもある…これって本当にアウトプット?
空手はどうだろう…アウトプットといっていいのか?
坂口さんはアウトプットを何でもいいというけど、
坂口さん自身は文章も書くし、絵も描くし、陶芸や編み物までする、
いかにもアウトプットらしいアウトプットをされていて、
私にはブログがあるけど、
「もうちょっと違うアウトプットも欲しいな」と思ってしまう自分もいました。
さらに正直に言えば、
私は絵とか、芸術系のアウトプットをしたいけど
「めんどくさい」「うまくできない」と思ってしまう心があるから、
「こういうアウトプットができたらいいな」と思う私の理想のアウトプットは、
実は、自分にはフィットしない、日課にならないアウトプットなんだろうなと思います。
このブログは5年以上続いているということは、
ある程度自分に合うし、自分の日課と言ってもいいことなんでしょう。
自分に合うアウトプットがもっとあるのかしら。
気づいていないだけで、実はもうやっているものだったりして。
探そうと思います。
ただ、私のこういう心も見透かされているかのように、こういう一節がありました。
反省し、否定する攻撃が極まったものが自殺です。
それを避けるための作品作りです。
それで金を稼いだり、承認を得ようなんて、虫がよすぎるんじゃないかといつも私は思います。
もちろん、それでどうにかお金を稼いでみようと思うのはとてもいいことだと思いますよ。
でも、私の行動のペースにはいつも、この死なないための方法、という考えがあります。
だからうまく行かなくても、生きてるんなら、作ることがうまく機能しているわけです。
(『自分の薬をつくる』98ページ )
自己顕示とか承認欲求を満たすためとかでなくて、
生きるためのアウトプットなわけですね…!
そのほか、心に残ったこと
坂口さんによると、アウトプットはあくまでも適当でよいようなので、
私もうまくまとめようとせずに、
人に認められようとせずに、
純粋にアウトプットしていくことを考えてみたいと思っています。
そして、心に残った箇所を引用して、この文章を終わりたいと思います。
どうやら、人には2種類の力があって、一つはその時その時の気まぐれの力で、その日の体調にかなり左右されます。
そして、もう一つが毎日、生活を営む上で必要な安定した力です。
日課を作ることで、この力を強めることができるわけです。
もちろん、これははっきりした区分けがあるわけではなく、私の感覚に過ぎないんですけど。
日課を続けていくと、どんどんこの安定した力をうまく使えるようになっていくような感じがあります。
この安定した力は、消費量にムラがありませんし、続ければ続けるほど筋力が増していくように、以前は大変だったことがどんどん楽にできるようになっていきます。
一方、気まぐれな力は、爆発力はありますが、やはりかなり消耗してしまいます。
気まぐれな力と安定した力は、別々の力でどうやら供給される場所も違うように感じます。
つまり、安定した力を日課としてうまく放出しているからといって、気まぐれな力がそちらに吸収されていくというわけではないようです。
(『自分の薬をつくる』84から85ページ )
自分の薬を作ることが、人の薬を作ることになっているのかもしれません。
薬を作ろうとする意志だけが薬なのかもしれません。
自分の薬を作ることができるようになったら、人の薬も作ってあげたいと思うようになっているのかもしれません。
自分の薬を作るということは、それぞれの人が自分の医者になるということなのかもしれません 。
(『自分の薬をつくる』201ページ)
窮屈はこの本でも随時書いてきましたが、とにかく鬱を呼び起こす唯一といってもいいくらいの原因です。
非日常の時は、この「窮屈」がいたるところに発生します。
でも同時に今までの「窮屈」がほとんど姿を消しているということでもあります 。
(『自分の薬をつくる』275ページ)
まわりは騒がしいですが、日課をただ続けてます。
社会の時間軸と別に、自分の時間軸を作っておくと、社会が折れても、自分は折れません。
私も精神的には停滞しているんだと思います。
特に何にも閃いたり思いついたりできません。
そんな日々ですが、手だけは動かしてますので、作品だけは少しずつ出来上がってます。
今こそ手です。
手の抵抗。
(『自分の薬をつくる』281ページ)
多くの人が、自分の日課=アウトプットの方法を持っている社会は、
きっと今よりももっと生きやすく、キラキラしているんじゃないかと思います。
私も私のアウトプットを意識的にやっていきます!
今日もいい一日になりますように!
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