おはようございます。
梅つま子です。
「夏=読書」という刷り込まれたイメージがあるので、
せっせと本を読んでいます。
読んだのはこの本。
ジェーン・スー 新潮社 2018年05月18日頃 売り上げランキング :
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筆者のジェーン・スーさん(さんをつけるもの?以下、敬称なしで)のはドラマ化もされていて、
そして母が常日頃「ジェーン・スーのラジオが面白い」と言っていたので気になっていて、このたびようやく図書館で手に取りました。
40代の娘と70代の父、亡くなった母親が不在のまま、
しかし中心に存在している家族の話。
この父親は、
妙にモテていつもなにやかやと世話をしてくれる女性が周りにいる父親で、
娘である筆者もやはり父親をあれこれ気遣い、つい喜ばせたくなってしまう、
不思議だけど、でもありそうな人間関係。
書き手としてのジェーン・スーは、
家族という密室を描き出しながら、
情にあふれて、しかし十分に冷静に考察を加えて、
内側へと招くことができる作家でした。
「欲しいのはコレ。でも、俺が負ける」
負けるのがそんなに嫌なのか。
「別にいいじゃない。それでいいよ。似合ってる」
私はクレジットカードを取り出した。
我ながら親を甘やかし過ぎだ。父はとても嬉しそうだった。それは帽子を手に入れたことよりも、娘に支払いをしてもらえる喜びが生んだ笑顔のようで、当事者として照れ臭くもあり、他人事のように「良かったね」と思うことでもあった。
(『生きるとか死ぬとか父親とか』p.152)
禍福はあざなえる縄の如しというが、親子は愛と憎をあざなった縄のようだ。
愛も憎も、量が多いほどに縄が太くなり、やがて縄の強度を持つようになるのだろう。
(『生きるとか死ぬとか父親とか』237ページ)
私はこんなふうには書けない。
いつも一緒にいるから深く考えているようでいて、
実は思考停止しているからがひとつと、
家族の未来のことは、考えるのがこわいからだ。
こわくても考えることはできるかもしれない、
そして、書くことはまた別だ。もっと深くて、尋常でなくこわい。
ジェーン・スーは、
自分のことも父親のことも、
人間としてのありようのしょうもなさもいとおしさもそのままに、
あまりにもさらりと書いている。すごい。
こういう感じの、家族を題材とした書き手、
あけすけに書いているようで実は非常に繊細な書き手は、
岸田奈美さんがそうだと思います。
岸田 奈美 ライツ社 2021年05月31日頃 売り上げランキング :
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岸田奈美は繊細で同時に豪快。
パッカーンと実が弾けるようなエネルギッシュさがある。
もうひとつ読んだ本は、ずっと好きな作家で、
でも好きすぎて、「こっちの気持ちが調わないときに読んじゃいけない」
と思っていて。
読み終えることができて満足です。
マイペースな読書の夏が始まりました
今日もいい一日になりますように!