梅つま子です。
娘が幼稚園の年中の時に一緒になって空手を始め、
6年経ちました。
初段補になり、黒帯を手にしたのが去年。
そしてとうとう、初段にチャレンジするときがやってきた。
自分の黒帯を持っていることがいまだに嬉しくて、信じられなくて、
毎回の練習で新しい気持ちになります。
こんな私が黒帯に?!といつも思っています。
昔、空手を始めてもいなかったころは、
空手の黒帯=どんなけんかをしても負けない猛者、だと思っていましたが、
39歳の運動音痴が空手を始めて6年経っての私の黒帯というのは、
やっぱり私の黒帯です。そんなに人は簡単には生まれ変わらない。
だけど、一緒に練習をする小学生たちに負けていられないと思うと、
体力を衰えさせている場合じゃない。
図書館を愛する文弱で生きてきて、万年運動不足だけど、
自分なりの空手との付き合い方を深めていきたいなあと思うものです。
そんななかで今年、裏回し蹴りを覚えようと悪戦苦闘を始めたのは、
大きなことでした。
裏回し蹴りの仕組みさえよくわからなかったのですが、
「やればなんとかなるものだから」というアドバイスを受けてやってみると、
なんとも気持ちがいいものです。
足を大きく振り上げるのって気持ちいい。
自分の体が動くのって楽しい。
一年に一つずつ段を上げていき、
45歳で初段、
46歳で二段補、
47歳で二段に昇段できるようにと思っています。
まずは続けていかないとどうにもならないことなので、
最低限のこととして、空手ができるメンタルを保ちたい。
空手ができるメンタルというのは、
私の理解でいうと「自分はそこそこいい、悪くない」と思えることなんだと思う。
上向きの気持ちがないと、小中学生と一緒の練習をする気持ちが続かない。
そして「自分はそこそこいい」と思えるためには、
結局は毎日、最低限の緊張の糸を切らないことなんだと思う。
朝は納豆を食べ、英語を教える仕事の合間に型を打つ。
ある程度のところで昼ご飯を切り上げ、
仕事に戻る。
おやつはなるべくちょっとでやめておき、
少しだけでも洋楽に合わせて運動する。
夕飯の準備にとりかかりながら、
気づいたときに足を振り上げたり型の復習をする。組手の技を確認する。
鏡の前で手の角度をチェックする。
夕飯はそこそこにしてさっさとお風呂に入って寝る。
決してストイックではなくて、自由時間はたっぷりあり無理はしない、
けれどもどぎつく羽目は外さない、
淡々とした毎日のなかで私の空手はあるんだよなあ、と思います。
空手をしている自分が好きです。
英語を勉強し、英語を教えている自分も。
空手と英語という2つ、
ほんの6年くらい前までには私にとって特に深い意味を持っていなかった2つが、
私の生活の中で今、かなりの時間を占めて存在しているのがとても面白いし、
どこにも行けない私がこの2つのおかげでどこにでも行けているのがとても面白い。
頭と体のエクササイズとして私を十分に疲れさせてくれて、私に平和な睡眠をくれるのもこの2つのおかげです。
幸運にも自分ができていることだから、このできていることを、
過度なほどにありがたがり、喜びながら生きていこうと思います。
空手ができるなんて私は何ていいんだろう。
数年前には全く空手の世界を知らなかったくせに何を言ってるんだろうと自分でもおかしいんだけど、
ソーイングビーを見ていたら、ほんとに数年前にミシンを始めた人が、
裁縫歴60年です!という人と戦っているのです。
(シーズン4に出てたジェイドは18歳でジェイドは71歳。)
こういう分野がほかにあるのだろうか。芸術系だとあるのかも。
スポーツだと経験や何歳から始めたかによってものすごく差がつきがちだ。
英語もそうだな。
だけど本質的には、何かに出会えてそれが自分を救うとき、
どれくらいの経験があるかというのは関係ないんだと思う。
ソーイングビーの出場者は年齢や経歴にかかわらずみんなすごいミシンの腕前の持ち主だから、すごいな、と思うんだけど、他者から受ける評価の意味づけというのは、ほんとはすごく薄いのではなかろうか。
だれが選ばれる、誰が落とされると決まるのは客観的なことだから、番組はどうしても客観的に進んでいくけど、でも大事なのは自分が裁縫とどのような関係をもち意味づけるかということ。
番組の出場者が、お題をちょっと曲げたり、評価されないかもと知りながら自分のチョイスを選択してるとき、私はついにやっとしてしまう。そっちのほうがかっこいい。
少なくとも私が空手をやっているのは、私が空手がうまいからとか頼まれたからとかではなくて、
私が空手の動きが好きで、空手をもっと理解したいと思っていて、
空手をしているときの自分が好きで、空手を通してもっと自分を理解したいと思っているからだということを試験の前にはもう一度確認します。
今日もいい一日になりますように!