明日も暮らす。

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シンプルで暮らしやすい生活を目指しています。 2013年に娘を、2016年に息子を出産した2児の母。東京近郊在住です。 大学院修了後、教育関係の仕事に就いていましたが、現在は専業主婦です。

私は相手に何を期待しているのだろうか。深く考えさせてくれる本を読みました。

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こんにちは!

梅つま子です。

 

また面白い本を読んで、自己理解が深まりました。

この本、私は、人生を前向きに諦めて(認めて、といったほうがいいかな)、

攻勢に転じたい人のための本として読みました。

 

ゲリー・D.チャップマン/チエ・ディフォーレスト いのちのことば社 2007年09月01日頃
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著者は牧師でもある結婚カウンセラーで、

本書の中にも「なるほど、聖書の教えに基づいているんだね」というところが何箇所も出てきますが、

主張はシンプルで、特に宗教に絡めて理解しなくても大筋は理解できると思います。

 

タイトルが『愛を伝える5つの方法』になっているとおり、

人が愛を伝えるのは、5つの方法があるということです。

この本でメインに想定されているのは結婚後の夫婦についてですが、

親子間においても有効であるようです。

 

 

5つの方法とは

方法は本書では、5 love languageとされています。

そのラブ・ランゲージ、5つを見ていきましょう。

  • 肯定的な言葉(Words of affirmation):好意的な言葉、称賛、感謝を伝えること。
  • クオリティ・タイム(Quality time):親密感や一体感を感じながら一緒に時間を過ごすこと。
  • 贈り物(Receiving gifts):買ったもの、見つけたもの、作ったものを問わず、相手にプレゼントを贈ること。
  • サービス行為(Acts of service):相手がやってほしいと願っていることを実際にしてあげること。
  • 身体的なタッチ(Physical touch):愛情をもって身体的に触れること。

 

さあ、このうちのどれをあなたは一番必要としているでしょう?

それがあなたの愛の一次言語です、というところから話は始まります。

引用箇所の太字強調は梅つま子によるものです。

 

最も話しやすく理解しやすいのは、自分にとっての一次言語です。

この言語で会話するのが一番楽です。

二次言語は、使えば使うほど会話は楽になります。

あなたが自分の1次言語しか話せないとして、それと異なる言語を母語とする人に出会ったとします。

その人は自分の一次言語しか話せない場合、あなたとその人のコミュニケーションにはかなりの限界が生じます。

相手に想いを伝えるためには、指をさしたり、擬音を使ったり、絵を書いたりあるいは身振り手振りに頼るしかありません。

コミュニケーションが持てないわけではありませんが、それはたどたどしいものになるでしょう。

そのように言語の相違は人間の文化にとって重要な事柄なのです。

もし文化の境界線を越えて効果的なコミュニケーションを図りたいと願うなら、交流を持ちたい相手の言語を学ばなくてはならないでしょう 。

(『愛を伝える5つの方法』14ページ)

 

この本を読む前から私は、自分の一次言語が「肯定的な言葉」であることは分かっていました。

肯定的なことを言われるのがすごく好きです。

でも、何をされることに愛を感じるのかは、人によって違うというわけですね。

 

逆に「贈り物」は、そんなにそこまでうれしくないです。

特に配偶者からの贈り物は、「家計が一緒だから、出所は結局、ひとつだしねえ…」と、つまらんことを思ってしまう私なのでした。

 

自分と同じだと思って、相手がうれしいだろうと思ってしていることが、

相手には大してありがたくない…ということもあるわけで。

だから、「相手の言語を学ぶ」ということなんですね。

 

そうしないとどうなるか。

「タンク」が枯渇するそうです。

 

車にはオイルを切らさないことが大切であるように、結婚生活には感情的な愛のタンクを満タンに保つことが大切であると私は確信しています。

「ラブタンク」を空にしたままで結婚という車を走らせようとすれば、オイルを切らした車を運転するより大きな犠牲と喪失をもたらすことでしょう 。

(『愛を伝える5つの方法』26ページ)

 

