おはようございます。
梅つま子です。
子どもの夏休みが終わり、どうやら少し自分の時間が戻ってきそうです。
この夏は何をやったかな。
・本を何冊か読んだ
・trfのダンスエクササイズを始めた
・腹筋ローラーを始めた
・TOEICには行けた
その一方で、取り落としてしまった習慣もいくつか。
・一日6,000歩を目標としていたけど4,000歩に。それさえできなかった日々も多々
・日課にしていた『英語のハノン』は8月中旬からできなくなった
なんとか続けられたのは、
・『英語で「日本」を話すための音読レッスン』の音読。最後のページ「為替レート」から始めて、最初の「納豆」までたどり着いた
・ネイティブキャンプのデイリーニュースは毎日やった
・教える仕事は去年の夏よりも数をこなすことができた
これくらいでしょうか。
やりたいことがはっきりしているのにできないことは、
自分にとってとてもストレスなので、
あまり「あれをやりたい、これをやりたい」と思わずに、
できることの中からひとつふたつ、つまんでいけるものを選び取る、という感じでしょうか。
夏休みは、自分のOSを、夏休みモードのOSに入れ替えておくほうがいいみたい。
多くを期待せず、穏やかな、ひなたぼっこのおばあちゃんモードみたいなOS…。
この夏の気づき。
・いつもやっている習慣は、50%できたらいいくらい。
・その代わり、ちょっと思いつきに短い時間で試すようなことはできるかも。
ただ、思いついたことを何でもかんでも試せるかというと、
そういう気持ちがうまく結晶しないこともある。
夏が始まる前に、「あ、私コーヒーゼリーが好きだな」と思って、
家でも作ろう、と思ったし、夏にぴったりのお試しなのに、
できなかったな。
こちらは頂き物のコーヒーゼリー。
コーヒーゼリーは、おいしいし綺麗。
表面の円形のミルクの盛り上がってこぼれそうな感じや、
コーヒーの液体とミルクが溶け合いそうなところを見ていると、
なんだか思うところがある。
おかしなことを言うけれど、
どうも私は自分のことを、親から引き取って育てている養子だと思っているようで、
その養子をひとまず立派な大人になるように教育しなきゃいけないと感じているらしい。
ダブル成人しているいい大人なのに、
ましてやケア責任を全身で引き受けている身なのに、
そして何年学校にいたんだよというくらい教育を受けたはずなのに、
ぜんぜん自分が大人だと思えない。
まだまだまだまだ未熟だし、
まだまだまだまだ学ばなきゃいけないことがたくさんあるぞ。
なので夏休みは、
養子のつま子(高校生~大学生くらい、私の精神年齢がそうなんだろう)が、
さらに幼い実子2人の面倒を見るという謎展開。映画か?
私の実子を見る目は、
サザエさんがカツオくんやワカメちゃんを見る目と似てる気がする。
…こういう思考をするようになってきたら夏休みも煮詰まってきた証拠。
でも、アホみたいだなと思う自分もいるけど、
サザエさんが、弟妹であるカツオくんやワカメちゃんの世話をしていると思えば、
なんとなく自分の子どもに向かう怒りのモードも収まるから不思議。
どういう仕組みなんだろう、責任感?
普段の自分は、自分の任を重く感じすぎているのかな?
これ、なんかどこかで見た考え方だなと思ったら、
あれだ。『セルフケアの道具箱』。
そうか…私の中の「つまちゃん」なんだな。
彼女は高校生から大学生くらい。夏休みに、つまちゃんが出てきたんだな。
私が助けてあげなきゃいけないインナーチャイルドだけど、
この夏はつまちゃんに助けられた気がする。
夏休みは水戸黄門みたいに、
「それくらいにしておきなさい」と言い残して去っていった。
残された私はよろよろと立ち上がって、膝についた砂粒を払いながら、
しばらくずっと開けていなかった手帳を開いて、また明日から生きていくみたいです。
だって、始まりますしね。
スーパーセール!
いつも「もう無理許して」と思うタイミングで楽天セールがくる…!
今日もいい一日になりますように!