おはようございます。
梅つま子です。
毎日の日課にしている、オンライン英会話。
いつもの先生とのレッスンが500回を迎えました。
私が今までこのプラットフォームで受けた総レッスン数が2600回くらいなので、
5分の1弱が、この先生とのレッスンということになります。
1回25分のレッスンなので、25×500で、12,500分。
レッスンが成立しなかった回や、10分とか15分で切り上げたときもあるので、実際はこれより短いけど、
「よくもまあそんなにしゃべったね」
と思われるくらいの量は話しているはずです。
いったい彼は、何なのだろうと思うことがある。
オンライン英会話講師であるんだけど、
彼は私の英語を訂正することをずっと前にやめているし、
(「もうあんたの英語は慣れたから直さないけどいい?」と言われた。ひどい…。)
私も、別に英語を習うだけだったらもっと有能な先生がたくさんいるよな、と思っている。お互いにひどい。
確かなのは、彼が相手だと私はよくしゃべるし、よく考えるということです。
他の先生でも同じようにいくかというとそうはいかない。
もっと有能な先生がいると思うならそっちの先生を選べばいいのに、
つい彼と話しているのは、
私にとって彼は、「交換不可能な誰か」だから、なようです。
ただ、どれくらい「交換不可能」かといえば、本当は交換不能なんてことはなくて、
たとえば国や会社のトップですら、別の人が代わっても世界は回っていくように、
その先生がいなくなっても、私は別の先生を見つけることはできるんだろう。
だけどその人がいれば学びが深まり、
自分らしくしていられる、と思う感覚は、
「この人は交換不可能だ」と思うに足ることなんだと思う。
こういう考えのヒントになる本を幸運にも読むことができました。
それはこの本です。
天畠 大輔 岩波書店 2021年10月22日頃 売り上げランキング :
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天畠大輔さんのツイッターのリンクを貼っておきます。
天畠大輔さんは、14歳のときの医療ミスで重度の障がいを負っていて、
発話が困難で、
あかさたな話法という方法で介助者に伝えたいことを読み取ってもらうというコミュニケーション方法をとっています。
そんな天畠さんが、介助者をどのような存在として捉えているかを述べている部分を引用します。
僕が心がけているのは、介助者を友達の延長線上の「友達以上介助者未満」とみなし、友だちにも近い介助者というポジションに置くことです。単なる手足としての介助者だと、僕の気持ちを共有しにくく、やりたいことがスムーズにできない場合があります。また、あまり友だちのようになりすぎても時間にルーズになるなど責任感が少なくなる危険性があるのです。なので、僕は介助者との関係性を築くにあたって、「友だち以上介助者未満」という面を意識しています。ただの無味無臭な「契約関係」ではなく、義理人情を大事にすることで、お互いに一歩踏み込んで頑張ることができます。そのような「甘え/優しさ」の連鎖で僕の生活は成り立っているのです。僕はこのように介助者と友達のような深い関係を築くことで、介助者を「交換不可能」なものにしているともいえます。
(『〈弱さ〉を〈強み〉に: 突然複数の障がいをもった僕ができること』141から142ページ )
これは私がオンライン英会話の先生をどう見ているかに重なるところがあります。
私の英語は完璧ではないので、
相手に読み取ってもらったり、
オンライン辞書を使ったりして言いたいことを言っている。
相手の英語力のほうが格段に高い以上、歩み寄ってもらって助けてもらうことが必須です。
私に「英語力を伸ばしたい」、「こういうテキストでこういうことをやりたい」というニーズがあり、それを相手に助けてもらって成立するやりとりです。
物理的に身辺を世話してもらうことはありませんが、
教師と学習者の関係であり、「介助」に近いと感じることがある。
そして、オンライン英会話のプラットフォームを介することで、先生にはお金が支払われているので、
ここには契約関係に似たものがあります(私と先生が直接の契約を結んでるわけではありませんが)。
だけど「無味無臭な「契約関係」ではなく、
義理人情を大事にすることで、お互いに一歩踏み込んで頑張る」。
つまり、私もがんばるし、向こうにもがんばってもらってる感覚はとても強くあります。
たとえば、
私が「Anastasiaって女の子の名前は、なんだっけ…手術の前に感覚をnumbにするやつに似てない?」
と聞いて先生が「anesthesia(麻酔)のことね」
とか、
「word of mouth(口コミ)というのはtestimonials(ユーザーの声)みたいな?」と私が聞いて「そう商品のreviewみたいな」と先生が答えて、
そういうやりとりで私の英語の知識とか運用力を強化してもらってきました。
こういうのは英語の形だけの話だけど、
それじゃなくて、
いろいろ相談とか、決めなきゃいけないことがあるときにも、
普通の友達として話を聞いてもらうようになりました。
この関係性は具体的にはどういったものなのでしょうか。それは、困ったときにお互いを支え合える関係性だと思っています。ケアされる側とする側という一方的な関係性では決してなく、ともに見返りを求め合い、尊敬し合える関係性です。この関係性は、無味無臭になりがちな契約関係では成立するのがむずかしいでしょう。介助者が自発的にかかわろうとすることで初めて成り立つのです。
(『〈弱さ〉を〈強み〉に: 突然複数の障がいをもった僕ができること』143ページ)
私も、私が自分のいろんな話をするように、
先生のいろんな話を聞いてきて、
私がこれからも、先生のよき友達であるといいなと願っています。
先生が、金銭以上の見返りを得ていると感じられているといいなあと思います。
誰と行うか、すなわち"With who"がとても大事、という話がこの本にも出てきます。
「一人ひとり個性や主体性を持ったオリジナルな存在として介助者と向き合っていきたい」と天畠さんは述べています。
私も、オリジナルなその先生に向き合うと、
この人だから私は英語を勉強したい、英語を話す自分でいたいという気持ちが増すなあと思います。
これ、何かに似てると思ったら、分人主義の考え方に似ています。
介助者とサービス利用者の間にも、分人がつくられていて、
「私の中に作られるあなた向けの分人」と、「あなたの中に作られる私向けの分人」がうまくいくと、学びが深まるということなのでしょう。
交換不可能な相手に対してつくられる分人は得がたいもの。
自分の人生全体に影響を与えるような、インスパイアリングな存在だと思います。
天畠大輔さんの博士論文が書籍化されたようで、これもぜひ読んでみたいです。
天畠大輔 生活書院 2022年03月08日頃 売り上げランキング :
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交換不可能だと思える相手と学ぶとき、学びが最大限に深まるのではないでしょうか
今日もいい一日になりますように!