タンクが空のまま走る生活かあ。

物理的に生活は続かせようと思えば出来るのかもしれないけれど…。

本書の終わりからの引用ですが、筆者は以下のようにも言っています。

 

私は、感情的な愛の必要を満たすことほど、結婚生活の全体に影響を及ぼす要素はない、と確信しています。

(『愛を伝える5つの方法』240ページ) 

 

そして次の部分は、そうだよね、そうだよね!と共感しすぎて、ほぼ全部強調してしまいました。

 

人間の最も基本的な感情的欲求は、恋に落ちることではなく、心から愛されることです。

そして本能ではなく理性と選択から生じる愛を知ることです。

私たちが本当に必要としていること、それは、私たちを愛することを選んでくれる人、私たちの内に愛に値するものを見出してくれる人に愛されることなのです。

そのような愛は努力と献身を必要としています。

これは相手の益になるためにエネルギーを費やすことを選ぶ愛です。

あなたの努力によって、相手の人生が豊かになり、そうすることであなた自身も満足感を得ることを理解している愛です。

他人を心から愛するという満足感があるのです。

この愛は恋するという幸福感を必要としません。

(『愛を伝える5つの方法』40ページ) 

 

恋が必然でもなさそう、というのは、私も今の年齢になったから分かる境遇のような感じがします。

恋はもちろん素敵なものだけど、

恋の荒れ狂うモード、その道を通り過ぎるときのエネルギー、

喜びも大きいけれど、嫉妬とか執着とか不安とか猜疑心とかとのお付き合いでもあるのですよね。

 

こういうマイナスの感情の、自我を食い尽くすエネルギーのすさまじさを考えると、

もし、恋の状況を再び経験することが選択肢として与えられたとしても、

「あれをもう一度やりたいな」というよりかは、

「何かもう、あれは、耐えられるのかな」という気持ちにもなるわけで。

だからそれを考えたら、

恋ではない愛、

あなたの努力によって、相手の人生が豊かになり、そうすることであなた自身も満足感を得ることを理解している愛」って、

なんて穏やかで、なんて平和で、なんてありがたい、なんて満たされた愛なんだろう…と思うわけです。

 

相手の幸せ、精神的な成長を願い、それによって自分も満たされていくという…、

その何かジワジワ温熱効果みたいな愛の恩恵を受ける人生って素敵だと思いました。

 

肯定的な言葉

以下は、5つの中で私がもっとも大事にしている言語、「肯定的な言葉」の説明の箇所です。

 

励ますためには、相手への共感と相手の視点から見るという姿勢が必要です。

まず配偶者にとって何が大切なのかを知らなければなりません。

それを知って初めて、相手を励ますことができるのです。

私たちは言葉による激励を通して、「知ってるよ。気にかけてるよ。君の味方だよ。どうしたら君の助けになれる?」と伝えているのです。

彼らと、彼らの能力を信じていることを伝えようとしているのです。

相手を認めて賞賛しているのです。

(『愛を伝える5つの方法』52ページ)

 

私は昔、肯定的な言葉の必要性を実はあまりわかってなかったような気がします。

「誰にも褒めてもらわなくてもかまわない」と、思っていたころがあったかもしれない。

でも今は、「日々肯定してもらわないと即、乾くわ…」と思っています。

 

何だろう。

反応してほしい、一緒に考えてほしい、認めてほしい。

こういう思いは、今は私の生活の底から常にわきあがっていて、

自分の行動の多くは、この気持ちとつながってるといってもいいんだと思います。

 

 

肯定的言葉を受け取りたい気持ちと同様に、誰かに伝えたい気持ちもあります。

「ありがとう」もそうだし、「すごい」「素敵」などなど、

褒め言葉はいろいろあるものの、

偉そうに聞こえたりするから、適切に褒めることって難しいとも思います。

日本語だと余計にそうかな?

