おはようございます。
梅つま子です。
令和の最初から、後ろ向きっぽいにみえる記事なので、ためらいつつ、後ろ向きとみえて前向きな決心だと思っているので、投稿することにします。
車の運転に関する記事です。
先日、池袋で起きた痛ましい事故について、つらく思っています。
私は、親戚のひとり、そして高校時代の友人を、交通事故がもとで亡くしました。
自分自身はペーパードライバーで、このところハンドルを握っていませんが、思うことがありました。
ペーパードライバーの私
このブログを2年前からお読みいただいている方は、「GPD」といえばわかっていただけるでしょうか。
はい、ゴールデン・ペーパードライバーの略です。
免許を取得して以来、ほとんど運転していません。
息子が誕生した後、「運転に慣れたいな」と思い、練習しましたが、まあ、からっきしやる気が起きない。
怖いんですよ…。すごく怖い。
とにかく、事故が怖いし、何というか、うまくなる気がしない。
自分の運転センスをまるで信じていません。
だって、こうですからね。
ハンドルを左に切るのか、右に切るのかの感覚もつかめず。
車庫に入れた後、少し位置を左になおしたくて、
ちょっとハンドルを切りながら前に出たあと、ハンドルを切りながらバックして来たら、まったく同じ場所に収まったという。
誰がこんな人の運転する車に乗りたいですか?
乗りたくないよ…!
一度、家の鍵を紛失してしまい、お迎え時までに見つからなくて、鍵をかけずに幼稚園までお迎えに行ったことがありまして…。
同じクラスのママさんに事情を話したら、
「めっちゃ意外です。」
と言われました…。
あとは、幼稚園に提出すべき紙を、キリトリセンで切り取って、記入までしたのに、なくしてしまった話を別のママさんにしたら、
「うそ。最高。梅さんの今後が楽しみ」
とも言われました…。
誰がこんな人の運転する車に乗りたいですか?
乗りたくないよ!(2回目)
自分に自信がないから、この先のことが怖い
まだ30代なのにこうなんだから、このさき年を重ねていったら、どうなる。
極度のうっかり人間である私は、もう運転しようなんて思わないほうがいいんじゃないか…、と、思ったんです。
車の事故で恐ろしいのは、自分だけが傷ついたり損なわれたりするわけではないこと。
むしろ自分は無事で、歩行者、他の車、同乗者に被害が及ぶ事態だって多いこと。
もらい事故だってある。
事故を極力起こさないで運転することができるか?
そして、もし万が一事故が起きてしまったとき、正しく判断し、行動することができるのか?
自分に、まったく自信がないです。
自分を信用しない。だけど、信頼はしたい
以前、佐渡島庸平さんの本を読んでいたときに、「信用」と「信頼」の違いの話が出てきました。
この本です↓
佐渡島庸平 幻冬舎 2018年05月07日 売り上げランキング :
|
信用とは、過去の実績に対して向けられることで、信頼とは、未来に対して向けられることであると書いてありました。
それでいうと、私は思い切って、「運転に関しては自分を信用しない」と言いたいです。
自分という人間の価値をいたずらに貶めたいわけじゃありません。
これから自分がどんなブログを書いていくのかとか、どんな人と出会ってどんなところに行ってどんな出来事を経験して…ということに関しては、大いに自分を信頼したい。
自分のクレーマーではなくてサポーターになりたい、という考えにも近いです。
それは、この本に書いてあったこと。
山下あきこ 二見書房 2018年06月25日 売り上げランキング :
|
批判する言葉をいつも自分に投げかける人を、ここではクレーマーと呼びます。
自分自身を困らせて停滞させる、もう一人の自分です。
クレーマーは物事の一部だけを見てこうだと決めつけ、批判ばかりします。
(中略)
一方、自分自身を応援し、成長させる人をサポーターと呼びます。
サポーターは、問題があったときに自分を責めるのではなく、どうしたらうまくいくだろうと自分に問いかけ、よくなるように努力をします。
現状をよくするために一緒に考えて、解決するための行動を応援する、もう一人の自分です。
(『やせる呼吸』p.66-67)
運転に関して、私は自分の運転に納得できなくて、クレーマーになると思う。
どうして車庫入れがいつまでもうまくならないのかとか、運転してるとなぜか右側によってしまうとか…。
自分の運転にクレームを入れたくて仕方なくなります。
極めつけは、自分が運転うまくなるイメージがもてないんです。
残念だけど、納得できるレベルのドライバーにはなれなさそう。
自分のクレーマーになるのは、つらいことです。
自分が自分のサポーターでいるためには、「極端に苦手かつ、上手になりたいと心から願えないこと」(=私にとっての運転)には、手をつけないほうがいいのだと思う。
「下手なままでいい、近づかないようにする」という解決法
そう、一番の問題は、「上達したい、と心から思えない」ということなんだと思います。
上達したいと思い、練習を重ね、少しずつでもうまくなっていけたらそれがいい。
でも、「事故」は、待ってくれない。いつ起こるか(起こすか)わからない。
運転が下手なまま、上達しようともしない自分をそのまま受け入れて、「下手だから、うまくなるように練習」ではなく、「下手だから、もう近づかない」ということにしたい。
この領域ではがんばらないことが賢明なんだと腹をくくりたくなっています。
これが子どもに対してなら、「早々にあきらめないで。もっとがんばれ」と言うと思うんです。
でも、私の運動神経、そもそもなけなしであるうえに、ピークは過ぎてしまっていそうだし。
運転って、相手のあること。
これが、逆立ちとか二重跳びとかをやりたいっていうのなら、私一人が取り組んで怪我してりゃあいいのですが、結局、車のことで私が何が怖いかって、一瞬のミスで相手をとことんまで傷つけてしまうことです。
後ろ向きな考えかもしれないけど、こと運転に関しては、「あきらめたほうが身のためだ」と思うのでした。
終わりに
うすうす、私は運転しないほうがいいのかな、とは思っていましたが、このところ、凄惨な事故のことを見聞きし、「加害者になりたくない、なってはいけない」という思いが、これまでになく強くなっています。
車があれば、便利。
昨日だって一日降る雨の中、「車が運転できれば、さくっと子どもたちをショッピングモールに連れ出せるのにな」と思いました。
でも、やっぱり私は、運転に付随する「事故が起きるかも、加害者になってしまうかも」の不安をぬぐいきれないです。
「そうは言っても、自分は運転せざるを得ない」という方がいらっしゃるかと思います。
私の義理の父もそうです。
70代になった義理のお父さん、今は毎週サッカーをするくらい元気だけど、いつかは運転をやめなければいけない日が来る。
私がお父さんに何て言えるかな、と思うと、頭に言葉が出てこないけど、ちゃんと向き合いたいと思います。
車の事故で、悲しい思いをする人がいなくなることを願っています。
今日もいい一日になりますように!