おはようございます。
梅つま子です。
毎日、英語の勉強をしています。
朝から音読。
そして日中は教える仕事(これも自分の勉強だと思っています)、
午後はドラマや映画を見たあとは、
オンライン英会話でいつもの先生と英語の本を順番に音読してディスカッション、
夜はドラマの続きや、午後に読んだ本の読解、教える仕事の予習。
出かけるときは英語のポッドキャストを聞きます。
まるで、先に英語の学習があって、
その隙間に家事を入れ込んでいるようですらあります。
洗濯物を干しながら、または洗い物をしながら、CDでもドラマでも聞けるし、
自転車を漕ぎながらポッドキャストが聞ける。
どんな作業と、どんな英語学習の相性がいいのかを考えるのが大好きです。
子どもの頃からそこそこ自分で勝手に本を読んだし、
勉強は好きだったけど、
「勉強を自分の強みにしたい」と意識したのは中学生の頃だったと思います。
昭和の不良文化漂う中学校に進学し、
ヤンキーの名残を身にまとった同級生が居並ぶ教室。
自分の性格を深く知れば知るほど、
「私が親だったら私をあの中学には入れない」と思うのですが、
ほんの12年前から私を育てていたに過ぎないその当時の両親は、
44歳の今の私ほど私との付き合いが深くなかったし、
私立中学に進学させるような経済状況でもなかったし、
上の子も同じ中学を卒業させたし、
むしろすべての条件を揃えた気持ちで、
徒歩45分もかかるその中学校に毎朝私を送り出したけど、
ヤンキーが振り向きざまに、くせ毛の私を「焼きそば。」と言ってくるような場所で多感な頃を過ごして、
ほんっとに私はこういう人たちがいない場所に進学したい…
と私は日々、気持ちを新たにしていたのでした。
中学校は、ちっとも好きになれない学校であり続けました。
中3の春、希望の高校に合格した日の晴れがましい気持ちを忘れることはないし、
卒業式が終わって脱いだ制服を、何度も足で踏みつけたことも忘れることはない。
あの頃も今でも、
勉強は、「ここではないどこか」に確実に連れていってくれるもの。
中学時代にはほぼ苦い思い出しかないのですが、
どういう形であれ、「勉強って、本当に自分を違う場所に連れてってくれるんだ」
と実感させてくれた最初の日々でもありました。
お題「捨てられないもの」ということで、捨てられない記憶の一部の話です
今日もいい一日になりますように!