明日も暮らす。

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シンプルで暮らしやすい生活を目指しています。オンライン英会話(英検1級)と空手(黒帯)が趣味。大学院博士課程修了(人文科学)。2児の母。

43歳になった今年、友人関係に変化がありました。

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おはようございます。

梅つま子です。

 

このところずっと考えていたことなのですが、

どうやって書いたらいいかなあと思っていたことを、

年末だし、心のままに書いてしまおうと思います。

スッキリして来年を迎えたい。

 

表題のとおりですが、

今年は友人関係に変化がありました。

 

先に、私が10~20代くらいのときに持っていた、

「40代の友人関係のイメージ」を述べておきますと、

1.もう新しい友人が開拓されることはない

2.過去に仲良かった友達と、

「あの頃あんなことがあったよね~アハハ!」とかおしゃべりするのかなー

 

と思ってた。

でもそんなことばかりでもないんだなと気づいたのです。

 

ありがたいことに、

30代後半~40代になってからの「新しい友達」も何人かできまして。

 

私の場合、新しい友達というのは、

ブログをやっている人同士で実際に会うようになったブロガー友達もいれば、

子ども関係で知り合ったいわゆるママ友もいます。

仕事がらみで出会った人もいます。

 

またそれとは別に、以前からの友人との付き合いが、

なぜか時を経て活性化して、

学生の頃より頻繁に連絡を取るようになって。

 

これはSNSを利用できるようになったことが大きいなあと思います。

10代から20代は、日常生活の中で会えるかどうかがすべてだったけど、

実際に会えなくても、LINEがあれば、

普通に活発な友人関係を持ち続けることができるというのは、

多くの人が実感しているところかなと思います。

 

今年の私は、2人の親しかった友人と、距離を置くことにしました。

一人とは学生時代に知り合い、

もう一人とは最近知り合いました。

とても賢い人たちで、とても仲良くしてくれた人だけど、

「私のことを友達と思っているんだろうか?」

と首を傾げたくなるような行動や言動がいくつかありました。

 

私だったら、友達に対して言えないようなことを言ったり、しないようなことされて、

ひどく動揺しました。

 

彼らが困っていたときもあって、

そのとき私は、

「私に話をすることで楽になれるなら」

と思ったし、

私が心がざわざわするようなことを言われても、

「友達なのだから、これくらいは別にスルーすることかな」

とも思った。

そう思ったから、疑問を感じ始めても、

付き合いを続けていたけれど。

 

具体的に書くことは避けますが、

似たようなことで例に出すと、

・ちょっと遠くに住んでいる友達だが、いつも相手の家の方まで出向くのは私

・私は爬虫類が嫌い(仮)で、それを相手にも伝えているのに、いつも爬虫類の話をされる

・私にも話したいことはあるのに、いつも相手の話ばかり聞かされている

・相手の話が不幸自慢みたいになっている

・聞かれたくないプライベートに踏み込まれている

・割り勘のはずなのになぜか自分がいつも多く払っている

・出かけるときはいつも自分が行き先を考え、下調べをする

 

こんな感じの、

「よくあることだけど続くとげんなりする」みたいなことがありました。何度も。

 

私は、自分の時間や精神状態(機嫌のよさみたいなもの)を、

軽視していたと思います。

「私は大丈夫」と思い込んで、ずいぶん我慢してしまっていたと思う。

 

安売りできるほど潤沢に、私には時間や元気が有り余っているわけじゃなかった。

 

「この人にはカウンセリングが必要なんじゃないかな」と思ったこともあった。

会話をしながら、「これはもう私が友達として聞ける話じゃないな」と思っていました。

カウンセリングなら、教育を受けたプロが、対価を得ながら対応しなければならないことだし、

私にはそれはできない。

 

この関係性はなんかおかしいと思いながら、

どうしたらいいのかわからずに、ずるずると、やりとりを続けました。

 

終わりにしないといけないと思えなかったのは、

友達として魅力的な人たちだったからです。

彼らに知性を感じたし、

彼らと出なければできない会話があった。

楽しい時間でした。

 

「私はもう、ちょっともう耐えられないかも」と、

「せっかくの友達を失うなんて」を

何度も振り子のように往復しました。

 

彼らに、

私に対して「困らせてやろう」とか「傷つけてやろう」というような害意がないのに(ないと信じる)、

こうなってしまうのは、

たぶん「性格が合わない」の部類なんだろうと理解しています。

 

瞬発力のない私が、なけなしの瞬発力と胆力を振り絞って、

「それはちょっと失礼じゃない?」

「私はそういうことを言われたら動揺する」

と相手に伝えても、

私が「?」と思うような言葉や行動は続く。

 

