明日も暮らす。

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シンプルで暮らしやすい生活を目指しています。オンライン英会話(英検1級)と空手(黒帯)が趣味。大学院博士課程修了(人文科学)。2児の母。

傷ついた自分に向けるやさしい目線。ジェーン・スー『これでもいいのだ』。

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おはようございます。

梅つま子です。

 

またジェーン・スーさんの本を読みました。

 

ジェーン・スー 中央公論新社 2020年01月09日頃
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この本を実家で読んでいたら、母が、

「あらっ。ジェーン・スーさん!この人面白いわよねえ。すごいわよねえ」

と、たいそう褒めてきました。

 

そして私の、図書館から借りた私の読みかけの本を取り上げて、

足を組んでじっくり没頭モードで読み始めるんで、

「ちょっと、私まだ読み途中だから!」とあわてて取り返してきました。笑

 

 

そんな母娘で大好きなジェーン・スーさんのエッセイ。

じんわりするなあ、面白い視点だなあ、鋭いなあ、と、頭の中でふむふむ言いながら読んだのです。

 

そして気づいた。根本にあるのはやさしさでした。

そう、傷ついた人や疲れた人、困っている人への視線がとてもやさしいんだなあと気づきました。

 

だから読んでて癒されるし励まされるし、グスンと泣きたくなります。

 

ジェーン・スーさん自身がそうやって苦しんできたし悩んできたんだろうな、と思わせる文章がたくさん。

 

「エンターテインメントは命の糧」というタイトルで。

我を忘れるほど、誰かを絶え間なくを応援することで、目の前のつらい現実から、しばし目を背けることができる。もしくは、単調な毎日を、明るく過ごせる。そういう人もいるのだ。エンターテインメントやスポーツは、ファンにとっては命の糧になりうるものだ。
(『これでもいいのだ』131ページ) 

 

「健康にはお金がかかる」というタイトルで。

体中に帯電したストレスを外に逃がすため、私は南国を目指す。充電の前には、放電が必要なのだ。
(『これでもいいのだ』137ページ)

 

一日一日をどうにかして生きるために、汗をかいて、考えて選んできた人の書く文章だなあと思いました。

 

元気に前向きに生きていくための考えるコツも満載でした

 

どうにかして「楽しい」と「体に有意義」を等号で結びたい。見た目も気になるが、この歳になると生活習慣病が心配だから。欲しいのは、細い足より丈夫な胃腸と十年前の体力。
(『これでもいいのだ』147ページ)

 

あのときの大人に教えてほしかったのは、「継続」と「連続」は別物だということ。スタンプカードは、あくまで連続性を強調するシステムではないか。連続に途中欠場は許されないが、継続には休暇も許される。ラジオ体操のカードに、日付なんかいらないのだ。途中で休んでも、八割参加したらすべての枡が埋まるようになっていて、二割はボーナスポイントぐらいだったらよかったのに。八割参加だって、十分に継続と呼べるだろう。(中略)ラジオ体操も、日記も、ダイエットも、連続記録更新が目的ではない。継続のためには、適度な休憩も必要なのだ。
(『これでもいいのだ』154から155ページ)

 

そして、一番感動したのがこちら。

子持ちの母親のことについて書かれている一説です。

私の周りに限ったことかもしれないが、既婚か否かにかかわらず、子どものいない女性が、ちょっとしたことに謝り倒すのを見たことがない。謝罪コミュニケーションを用いるのは決まって母親だ。嫌な予感がする。
母親になった女友達に、失礼を承知で尋ねてみた。曰く、子どもを持つと自分以外のことで謝る機会が増えるのだそうだ。
子どもという同行者がいれば、謝罪の量が増えるのは理にかなっているようにも思う。しかし、自分だけにかまけていればよかった時代に、彼女が「ごめんなさい」とすまなそうに謝っていた記憶はない。量が増えたことより、謝罪の質が変わっていることが気になる。
突っ込んで尋ねると、嫌な予感は当たっていた。「喜んでかまってくれる人もいる」と前置きし、彼女は続けた。「泣いていようが笑っていようが、子どもが自分と同じ場所にいるだけで、気に入らないという人もいるの。父親が一緒のときは、明け透けな不快感を、同じように示されはしないんだけど」。
暗澹たる気持ちになった。それなら母親は平身低頭で謝るしかない。不屈の精神を貫こうものなら、子どもが被害を受けることもあるだろう。これではまるで子ども嫌いに子どもを人質にとられているようなものではないか。
(『これでもいいのだ』96から97ページ)

 

子どもがいることの「大変さ」(とあえて言う)を、

私は誰からも、ここまで理解されたことはなかったと思う。

「大変だね。でも、仕方ないよね。(⇒子どもを産んだんだし。あなたのチョイスだし。子育てってそういうものだし。)」

って、思われていた。自分でも思っていた。

この文章に出会うまで。

「平身低頭で謝るしかない」からそうしていたその理路を自分でも意識すらしてなかったけど、

そうだからそうするしかなかったんだね?と初めて理解されて、うれしくない人がいるだろうか。

 

どうして自分がそういう行動をとるしかないかを、

読み解いてくれるやさしさを持つ人が同時代に生きていて、

お願いもしていないのにそれを文章化してくれる喜び。

 

ありがとうと思いました。

ありがとうジェーン・スーさん。

 

多分、私は「びっくりしたね、もう大丈夫だよ」と誰かに言ってほしかったのだ。それは子どもにかける言葉だけれど、大人にだって有効だ 。
訳もなくみじめで不機嫌なときは、大人だってびっくりして傷ついている。でも、大人はびっくりしたぐらいじゃ傷つかないものとされているから、不機嫌になるしかない。
大人にだって子どものしっぽは残っている。誰かに安心させてほしくなるときだって、背中をさすってほしくなるときだってあるのだ。 
(『これでもいいのだ』224ページ)

 

私にとってジェーン・スーさんの文章は、

「びっくりしたね、もう大丈夫だよ」と背中をさすってくれる手なのかも。

 

きっと、好きな文章を書く作家を見つけること自体が背中をさすってくれる手なんだな。

そして私も誰かの背中をさすれる手になれたらいいし、

ジェーン・スーさんにもそういう人がいますように。

 

つま子

これからもジェーン・スーさんの文章を追いかけていくという楽しみが生まれました☆

 

今日もいい一日になりますように!

 

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