おはようございます。
梅つま子です。
いつの間にか私の心にしっかり、「大好きな書き手」としての位置を占めた人たちがいて、ジェーン・スーさんはそのひとり。
ジェーン・スー マガジンハウス 2022年12月08日 売り上げランキング :
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この本を読んで、一番「ああ!」と思ったところを最初にご紹介。
この箇所と出会えただけでも、私この本と出会えてよかった。
「なんのために生きるか?」という壮大な問いへの私の答えは、「自分のことを好きでいるため」になった。好きになるために長生きするのではなくて、どうせ明日も明後日も生きちゃうんだから、自分を好きでいるほうが心地よい。もし突然、命を失うようなことになっても、自分のことを好きなままでこの世を去りたい。
(『おつかれ、今日の私。』31ページ)
ありがたくも健康な40代の私には「どうせ明日も明後日も生きちゃう」は、
実感がある。
今は命がない誰かが、きっと死ぬほど生きたかった今日を、
私が何の気なしに生きることができてしまっていること。
「どうせ明日も明後日も生きちゃう」は、申し訳なさとか体裁を気にして、
思うことすら出来なかったけど、ほんとはそうなんだ。
でも、自分ではたどり着かなかった一言。
スーさんはなんて自由なんだろう。
わあ、言い当てられてしまったよ、私が思っていたことには言葉があったんだ…という気持ち。
今日も明日も生きていく、命が続いていくことには、
前提として、圧倒的な、でも言うまでもない感謝がある。
だけど、苦しさがないわけじゃない。
このふたつをひとつに括り上げるのが、
「自分のことを好きでいる」というリボンなのかなと思う。
自分のことを好きでいれば、明日も明後日も生きていくことができるからね。
私がブログを書いているのもそういうプロジェクトのひとつなんだろう。
スーさんには、
生きて重ねた年月を知恵にする、40代まで生きてきたことをちゃんとプラスにする、やさしさと賢さがあって。
それを読者に分け与えてくれることがやっぱりとてもやさしい。
他にも膝を打つ表現がたくさんあったのでメモしておこうと思う。
このブログにも、私のノートにも。
余分と不足が私らしさ
(『おつかれ、今日の私。』41ページ)
完全にやめなければ、それは継続と見なす
(『おつかれ、今日の私。』77ページ)
悪口を言い続けると、「私はさみしい」と言い続けているようにしか聞こえない
(『おつかれ、今日の私。』174ページ)
こうやって、素敵な本を見つけることができるから、
また明日も元気に生きていける。
今日もいい一日になりますように!