 

そして、肯定的な言葉だけを言ってるわけにはいかないのが結婚生活でありまして。

生活のなかでは、

相手を傷つけることを言ったりしたりしてしまうことは結婚生活では避けられないことのようです。

それに対する著者の立場はこう。

 

愛は、悪事の記録をつけません。

愛は過去の失敗を持ち出さないのです。

完璧な人間など一人もいません。

結婚生活において、いつも一番よいこと、正しいことできる人もいません。

時には配偶者を傷つけるようなことをしたり言ったりします。

過去を消し去ることはできません。

私たちにできるのは、それを告白し、悪かったと認めることです。

赦しを請うこと、そして今後その行動を改める努力をすることもできます。

自分の失敗を告白して相手の赦しを願い求めたら、それ以上は、相手の痛みを和らげるためにできることはありません 。

(『愛を伝える5つの方法55ページ)

 

このへん、とても牧師さんっぽい。

相手の痛みを和らげるためにできることはない…

それなら、最初から相手の痛みになるようなことを言わなければいいのに…

って私は思ってしまうのですけどね。

なのに言ってしまうのが結婚なんでしょうね…。

 

過去の失敗を処理する一番の方法は、それを過ぎ去った昔の出来事としてしまうことです。

もちろんそれは実際に起こったことです。

それによって傷ついたことも確かです。

今もなお、その傷は痛んでいるかもしれません。

しかし相手は失敗を認め、あなたに赦してほしいと願ったのです。

過去を消し去ることはできませんが、過ぎ去った昔のこととみなすことはできます。

私たちには、昨日の失敗から解放されて今日を生きるという選択肢があるのです。

(『愛を伝える5つの方法』56ページ)

 

これは美しい。

許すことを、「昨日の失敗から解放されて今日を生きる」と表現しているところが、

とても美しいと思いました。

まさに、愛は意志を伴った選択で、どう生きるかなのだなあ…。

 

赦しとは、感覚的なものではなく、本気で取り組む決意です。

それは憐れみ深くあるという選択であり、不適切なものをした者に対してその行為を恨んだり根に持ったりしないということです。

赦すとは、愛を表現することなのです。

(『愛を伝える5つの方法』56ページ) 

 

言っていることは平易だけど、体験を伴って理解するのはとてつもなさそう。

大事なことだと思って抜粋しているけど、それが私に本当に理解できているかは自信がありません。

 

また、肯定的な言葉は、頼みごとにも表れているんだそうです。

これは意外!

 

夫や妻に頼みごとをする時、相手の価値や能力を肯定しているのです。

要するに、相手が意味のあること、価値のあることを成し遂げる能力を持っていると暗示しているのです。

ところが要求は、あなたを愛の人ではなく、暴君にしてしまいます。

あなたの夫や妻は認められていると感じるのではなく、見下されているように感じるでしょう。

(『愛を伝える5つの方法』58ページ)

 

これは面白いです!

相手にやってもらうことが必ずしもマイナスのことではなく、

相手を肯定する気持ちから来るとは。

 

でも確かに、

「あなたの作った**が好きだから食べたいな」

「私にはうまく出来ないんだけど、あなたがやるととてもキレイにできるから**をやってもらってもいい?」

っていうのは、うれしがらせますよね!

私なんかはもう根が単純なので、そんなふうに頼まれちゃったらもうニヤニヤして、

「エ?そう?じゃ、やる♪」ってなります。

私シンプル…笑

 

肯定から来る依頼なのか、それとも単なる要求なのかは、

関係性とか言い方で変わってきそうですね。

 

有意義なアクティビティに必要なこと

私の二次言語は、クオリティ・タイムでした。

クオリティ・タイムの説明の箇所で出てきたことを引用します。

これは、夫婦の活動に限らず、友達同士のことでも言えそうなことだと思ったので覚えておきます。

 

有意義なアクティビティに肝心なことは、

1)少なくともどちらか片方がやりたがっているということ、

2)もう一片方に喜んでやる意思があること、

3)なぜそれをするのか、すなわち、一緒にいることでお互いに愛を示すためという目的を両方が理解していること、です。

(『愛を伝える5つの方法』93ページ)

 

友達でも、一緒に過ごすことがうれしいのは、それがクオリティ・タイムとなっていているからなんですよね。

上質な時間を一緒に過ごしたことはいつまでも覚えておきたい思い出。

 

