梅つま子です。
大学の友人を誘って、世田谷文学館に行きました。
最寄り駅は京王線の芦花公園駅。初めて降り立ちました。
芦花は徳冨蘆花のことのようで、近くに芦花公園という公園があるのでした。
駅前の道をてくてく南に10分ほど歩いていくと、目立つ看板が。
小さな建物ですが新しくて感じがいいです。
この左側にある小さな堀っぽい池に住んでいる立派な鯉たちにしばし気をとられました。立派だしたくさんいるんだもの。
さてお目当ては、寺山修司展でした。
今年が生誕90周年なんですね。
この展示では寺山修司が主に友人たちに当てた手紙、葉書が公開されていました。
メールのなかった時代、という背景もあるのか、本当に気軽に書いて送るものだったようです。寺山修司にとって。
上のリンクで公開されている「ドンナニ少シデモイイ。オカネホシイ」はインパクトがありますが、小説家の友人に向けて、飼ってるグッピーが増えちゃったから要らない?とか、締め切り間に合わないならみたいな手伝おうか、みたいな親しげな葉書は、もらったらクスッと笑うだろうなと、ちょっと困った面白い男っぽさがとても出ていた手紙に見えたけどもらった人にとってはどうだろう。グッピー要るかと言われてもか困ったかな。
年表によると寺山修司は21歳で最初の出版(歌集『空には本』)をしていて、30代には映画や舞台のために欧米諸国に何度も招かれてる活躍っぷりなのでした。何をどう活動したら国とか大学レベルからバンバン招かれることになるんだろう?よっぽど目立っていたに違いない。
私は主に歌人としての寺山修司しか知らないのだけど、47歳で生涯を閉じるまでの活動の何を今の若い人たちは知るんだろう。展覧会は広くないスペースだったけど若い人もたくさん来ていました。
ここだけは写真オーケーのところ。
「田園に死す」という歌集からの短歌の展示。
同名の「田園に死す」という映画があって大学生の時見たのですが、川をひな壇が流れてくるという強烈な場面ばかりが頭に残りました。今も。強烈な映画です。強烈だったということは、赤いひな壇とともに覚えている。
内容は覚えていないのでした。
私はもっぱら、
海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり
とか
きみが歌うクロッカスの歌も新しき家具の一つに数えんとする
といった清らかで若く柔らかくまっすぐな明るい作品が好きだったけど、
寺山修司の作品のなかでそれは一つではあっても代表するものでもないのかもしれない。違うんだろう。
友人とランチを食べながら、
「今の若い人はどのように寺山修司を知るんだろうか。アングラ演劇というのは寺山修司を超えるものが現れてるんだろうか」
というようなことを話したけれど、
私は「寺山修司という名前はものすごくいいのではないか」というようなことを言うにとどまった。
寺山修司という名前は文明的な感じと自然の感じのバランスがすごくいいし、全く古臭くなくてかっこいい。例えば空手の黒帯に「寺山修司」って刺繍されてたらすごくかっこいい。強そう。
それにしても寺山修司の葬儀の会葬葉書に葬儀委員長の名前で谷川俊太郎、と発見してしばし驚きでした。
文学館の200円は安いし、住宅街は静かで歩きやすい。
世田谷の底力や恐るべし、とか言いながらさらに南に歩くと芦花公園がありました。
そして徳冨蘆花邸も。
3つの建物が廊下でつながっているタイプの日本家屋で、
「縁側っていうのはいいよね」と言いながら奥まで歩いて見学したのでした。
「文学部を出てるのに徳冨蘆花を読んだことがなくて気まずい」と私が言うと、
同じ学部を出ている友人は「何か読んだけどお兄さんの悪口が書いてあったことしか覚えてない」と言いました。
お兄さんは徳冨蘇峰。受験で覚えたことしか覚えていない。
兄弟仲の悪さで有名だったそうなので、そういう目線で下世話に読んだら面白いかもしれない。
甘いものを求めて立ち寄ったカフェがよすぎた。
若者の自立支援をしているカフェで、もし私がこの近辺に住む当事者だったら絶対に入り浸っているだろうと、パラレルワールドにいる私が容易に想像できるくらい。
Green Witch Tea House (グリーン ウィッチ ティー ハウス) - 芦花公園/カフェ | 食べログ
季節のハーブティーもとても飲みやすかったし、キャンドルをともしてあったかくできる心遣い。楽しい。
全体として、よさにあふれている一日でした。楽しかった。
寺山修司の名前が好きだと気づいたこともよかったし、いつか徳冨蘆花読もうかなという気持ちになったのも。
青空文庫に入ってるものならすぐ入手できるのだからすぐにでも始めるといいのかも。
今日もいい一日になりますように!