こんばんは。
梅つま子です。
4月が終わった。
下の子が小学校に入学したりして、大きな変化のある4月でした。
4月になってみてわかったんだけど、
下の子どもが小学校に行く(未就学児がいなくなる)ということは、
「8時には家がすっからかんになる」
ことを意味していました。
そして、
8時、誰にもいない家にひとりでいると、
仕事…しようっ
という気になるのです、不思議なことに。
4月に気づいた。
— 梅つま子@月経カップとオンライン英会話と空手とウクレレ (@umetsumako) April 29, 2023
まとまった時間ができると…
①仕事したくなる。以前は細切れ時間しかなかったから、その時間でしかできないことを考えて、それが読書だったり、ブログだったりしたみたい。
②上に連動して、自分のことを考える時間がなくなる。そして自分のことを考えなくても意外とまわるもの。
朝が、私の朝が生まれた。
私のまっさらな朝が、
「さあ!何をしてもいいよ」と目の前に開けている!
とはいえ、学校から電話が来たらそれを取るのも(夫が仕事に行ってれば)私だし、
迎えに行くのもまあ、私である。
私ときたら我が家のメンツがそれぞれの場に無事に行くための祈り子であり、
待機電力だしな。
今となっては、よく往復3時間もかけて弱肉強食の戦場に行って寿命を削ってたよなあと思う。
3年間もフルタイムで働いていたのかよと、過去の自分が他人よりも他人。
掃除を済ませ買い物を済ませ、何かあったら呼ばれるかもしれない括弧つきの自由時間に、私は働くことにした。
消費税を払うのに慣れるように、制限にも義務にもいろんなことに慣れた身である。
私は本当に、
できないなかで、できることを探し、
それをするのがうまくなった。
その結果、細々と続けていたオンライン講師の仕事は、
1,000回を数えた。
3月までは、午後に時間を作って、カフェに行って本を読んで…を必ずしていたけれど、
急に憑き物が落ちたように、
「カフェに行かなくてもいいか」
「本を読めなくてもいいか」
「自分時間がなくてもいいか」
という気分になってきた。
子どもが就学する前は今よりも自分の時間がなかったから、
むしろ隙間時間を惜しむように、節約の達人のようにきりきりとやっていた。
ある程度時間ができてしまったら、不思議なことに
カフェだの本だの自分だのというニーズがかげをひそめて、
「…働こう」と思う。
働くと何かが癒されるのかもしれない。
働くと何かが癒されるのかもしれない!
私がずっと欲しかったのは働くことで得られるものだったのに、
自分の時間のなかでそれを得ようとしていたのかも。
人間の体では産生できないビタミンを無理無理に作ろうとしてたみたいに。
それは外に手を伸ばすことで得られるものだったんだよ、きっと。
そして暴れ馬のように、「誰も!私を!わかってくれないので、私が私を愛するしかないので!」とばかりにカフェに行き、
アメリカンコーヒーを吸収することで納得させていた気分が、
もう散ってなくなった。今は別に無理をしていない。
で、2023年4月を一生懸命生きた結果がこれ。
ウクレレを弾いた日(黄色い丸が付けられる)も、
自分時間を作れた日(緑の丸が付けられる)もあったはずなのに、
手帳を開き、それを記そうという気持ちが満ちた日が一日もなかったらしい。
かろうじて、4月の月誕生日は、メルカリで買った木の茶筒であることは記録している。
4月、私は、すがすがしいばかりのノン・リフレクション人間になってしまった。
そして、なぜだかなぜだか、スッキリしていて、ちょっと楽しい。
明日もいい一日になりますように!