相手を理解する

「扱ってもらいたいように扱ってもらえない」という問題はシンプルながら、

いろんな人間関係の根本に横たわっている問題のように見えます。

 

人は、自分が感情的にもっとも必要としていることに関して、相手をことさらに非難するものです。

そういった非難は、効果のないやり方ではありますが、それでも愛を求める訴えなのです。

そのことを理解すれば、相手の非難をもっと建設的に受け止めることができます 。

(『愛を伝える5つの方法』137ページ) 

 

これもなんかわかる。

感情的になるのはそこが一番大事にしたい点であるし、弱点でもあることだからなんですよね。

 

ただ、相手が激昂しているとき、

それを落ち着いて、なだめて、どうして怒っているのを、優しく紐解けるかどうかはというのは別問題だなあ。

だってこっちだって感情があるもんなあ。

 

多くの場合、批判や非難はさらなる説明を必要としています。

ですから、あなたの方から説明を求めて会話を始めれば、最終的にはその非難を要求ではなくリクエストへ変えることができるかもしれません。

(『愛を伝える5つの方法』137ページ) 

 

あなたの方から説明を求めて…。

このへんにも著者の牧師さんっぽさが出てます。

そうか、愛は意志なんだ、選択なんだと思わされます。

 

自分の結婚相手を物のように扱うなら、そこに愛が生まれる可能性はまずありません。

相手に巧みに罪悪感を持たせて操ること、(「おまえがいい妻なら、これをしてくれるはずじゃないか」)は愛の言語ではありません。

恐怖心を与えて相手を威圧すること(「これをしないと、ひどいことになるぞ!」)も愛とはかけ離れたものです。

誰も玄関マットのように扱われてはいけないのです。

たとえ人に利用されることを故意に許したとしても、私たちが感情、思考、願望を持つ生き物である事実に変わりはありません。

そして私たちは、決断をする、行動を起こす、という能力を持っているのです。

他人に利用されたり操られたりするのを許しているというのは、本当の愛の行動ではありません。それは実際には裏切りの行為です。

相手が非人道的な習慣を身につけていくのを、あなたは見過ごしているからです。

愛は、「私をこんなふうに扱うあなたを、そのままにはしておけない。それほど私はあなたを愛している。これは私にとってもあなたにとってもよくないことだから」と語るのです。

(『愛を伝える5つの方法』138ページ)

 

ここに関しては全文を強調しました。

誰も玄関マットのように扱われてはいけない。

そして、相手が非人道的な習慣を身につけていくのを、見過ごしてはいけない。

 

自分のことだけでなく、

ほんとに、みんなみんながそう。

心に留めておきたいと思います。

 

この本が意義深いのは、

「何をされるとうれしいか」だけでなく、

「それが得られないとき、どうなるか」を考えさせてくれるところです。

 

あなたの愛の一次言語は何でしょう?

「愛されている」と最も感じさせてくれることは何でしょう?

配偶者に何よりも求めているのは何でしょう?

これらの質問の答えがすぐに頭に浮かんでこない人は、愛の言語が否定的に用いられる場合を考えてみましょう。

つまり、夫・妻がすることや言うこと、またはしてくれないことで、あなたが深く傷つくことは何でしょう?

例えば、もし一番心が傷つくことは、配偶者の批判やさばきの言葉だとしたら、あなたの愛の言語は「肯定的な言葉」でしょう。

あなたの愛の一次言語が配偶者によって否定的に用いられる時、すなわち相手があなたの願うことと反対のことをする時、あなたは深く傷ついてしまいます。

他の人が同じことをされて傷つくのより遥かに深く傷ついてしまうのです。

それは、相手があなたの一次言語を語ってくれないだけではなく、反対に、その言葉をナイフにしてあなたの心を刺し通すからです。

(『愛を伝える5つの方法』173から174ページ)

 

ここは読んでいて涙が出ました。

自分のしてほしい方法と真逆に刺されるなんて、なんとした痛みでしょう。

繰り返しになるけれど、人は、扱われたいように扱われるべきだと思います。

 

これは…本当にそうなの…?

