梅つま子です。
在宅ワークをし、家事や育児の大部分を担う人として生きていて、
このライフスタイルが自分に合っていると感じているのですが、
家事はできるだけないそこに時間を割かないほうがいいもの、
なるべくラクをするのが正しいもの、
そして外に出て働くほうがすごくて価値があるっぽい、
という気持ちもまた持っているがゆえに、
なんとなく本当は違う姿を目指すのが好ましいのにそうではない姿をしている自認もあったのでした。
でも、上述のように、この生活はどうにもこうにも見事に自分に合致しているのを感じます。
この生活をしてると自分のADHDの特性が上手に放牧できて、
特性を無理に曲げることなく、自分らしく、
苦しさはあっても楽しく自分なりのクリエイティブを発揮して生きていけている実感がある。
そこには家事が欠かせなくて、
例えばぬか漬けを作って朝ごはんやおやつに食べることは、
自分の体や気分を適切に整えるためにとても大事なことです。
片づけをするとまるで自分の心まで整った気がするし、
買い物をすれば精神的にも安心する。
自分の家事が自分の心と体の健康を作っているのを実感しています。
だから家事はしょうがなくやるものというよりは、
それがあることで都合よく自分のコンディションを調整できるものになっている。自分のチューニング。
家族のこともやってると自分が後回しになりがちだけど、
「家族のため!!」と血眼になってしまうとすぐ詰むのは目に見えているので、
得意なところを中心に、苦手なところは最低限でほどほどにやり、
適度に(つまり多めに)自分を甘やかすのがいいのではないかというのが私の今のところの答えです。
無尽蔵に資金や体力やあるわけでもなく、いろんな制約限界があるなかでの取り組みという意味では、仕事も育児も家事も同じようなもので、
どのあたりなら自分の納得がいくのかを探索的に試行錯誤していくことは、
人生経験を積む実践でもあるしそれ自身が人生を形作るものでもあるし、
その過程で疲労も癒しも実力も生まれていくんだと思う。
その過程こそが意味であればいい、と願います。
だから山崎ナオコーラさんのこの本はよかったです。
やっぱり私は、家事に対して、「時短」「家電」というアプローチだけでなく、
「人間に何かキラリとしたものを与えてくれ」「人間らしさを培わせてくれ」
という気持ちで近づいてみたい。 (山崎ナオコーラ『むしろ、考える家事』)
山崎ナオコーラさんが考えてくれたことが自分の思いと呼応するところがたくさんあり、
いっぱいノートにメモしました。
山崎さんも在宅で育児を担っている人なので、
ノートに書きながら勇気づけられ、自分が選んでいるこのあり方がやっぱり私にとっては前進なんだ、と思った。
家事をチューニングとみることにおける私の課題としては、
掃除、片付け系の家事です。
もう少し自分のなかでハマりどころがあるといいなと思ってます。
どうしても「仕方なくやる」が強い家事になってしまう。
炊事と洗濯はまだいいんだけど。
今日もいい一日になりますように!