何度読み返しても、
専業主婦のよまいごと感たっぷりなんだけど、
もうここを認めなければ前に進めないやという感じがするので、このまま公開しちゃいます。
なんかいろいろすみません。
ある日。
あ、今の私は目標を喪失しているんだ、と気付きました。
生後8ヶ月を迎えた息子は離乳食をどんどん食べるようになり、
彼が摂る栄養のうちの母乳の比率がどんどん少なくなっていく。
娘も息子も、もちろんまだまだガッツリお世話が必要な時期だし、
主婦としての私は、子育ても家事もこれからが本番。
それはわかっているけど、
2人育児の最初の数ヶ月が終わり、
ふと気付いたら、今の私はこれといった目標がないんです。
退職直後は、妊娠中だったので、
「まずは産む」
という大きな課題があり、それが私の目標がありました。
そのことが、退職後の大きな喪失感をやわらげてくれたんだと思います。
出産した後、「そして育てる」という課題が出来、
もちろん今も引き続いて取り組んでいる重要な課題なんだけど、
なんというか、積極的に「目標」といいたいものではないらしい。
組織に所属していると、目標(というかイベントというか)は、常に外部から与えられることもあり、小学校に就学、もしくはさらにさかのぼって、幼稚園に就園してから、
常に目標がありました。
学生時代も、就職してからも。
でも、あるいは、本当の目標なんかずっとなかったかもしれない。
目の前にぶら下げられた「やらなきゃいけない(ような感じがする)こと」を、
目標と思い込んで、追いかけていただけだったのかな。
娘も息子も、それぞれに気がかりはある。
そして私は、いつも育児にいっぱいいっぱいだけど、
子どもたちなりのスピードで自分たちの生を生き始めていることにふと気付いたんだと思います。
あ、私も、何かしたい。
何か出来るんじゃないの?
と思えるくらいの余裕は出てきたみたいです。
保育士試験も受けてる最中だし、
そういうふうにいえば、目標はあるっちゃあるんだけど、
その先の大きな何かにつながっていくものとしては描ききれていなくて。
この、「何かやりたい」
という気持ちは、おかしなことに、「誰かと何かしたい」という気持ちにつながっているようです。
普通に考えたら、
まずは、したいことがはっきりしているほうが普通だと思う。
したいことがまずはっきりとあって、
同じ志の、あるいは、能力を補完し合える誰かを見つける、
というのが王道のような。
でも私は今、「誰かと」のほうを先に欲しがっているようで。
もちろん私にとっての「誰か」は、
「家族」が第一なんだけど、
家族以外の、大人と、何かをしながらつながってみたい・・・。
仕事をしていた頃は、
いつも誰かと何かをしていて、
一人では思いつかないアイディアで、
一人では出来ないことを、誰かと一緒だと実現出来ていて、
それは、自分に大きな喜びをもたらしてくれていました。
職場での経験、いいことばかりじゃなかったから、
美化して言いたくはないけど、
楽しかったこともあったなあ。
成長できてる感じがした。
こんな気持ちになって自分が戸惑いを隠せません。
何だ、この気持ちは。
贅沢か。
わがままか。
甘えん坊か。
思春期か。
平和ボケか。
世間知らずか。
娘が幼稚園に入園したら、
保護者のサークルとか、役員とかがあるらしい。
そういうののことなのかな?
そういうのをすれば、少しは溜飲が下がるのかな。
でもたぶんなんか違うような気がして、
ざっくり言うと、残りの人生を熱中できるような趣味みたいなのがみつかればいいなー、と思っているみたいです。
そんな気持ちを、先日、学生時代からの友達にしてみたら、
「育児しているだけで十分だよ!」
「今はそういう時期なんじゃない?そのうち見つかるよ」
といわれました。
そうよねー、私もそう思う。
でも、
何か出来るような気がしているのに、もどかしい。
そのもどかしい気持ちを何とかするべく、
とりあえずやっておいて損はなさそうな、
料理とか片付けとかになんとなく力を振り向けてみる、というのは、
間違っちゃいないことだと思う。
だから家仕事をいろいろやってはいるけど、依然として、もやもや継続中。
自分の能力を発揮できてる!
という感じを味わいたいなあ。
でも、こんなことを書いてたら、
もはや自分の能力なんてものがあるのか、非常に疑わしくなってくる・・・。
はー。
このときはこんなこと考えてたんだねー、と、いつか思えるといいなあ。
これだ!と、がっちりパーツがかみ合った感じがするものに、いつか出会えるといいなあ。