私は全体的に本書を、大いにうんうんうなずきながら読んだのですが、

ちょっとここだけはなあ…と思った箇所があります。

 

こう言っている女性が本書に登場しています。

 

普段は私のことを無視している主人に、性的に応答するのは無理なんです。

(『愛を伝える5つの方法』217ページ)

 

この彼女の夫の一次言語が「身体的なタッチ」なので、

この発言が疑問として、著者に提示されたようです。

 

彼女の思いについて私が想像し、何か言うとするならば、

「それは、まったく、そうだろうね…そうだろうよ…(出来るなら、相手から逃げることも考慮に入れて)」としか出ませんでした。

(だって、憎しみに満ちた言葉を彼女に向かって吐いたり、虐待するような夫なんだそうです…。)

 

これに対して、著者のアドバイスは、別の方向からのものでした。

感情としての愛と行為としての愛を分けて考えよう、というもので、

それはおそらくキリスト教の教えに基づくものでもあるのだろうけど、

この箇所だけは疑義をさしはさむ余地があるように思いました。

 

彼女自身が「無理」と言っている以上、無理なんだろうし、

「応答するのは無理」とはっきり言っている女性の尊厳を、

この著者のアドバイスは、危険にさらすことにはならないか…と思っています。

精神的に、身体的に傷つくと思う。

すでに自分を虐待してきている相手に、そこまでして、相手を満たさなければならないのかどうか。

 

2007年に発行された本なので、少し今とは考え方が違うかもしれない。

込み入った箇所なのでこれ以上言及しませんが、

気になった方は、本書該当ページを見ていただければと思います。

 

子どもに対して

夫婦関係としての本ではあるのですが、

子どもの要求をどう理解し、かなえていくか、でまず考えていったほうが、

特に夫婦関係に何らかにしっくり来ない経験がある人にとっては、

すんなり読めるのかもしれません。

 

子どもたちをしっかり観察してください。

彼らが他人にどう愛を表現するかにも目を留めてください。

それが彼らの愛の言語を知るヒントになります。

彼らの頼みごとにも心を留めてください。

なぜならそういったリクエストはたいてい、彼ら自身の愛の言語に沿った事柄だからです。

(『愛を伝える5つの方法』235ページ) 

 

肯定的な言葉、贈り物、クオリティ・タイム、サービス行為、身体的なタッチ。

確かに親から贈るものであり、そして子どもからも受け取れるものがあるなと感じます。

私が反省したのはクオリティ・タイムで、「ママーあつ森やろ~」のことばに、

「えー、ママはご飯作ってるからいいよ~」とか言ってしまいがちです。

贈り物は好きだから、学校から帰ってきたときに小さいメモとおやつを用意したら喜ぶかな。

みたいに考えることができました。

 

子どもって、ホントにあれこれ手間がかかるなあ!と日々思っちゃうけど、

子どもからの要求を「言語」と考えて、同じ言語で返すことによってタンクを満たす、と考えると、向き合いやすくなるように思いました。

 

私はなぜ英語を勉強しているか、の理由が見えた

さて。

就職にも昇進にも関係ない、無目的英語学習者のワタシですが、

この本を読んで、私の英語学習の動機はまた明確になりましたので、

そのことを書いておきたいと思います。

 

訳者あとがきに、次のようにありました。

 

「日本人はアメリカ人ほど感情表現が豊かでないから、愛の表現が下手なのではないか」などと心配する必要はない。

日本人に合ったやり方で愛情表現をすればいいのだ。

公でのほめ言葉やタッチなどが文化的に不適当だと思うなら、プライベートで表現すればいい。

肝心なのは、相手の愛の言語で愛情を感情的に伝えることにある 。

(『愛を伝える5つの方法』266ページ) 

 

冒頭に書いたように、私は肯定的な言葉にエネルギーを得るタイプの人です。

で、こういうタイプの人にとって、日本語の世界はなかなか泳ぎやすい海でもないです。

 