たぶん彼らは悪いことをしていると思っていない。

そして私は、相手が悪いと思っていないだろうことに対して、

何回も「私は傷ついたよ」と伝えるガッツを持ちきれなかった。

 

人間関係はパワーだと思った。

 

こんなにパワーを消費するものだったと気づかないでいられたのは、

私が、ある程度私に気を遣ってくれる人たちの中にいることの証だと思う。

 

そして、この年になったからこそ気づいたんだけど、

10代20代の頃は若さであったり勢いであったり、

学業であったり恋愛であったり、のなかで、

隠されていたものがあったらしい。

家族との確執であるとか、もともとのその人の性質みたいなもの。

そういうのが時間差で、30代や40代になって友人関係の中に影を落としてくるようなのです。

 

どうしても許せない親への思いとか、

どう育てられたか、子どものころにどういうことがあったのかが、

今になってポツリポツリ語られる。

中高生、大学生の頃はまだ混沌として言語化できなかったものが

大人になってしばらくたち、ようやく言語化されるようになるのかもしれない。

 

私にとって幸いだったのは、

この状況を聞いてくれる別の友人がいて、

適切なアドバイスをくれました。

「つま子ちゃんだけじゃなくて、ほかにもいると思うよ、友達は」

「She's treating you like a doormat(踏まれまくりのドアマットみたいにないがしろにされているんだと思うよ)」

と教えてくれました。

 

前者の言葉はそのあと「舐められているんだよ、つま子ちゃんは」という衝撃の言葉に続きました。

そうかもしれない。私、迫力ないからなー。

でも学生時代あんなに仲良かったのに?と思ったし、

さすがにもう大人になって、

気が合わない人とは距離を置くすべも学んできたつもりだったので、

こういうことが起こる準備が心の中になかった。

そして、「今、何が起こっているのか」を冷静にみる目を私は持ってなかった。

 

後者の言葉を言ってくれたのはオンラインの英語の先生で、

友達との間でこういうことがあって…と相談していたら親しくなって、

その後、彼女とは『アルケミスト』、『ソフィーの世界』を一緒に読めたので、

「友達にこういうことを言われて…」なんていう学生めいた相談ごとにも、

いい面があるのかもしれない。

 

そういうわけで、しばらく疑問符が頭に浮かんだままの友達関係を続けたあと、

頃合いを見て、私にしたらものすごく思い切って、少し距離を置くようにしました。

毎日のように向こうから連絡が来る相手と、自分から距離をとることは難しかった。

 

うそをつく気にはなれなかったので、

「○○ができるようになりたいので、これからは○○する時間を増やすことにする」

「ちょっと調子がよくないので、少し距離を置くね」

と伝えました。

 

そして、私がそう伝えた後、

彼らは何にも言ってこなかった。

「どうしたの?」も、

「調子悪いの?」も、

「私、つま子に何か悪いこと言ったかな?」も、何もない。

 

彼らは、私に悪いことをした意識がない!OH!

そして、

特に私のことも積極的に必要としてない!!

 

私は何だったんだ、

最寄りのゴミ箱?

 

いつまで経っても何もないから、

さすがに私も、

そういうことなんだなと、理解した。

片思いみたいな友情だったんだな。

 

今でも、

「ああ…(モヤモヤ)」

と思うことはある。

続けられなかったのかなあ、と思いがよぎることはないことはない。

 

でも、大きく満足しています。

相手から大事に思われていない友人の心配をするという、

かなしいアクティビティが生活の中から消えたわけで、

心のつっかえが取れて、生活はシンプルになったと言わざるを得ません。

 

彼らと楽しい時間を過ごして、

この結末も含めて、大事な学びを学ばせてもらったという事実があります。

怒りとか、もう二度と会うものか!というような心構えもなくて、

「楽しかった時間があったな~、またいつか、やりとりできるときが来るかもな!」

と、シンプルに明るく思っております。

 

そして、こういうことがあると、

私の様子を見ながら、時には心配しながら、私と友達でいてくれる友達がありがたい。

こんな私でも仲良くしてくれる友達がいるんだな~ということがありがたくてたまらないです。

 

気が合わない友達との別れではなく、

気が合うと思っていた、特別だった友達と離れることだったから、

痛みがあった。

でもこれは2022年の、ちょっと特別な思い出として置いておこうと思う。

 

つま子

大事に思い、大事に思われる少数の友達と関係を築ければ、それで100点満点だな☆

 

今日もいい一日になりますように!

 

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