子どもを授かって得た、「母親」というアイデンティティ。
2児の母とか、
一女一男の母とかいう言い方があります。
これは私の場合、
3児の母、
二女一男、or 一女二男の母、になることはないかなあ…、と思うわけです。
というわけで表題の、「3人目は多分ない」というのが、今の答えです。
思い出すのは、これまでずーっと聞かれてきた、
プライバシーど真ん中の質問たち。
「彼氏いないの?」
「結婚しないの?」
「子どもは?」
「2人目は?」
「復職しないの?」
これらの問いに、悲しくなったりイライラしたり、返す言葉も見つからなかったり。
今、誰も私に「3人目は?」とは聞いてこないのに、
あらゆる可能性を吟味して考えている自分がいるという。
皮肉というか滑稽というか…。
みなさーん!今なら聞いていいですよ!
「赤ちゃんかわいいから、欲しいって思っちゃう気持ちもあるんですけどね('∀')でもいろんなこと考えると、無理だと思うんですけどね~」って、喜々として答える自分を想像してるのに、誰も聞いてこないよ!!(;O;)
ここのところぐるぐると考えていたけれど、
結局私は、何をして、誰と、どうやって生きていきたいのよ、っていう話に行きつく。
揺るぎないのは、家族を、価値の中心に置いていくだろうなということ。
でも、「家族を大事にしたいから、子どもは2人で。」というのも成り立つし、
「家族を大事にしたいから、子どもはもう一人産もう。」というのも成り立ちそう。
だから悩むのかなー。
大変にはなると思うけど、
もし3人目を授かったら、やっぱり家族総力戦で、全力で頑張ると思う。
結果はどうあれ、3人目を授かった、その事実を力いっぱい肯定して生きていきたい。
産んでよかった!って思いたいし、そこは全力で思うと思う。
でも3人目を産んだあとに、
4人目…、って思うんだとしたら、きりがない話で。
イマジナリ―な存在としてのn+1番目の子どもは、何人子どもを産んだとしてもちらつくのかしら?
考えすぎて頭がおかしくなり、もう3人目は、いてもいなくても同じなんじゃないかと。
だって、どうしたってn+1番目の子どもは産めないんだもん。
我が家には、隠れキャラとしての3人目が、生まれないんだけど存在がいて、
チームツナマヨ(=うちの家族)を見守ってるのかもなーと思います。
流産した2回も、まぼろしの3人目も、みんな私の子どもだよ!
3人目がいるような気持ちで、その気持ちを周りに振りまいていきたいよ!
という気持ちで、昨夜は寝ました。
そして朝起きて、
「産めなかった」というネガティブな気持ちでいるんではなくて、
2人の子どもがいる4人家族がしっくり来てるんだ、っていうのが原点だと思い直しました。
これを忘れないようにしないと。
↓りんごさんも「しっくり」って書いてる(*'▽')
実は我が家は、娘を妊娠する前から「子どもは二人」というイメージでの間取りなのです。
ダイニングテーブルの椅子も、子どもが生まれる前から4脚そろえているという。
子ども部屋は1つだけど、将来、私と夫の部屋をそれぞれ娘と息子に譲り渡すこともできる(それはそれでちょっと残念だけど(;・∀・))。
ダンスを習う前から、ダンスの先生になるつもりだった、ダンスの先生に出会ったことがあるんですが、
そうなる前からイメージして、それが現実になるって、ほんとに幸せなことだと思うんです。
ダンスの先生はまだ、意志があれば現実にできるかもしれないけど、
子どもは本当に授かりもの。
2人子どもがいる生活を思い描いてたら、2人子どもが来てくれた。
こうだったらいいなって、思い描いていたことに、ラッキーにも、たどり着いた。
晴れて2人きょうだい、それがうち。
そうだった、そうだったんだった。
もし3人目が来たら、それはそれでうれしいし、
部屋をどうするかとか、最強問題・オカネノコトとか、いろいろ一生懸命軌道修正して考えるとは思いますが、
今の答えは、「2人欲しいと思ってたところに、2人来てくれて幸せだな~」という気持ちを原点にしておきたい!
ということでした。
このところの考えごと(もはや趣味)の途中で、「専業主婦」についていろいろ考えたので、
そのうち、そのことも書いておきたいなと思います。