明日も暮らす。

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シンプルで暮らしやすい生活を目指しています。オンライン英会話(英検1級)と空手(黒帯)が趣味。大学院博士課程修了(人文科学)。2児の母。

そうか、私がやってるのは、中年の体育だったんだ。角田光代『中年体育』を読んで考えたこと。

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おはようございます。

梅つま子です。

 

こんな本を読みました。

 

 

中年体育…

クスッと笑っていいのか、苦笑いなのか、

それともドキッとするのがいいのかわからない…

わからないのは、自分がまさに中年で、

まさに体育をしているからであろう!

娘と5年前に始めた空手という形で!

 

中年体育かー。

言われてみればそんなにぴったりする表現もない。

 

なんでわざわざ中年体育』、というタイトルには、

「やらなくてもいいのに」

「もう若くもないのに」

「他にいっぱいやることあるのに」

というコトバが透けて見える。

 

中年と体育という単語が似つかわしくないから、

笑いたくなるし、自分の身にひきつけてドキッともするのだわ。

 

だってうすうす感じている。

この年代ほど体育を必要としている年代はないだろうよ!

 

体力の衰えを感じ始め、

筋肉やら骨やらのピークは越し、「維持」という課題を抱えている。

この時期、体育しなかったらどうなるかは想像に難くない。

 

だから笑っている場合でもドキッとしている場合でもなく、

中年体育そのものをしなきゃいけないんだと私は思う。

恥ずかしいとか今更とかいう言い訳を、あっという間に言えなくなるんだろうからな。

 

しかしこの角田光代さんという人は、

ガチのランナーである。

「この5年間、週末は必ず、雨さえ降らなければ10kmから20kmの距離を私は走っている。(『なんでわざわざ中年体育』p.10)」

ですって。

 

すごい…。

本書の中でも、いくつもフルマラソンを走りきり、

トレランという、山の中を走るやつまでしている。

 

すごい!

なのに、角田さんは走るのが嫌いらしい。

毎週走るのも、

 

「走りたい!」という前向きな気持ちではなくて、土日にはぜったいに走らなければいけないという強迫観念の故

(『なんでわざわざ中年体育』p.228)

 

なのだそうだ。

 

走るのが好きじゃなくても毎週走れて、

マラソンすら走れるのかよ(羨望)。

 

運動の得意な人だけが運動をするのではない。

好きな人だけがするのではない。

健康に気を遣う人だけがするのではない。

ほぼ4年間の連載で、数ヶ月に一度の体育の授業に参加するように運動してきたけれど、やっぱり最後まで私は運動を好きにならなかった。

走ることも、汗をかくことも、高いところを歩くことも、嫌い。

嫌いだと自覚しているからこそ続けられることもある。

(『なんでわざわざ中年体育』p.4)

 

あーそうか。私はこれをすごいなと思うし、同時に、私もそうだと思う。

私も運動は嫌いだもんな。

納豆も、(納豆に聞かれると嫌だから声にはしないけど、)実はたぶん嫌い。

食べられるし、習慣にしてるから美味しいと思おうとしてるけど、

「おいしいーい!(ハッピー)」という感じではない。

嫌いじゃなかったら意識しないだろうから、かえって食べないだろうと思うし。

 

そんな角田さんは、筋肉がつくとか痩せるとか、

ボケ防止になるとかの健康上のメリットから走っているわけではないらしい。

 

やってみて、一番興味を引かれるのは、「体力作りに有効かどうか」ではなく、「自分にできるかどうか」なのだ。

できると、「えっ本当に?」と驚くし、できなければ、「やっぱりそうだよな!」と笑いたくなる。

そしてやっぱり驚くのは、中年になって(からはじめて)もできることがある、と知ることだ。

(『なんでわざわざ中年体育』p.4)

 

ひるがえって私は、「体力作りに有効である」ということが、

空手を続けている大きな理由のひとつだと思ってるので、

角田さんの基準が「自分にできるかどうか」である、というのはなんか不思議な気がする。

 

でも空手を5年めになって、曲がりなりにも形を覚えて、打つことができたときに、

「ああ、私にもできてるらしい、できたんだ」と思う感激はある。

そのとき、

空手の神みたいな存在がちょっと感じられるような気がして、

参加を許されているような気がする。

 

体力作りのためだけではなく、

なにかやらなきゃいけない活動のように感じて、

毎週のどこかの時間を捧げ、

ああ、自分にもできる、とか、できない、と感じることができることで、

自分って生きているんだなと思う。

 

空手がなくなっても体力作りはできるだろうけど、

この、できる・できない、生きてる、という感覚が、

そうそう得られるものではないと思うから、

許されていると思えるうちは通おうと思う。

 

本書の最後には「中年体育心得8か条」というのがある。

「中年と自覚する」

「高い志を持たない」

「ごうつくばらない」

などがあるのですが、この「ごうつくばらない」は私は両頬をはたかれる思いがします。

 

痩せる、体脂肪を落とす、中性脂肪値を落とす、生活習慣病を予防する、その運動を介して新しい出会いを求める、人生の倦怠を帳消しにしてもらう、等々、何か得しようとすると、挫折は早まります。

(『なんでわざわざ中年体育』p.260)

 

そうか。好きでもなく、効果に何も期待しないときに、

それでも自分の体がそこに向かうかどうかなんだな。

 

ところで、8か条の最後、「活動的な(年少の)友人を作る」に関しては、

私は幸運なのである。

この間、小1の男の子には「何年生?」と聞かれたし、

ちなみに「(最後に在学した大学院ではD)3年生(まで在籍した)よ」と答えた

小2の女の子には「知り合いにならない?名前なに?」と聞かれたし、

向こうから友達になろうと声をかけてくれる。

本当に生き天国(生き地獄の反対)であることよ。

 

声をかけてくれる特定の子どもたちには、

彼ら彼女らが40代になったときに、

素敵な中年体育との出会いがあるように魔法をかけてあげたい。

 

中年体育。そうなんだ。私がやってるのは。

つま大学の健康スポーツ学科の選択科目として、

中年体育を永年的に選択して、中年体育的なスタンスで、

少しでも空手への理解を深められたらいいなと思う。

 

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つま子

中年体育をこれからも選択しつづけます

 

今日もいい一日になりますように!

 

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