明日も暮らす。

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シンプルで暮らしやすい生活を目指しています。オンライン英会話(英検1級)と空手(黒帯)が趣味。大学院博士課程修了(人文科学)。2児の母。

英語で読む『アンネの日記』。生きようとして生きた人のこと。

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おはようございます。

梅つま子です。

 

アンネの日記、読了しました。

まずは日本語で読み、その後、英語でも読破しました。

 

 

ところでアンネというと歴史の偉人のように見てしまうので、すごく昔の人のようですが、

1929年生まれですから、

1917年生まれの私のおばあちゃんよりずっと若いのですね。

存命だったら95歳です。

ちなみに英語だとアンネ・フランクではなくてアン・フランクと発音します。

 

出てくる単語など

まずは、出会った英単語をいくつか。

 

denounce 密告する 

Who denounced the Franks? 「(隠れ家にいた)フランク一家を密告したのは誰か?」という文でネットでもよく見かける。

 

air raid 空襲

アムステルダムも空襲警報があったようです。隠れ家から出られず、何が起こっているのかわからない状況ではどれだけ恐ろしかったことでしょう。

 

adamant 頑固な

アンネのお父さん、オットー・フランクの性格の形容として出てきました。

頑固な、という形容詞だがアダマンタイマイという敵がFFにいて、それで懐かしく思った単語です。

 

英語で『アンネの日記』を読むということ

アンネ・フランクは日記を英語で書いていません。

オランダ語で書いています。

彼女自身はドイツ生まれですが4歳でドイツからオランダに移ってきて、教育もオランダで受けているので、一番優勢な言語はオランダ語なのですね。

対して、アンネの父親、オットー・フランクはドイツ語が母語で、詩を書くときにはドイツ語を使います。

パパ作のポエムを翻訳する(独→蘭翻訳)のは、3歳年上の姉であるマルゴー・フランク。

いつの段階でドイツからオランダに移ったかで強い言語が異なるので、家族の中でもこういう事情になるわけですね。

 

アンネの日記につづられるのは、家の外に一歩も出られないし息苦しい人間関係の中での2年間。

日記は途中で終わり、一家は強制収容所に送られるという結末も重いです。

英語も、私が読んだものはアメリカ英語よりもイギリス英語よりっぽくて、

私にとっては読みやすいものではなかったです。

それでも英語で読んでみてよかったなと思います。

 

というのは私にとっては日本語との距離が近すぎて、

日本語で書かれているものはわかりやすすぎて引っかからず、立ち止まることができないからです。

わかりすぎてわからないといいますか…。

 

あなたになら、これまで誰にも打ち明けられなかったことを、何もかもお話しできそうです。どうかわたしのために、大きな心の支えと慰めになってくださいね。

アンネの日記』冒頭

 

と書かれていることをもちろん私は理解できるけれど、

母語である日本語はわかりすぎて上滑りするところがあるので、

同じ箇所の英訳のほうが染み入ります。

 

I hope I will be able to confide everything to you, as I have never been able to confide in anyone, and I hope you will be a great source of comfort and support.

The Diary of a Young Girl

 

confideで「打ち明ける」の意味するところを味わい、

a great source of comfort and supportで「慰めと支えとしての大きな供給源」の意味するところを考えることができるのです。

 

『アンネの日記』を今、読む意味

この時代のユダヤ人がどういう目に遭っているか、

この日記を書き終わったあとのアンネに何が起こったかを知っていて、

私が「理解できる」ということが果たしてできるのか。

いや、できないと思うのです。

いろいろできてしまう私が「わかる」と言ったら軽すぎる、と思う。

 

それでも、

「何らかの外的な原因で、自らが発揮できるはずだった能力が阻害されている」

と感じている人はいつの時代もきっと多くいるはずです。

読者たちは、

アンネが冷徹に社会情勢を見ることができ、

自分の姿を客観的に見ることができた人であったことに驚き、

こんなに優れた人が、あんなに苦しいなかで生きようとしてくれていたという事実に、

心を暖められてきたんだと思います。

 

『アンネの日記』という本の名前を知らない人はいないと思いますが、

中身の生々しさは相当なものがあります。

今回読んで初めて知りました。

聡明な若い人が書いた品性のある日記だけど、

発展途上の人間の、激しく動く感情もそのままにつづられている。

 

具体的には、アンネは特に潜伏生活の初期~中頃に、母と姉への嫌悪感をかなりしっかり日記に表明しています。

彼女は、

 

「一個の人間としては、ふたり*1ともくたばれと言ってやりたい(p.242)」

「パパを通してしか家族愛の名残のようなものを持ち続けていられない*2(p.243)」

 

とまで言っている(ともに1943年10月30日の日記)。

この果汁そのまま100%の感じがすごい。

それゆえにこそ、そこが私は好きなのです。きれいごとばかりじゃない。

 

一家の末っ子として育った私は、

一番年若い者を嘲笑うことで集団としてのバランスがとれる瞬間があることを実感として持っているのですが、

つま子
アンネ、あなたもか!わかる!

 

と言いたいわけです、私も。

 

集団の最年少が都合よく空気の調整役に使われるの、本当に腹が立つものです!

些細かもしれないが、看過できない人生の出来事へのまなざし。

 

でもただの愚痴ノートじゃない、それだけ正直に、どす黒い気持ちをつづってさえ、アンネの日記はすごく品性があります。

人のせいにしないし、自分を信じる。

きちんと生きようとして生きる人だけが持ちうる、前向きで、すがすがしい品のよさ。

狭い場所に閉ざされてもなお、

自分の今ある状態を直視し、そして成長しようとしている若い心の自由な伸びやかさがどんなページにもあふれているから、

こんなにもアンネの日記は胸を打つんだと思います。

 

本を読んで知ったこと

アンネがものすごく勉強家です。

隠れ家にいながら英語、フランス語、ドイツ語、幾何学、代数、歴史、地理、美術史、生物学…なども学び、いつかまた学校に戻る日を夢見ている。

アンネは作家かジャーナリストになりたかった人で、

その姉マルゴーはパレスチナで新生児の世話をする看護師になることを願っていて。

 

夢があり、努力し、誰かのために働きたいと願う人がどうして命を奪われなきゃいけないのか、苦しくなります。

 

そしてアンネがこういうことを書いていることも、知ってほしいので、

引用しますね。

アンネは15歳と年若かったけど、

自分の教育論、女性論を持って自分の言葉で語る人です。

 

両親にできるのは、単に子供によき助言を与え、正しい道につかせてやることだけ。最終的に子供の性格形成を左右するのは、子供自身なのです。

(『アンネの日記』p.569, 1944年7月15日)

 

女性たちは、自由のために戦っていると大口をたたく勇士たちよりも、はるかに勇敢な、はるかに毅然とした戦士たちとして、人類の存続のために戦い、苦痛を堪え忍んでいるのです。

(『アンネの日記』p.551, 1944年6月13日)

 

書くことを愛し、日記を愛し、生きることを愛していたアンネ。

ブログを書く一人として、こんなに励まされる存在はないです。

 

つま子

私はアンネの人生がどう終わったかではなくて、どう続いたかを、

これからも考えたいです

 

今日もいい一日になりますように!

 

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*1:ふたり、とは母と姉のこと。

*2:アンネはいわゆるパパっ子で父親を敬愛している。

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