昨年末のこと。
流産し、仕事と生活がどうにも立ち行かないと悩んでいた時、
恩師に「もう工夫や精神論でクリアできる段階を超えたような気がします。」
というメールを書きました。
退職して1週間を迎え、このあいだ、自分が送ったそのメールを読み返してみました。
今読むと、
「そうね、やっぱり限界だね」
と思います。
今日は、退職後1週間の今の気持ちを書いてみました。長くなります…。
仕事辞めたくなかった、という思い
女性の就業のM字曲線と合わせてよく語られるように、
私の場合も、おそらく今後、前職で得ていたより大きな収入を得ることもなければ、
同じあるいはそれ以上の職位に上がることもないような気がします。
そのことは、残念に思います。
キャリアのことや月々入ってくる定収入のことを考えても、
最初から、すぐに退職を考えたわけではなかったです。
仕事があったほうがいい!そう思っていたし、
今もその気持ちはゼロではありません。
仕事も、お金も、ないよりあったほうがいいに決まってる。
ローンとか学費とかもありますし。
なので、辞める前に、業務内容の違うポジションに移れないか、
関係の方々に相談したこともあったのです。
しかし、聞いてみると、そういう対応はできないとのこと。
マミートラックもありませんでした。
そもそも私の雇用というのは、あらかじめ期限を定めたかたちであったので、
雇用契約時における契約内容を行う以外の選択肢がありませんでした。
辞める、という方向に気持ちが傾く
雇用契約当初は子どもが生まれていなかったので、
その契約でも仕事が全うできると思っていました。
流産し、今の生活が持続可能ではないことや、子どもがほしい気持ちが確認でき、
辞めるという選択肢が見えてきました。
もし、仕事を継続するための努力を行うならば、
家事の外注や、職住接近させるための転居などができたかもしれません。
でも、それは私にとって、選択可能な選択肢ではなかったのでした。
家事は、できれば人にお願いするよりも自分でやりたいタイプだし、
転居するとしたら娘の保育園は?夫の仕事は?
私の仕事を継続させるための工夫としてできそうな諸々は、かけがえのない今の犠牲のように感じました。
そして職務の変化もありました。契約上は変わっていませんが、実際のところ、仕事を始めた当初よりも忙しくなり、だいぶ仕事がきつくなったように感じました。
職場を出る前に、メールをチェックし終わって帰宅したのに、
家についたら未読20通とか来ていて、心身ともにつらかったのでした。
心と体をしっかり休めたい夜中に、娘が泣かないように注意を払って、仕事の準備をするのもきつかった。
最後の1か月は妊娠していたこともあり、
ゆるもうとする体と、気を張らなければ!と抵抗する心のアンバランスがひどかったです。
私にとっての「退職」とは、
時間や体力といった有限の資源を、
仕事を継続するための努力に対してよりも、育児を中心とした生活をきちんと立てていくほうに努力に対して使いたい、
ということなのだと思います。
自分はどういう人間なのか
退職を選んだ今の時点でこう書いてしまうと、「酸っぱい葡萄」にほかならないかもしれませんが、それでもあえて書くと、
そもそも私という人間は、
子どもがいなかったとしても、家庭がなかったとしても、
仕事で海外勤務をバリバリこなしたり、
大きなプロジェクト、たくさんの予算や人員を動かしたりすることに、
喜びを感じるタイプではないんだと思います。
だから家族に感謝しているのは、
かれらがいてくれることで、私は無理に自分を追いつめなくて済んだんだろうということです。
もし家族がいなかったら、
仕事をやめるきっかけもなく、本心ではやりたくない出張やプロジェクトにかかわって、心を病むようになってたかもしれないと思います…。
私、手のひらサイズの小さいことをこまごまやるのが好きなのです。
↓だからこうなっている…。
そして、私は、職業人としての自分の伸びよりも、母親としての、家庭人としての自分の伸びに、
期待したいという気持ちがありました。
自分の時間や技術で、自分の家庭を守れているという実感がずっと持てなかったのですが、これからはそうなりたい、そうすることによって自分の人生を豊かにしたいと思ったのです。
退職した今、思うこと
かっちりした服を着ず(あるいは、着るプレッシャーから解き放たれて)、麻とか綿とかの服を着て、時間を気にせず家の事々に向き合っている生活に入りました。
実際に今、家にいて、家のことや娘のことを考えて、
あれこれ工夫したり作ったりすることはとても楽しいです。
そんな私のことを、以前から夫は私自身よりも私を理解していたのかもしれませんが、
「仕事についているかどうかじゃなくて、クリエイティブであれば、輝いているんじゃない?」
と言ってくれたことがありました。
さすが夫、10年以上付き合っているだけあるな~。
生活に工夫を凝らすこと。
もっとこうしたいな、こうだったらどうかな、試してみたいな、というアイディアが浮かび、それを実行し、試行錯誤できること。
自分にとってそういうことが大事なのだと思います。
将来子どもたちに、
自分たちの母親であることのために、仕事を犠牲にした、と思われたくないです。
そのためには、家庭のことをイヤイヤやるんじゃなくて、楽しくやれるようにしないと。
自分の性格上、”主婦なんだから**しなきゃ”と思ってしまうこともありそうですけど、
家庭のことは、「やらなきゃいけないからやる」のではなく、
自分らしく楽しくやろうと思います。
あと、時間があるからといって、いつもニコニコ娘に向き合っていられるわけでは全然ない、ということには、はっきり気づきました。
イライラすること、しんどいこともしばしば。
これは時間をかけて、やり方を探していくしかないだろうなと思うし、
時間が解決することなのかもしれません。
本の紹介
私はけっこう仕事が好きな人間だと思っていたので、
退職の決断は自分でもびっくりなことでした。
1年前、いや、たかだか数か月前の自分に、「アナタ仕事辞めることになるよ」と言ったら、
「えっ!?」と驚いたと思います。
この考えの変化の背景には、昨年末の流産がありますが、
以下の本を読んだのも大きかったです。
社会派ブロガーのちきりんさんは長年企業に勤められた方のようです。
いろいろな著作を読みましたが、以下のような言葉が心に残りました。
あたしは、仕事に関して「この仕事じゃなければ絶対に幸せになれない」みたいなこだわりはないんだよね。なんでも結構面白いもん。一方、生活スタイルに関しては「こういう生活がしたい!」というかなり具体的なイメージがある。(p.164)
仕事って面白いけど、一日の時間を占領する割合が多すぎる。(p.166)

持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない
- 作者: pha
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2015/05/26
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (11件) を見る
仕事をしないという選択をして暮らしているphaさんのこの本では、次のような考えが印象に残りました。
人間が人生で成し遂げられることなんて、頑張っても頑張らなくてもあまり大差ない。何かをちょっと成し遂げたとしても、どうせ五十年先にはほとんど忘れられている。仕事のために人生があるわけじゃなくて、人生の彩りの一つとして仕事があるだけだ。(p.32 )
こうした本を読んで、私の「仕事」に対する見方、考え方はだいぶ変化したと思います。たぶん、もっと、豊かなほうへと。
この選択がどうだったかはこれからわかるのでしょうが、
今は今の自分の生活を気に入っています!