なぜなら、自分が欲しいだけの肯定がもらいにくいし、

肯定されたり、うれしいことを言ってもらえても「いやいや、まだまだです~」「それほどでもないです~」って即言わないと、変な人になっちゃう。

だから、喉から手が出るほど褒めてほしいのに、

その手が賞賛の受け取りを拒否してる…という、

おかしな矛盾を身体的に引き受けやすいんですよね。

喉から手が出てて、その手が拒否サインを出していて、心は泣いているという、

それどんな妖怪よ。笑

 

だから、「日本人に合ったやり方で」と言われてしまうと、

もうそれ以上私のタンクは満たされることはないです。

日本人に合ったやり方が私には合わないんだよ…。

常におなかの減ってる子みたいになっちゃう。

 

その点、英語は褒め言葉が豊富ですし、

褒められたら「ありがとう!私頑張ったんだよ~」って言って社会文化的にオッケー。

しかも私は学習者の立場でいるので、ちょっと英語で返事したり、ちょっと読んだりしただけで、先生にいろいろ褒めてもらえるので、

私の燃料タンクを満たしやすい状態なんです。

その結果私は、「えへっ今日も褒めてもらえた!」とニコニコ上機嫌で過ごせる。

なんとありがたい…!

 

 

これからは、遠慮なく、ありがたく頂戴します!

もっと褒めてくれ…ふるふる。

SLAM DUNK 16 (ジャンプコミックス)

 

ついでに言えば、私のニーズに関していえば、

身体的なタッチは、そこまでなくていいかなあ~と思うので、

ハグ文化のない日本は、その意味では私に生きやすさを提供しているのかも、と思いました。

(ということは、一次言語が肯定的な言語、二次言語が身体的なタッチの人は、日本では手詰まりを感じないか…?と不安になります。)

 

たまたま先日、

「It’s no secret that Japanese culture is less than ideal for touchy-feely people.」

日本の文化は、スキンシップが好きな人たちにとっては理想的な世界じゃないのは明らかのです、から始まるこの記事を先日読んだのですが、

この記事は「(日本でスキンシップ欲が満たされなくて)もうどうしようもなくなったら、渋谷のフリーハグの人にハグしてもら得ると思うよ!」と、

冗談ぽい感じで終わっています。

またまた。そんなにそこまでしてハグしてももらわないといけない~?笑 と思ったのですが、

私が日本語の世界では十分な言語的承認がもらえないよー!と思っているのと同じくらい、

日本語の世界では十分なスキンシップがもらえないよー!と思って苦しんでいる人もきっといますね…!

私が思っていたより、もっと切実な問題なのではないかと思う。

 

ついでに言えば、私の場合は英語を聞いているだけでわりと身体的なタッチは満たされてしまうのかも。

だって愛撫ですからね…、言語は…!

耳も音という刺激を感受しているんですしね!!

 

www.tsumako.com

 

まとめ

というわけでこの本は、

自分の一次言語を知り、相手の一次言語を知り、

お互いに満たしあおう!という趣旨の本でした。

 

そして副産物として、私がなぜここまで、

英語を毎日のように浴びてるのかもまたひとつ理由が明らかになってしまった。

 

肯定してもらえて、心にも耳にも気持ちいいからです。

これからは、何で勉強しているか聞かれたら、そう答えようかな。

(ドン引かれる)

 

あとは…、

この本を読んで数日たった今思うと、

私たちを取り巻く人間関係は夫婦関係だけではなく、

親や子ども、友だちといった他者もいるわけなので

周りの人の言語も知って、

「お互いにどういう愛なら与えやすいか」

「誰にどういう愛を与え、誰からどういう愛を受け取るか」

を考えていくのもいいのかなあと思ったのです。

 

タンクを満たすのは必ずしも配偶者からだけではなくてよいはずなので

(倫理的な問題にならないように…は必要だけど)、

より実践的なところでいえば、

お互いにスペースを持ちつつ、お互いの感情のタンクがいろんな方向から満たされるのがいいんじゃないかなと思います。

 

つま子

自分のタンクの管理を人に任せず、自分で、幸せで満たすようにしたいです!

 

 

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今日もいい一日になりますように!

 

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