おはようございます。
梅つま子です。
2023年の後半から、クラシック音楽を聴くようになりました。
きっかけは、近所で仲良くしている友達が、
ときどき切り花を買っているという話をしていて、
「話しかけると、やっぱり長持ちするような気がするんだよね」
と言うのです。
「そうかあ、植物にモーツァルトを聴かせるとよく育つって言うしね~」
となんとなしに答えました。
アマプラで、『モーツァルト・イン・ザ・ジャングル』も見ていたし。
音楽って素敵、それはまぎれもないのだが。
私は思った。
植物に聴かせるのもいいが、
私は私に十分音楽を聴かせているか?
クラシック音楽は敷居が高くて、
なんかつい、聴きやすい(ように感じる)ものを聴いてしまう。
ジャズとか。ボサノバとか。
嫌いなわけでは全然ない。
中学生のときにEテレで(当時は教育テレビと言ってたと思うけど)、
ドビュッシーの「月の光」を初めて聴いて、それはそれは感動したのだった。
なぜか高校生のときは、朝の目覚まし代わりに、CDが鳴るように設定して、
ハイドンを聴いていた。
私はハイドンが聴きたいのに、アレクサがどうしてもhydeを聴かせようとしてくるのをどうしたらいいんだろうと試行錯誤した結果「アレクサ、ハイドンのクラシックかけて」なら話が通じることがわかった。
— 梅つま子@月経カップとオンライン英会話と空手とウクレレ (@umetsumako) December 20, 2023
高校のときに聴いていたハイドン、なんていう曲だったのかを知りたくて、
必死で探したけど見つからず。
結局、それはハイドンじゃなかった、ヘンデルだった。
ヘンデルの、『水上の音楽』のなかの、「アラ・ホーンパイプ」だった。
音楽に造詣が深かったわけでもないのに、
クラシックCDをかけて朝起きる高校生女子だったわけです。
こうやって思い返していくと、個人的に思いの深い曲はある。
『動物の謝肉祭』のなかの「白鳥」は、
小学校のときのお昼休みにかかってた曲だったから、
今でも聴くとなんとなく満腹感と眠気がやってくる。
「威風堂々」は高校生のときに親しかった友人たちがオーケストラ部に入っていて、
定期演奏会で演奏した曲。
縁がないと思っているわりに、
思い入れのある曲はたくさんある。
世に知られた名曲たちであるが。
この名曲たちを、私は特別なときに聴くものと思っていて、
日常に聴くようなものとは思ってなかったんだけど、
聴くととてもいい気持ちになるような類のものです。
気持ちもしゃきっとしていい感じになる。
高校生のときは毎朝聴くくらい好きだったんだから、
なぜ今、クラシック音楽の力を取り入れていけないことがあろう?
せっかくタブレットも新調したことだし!
自分の思い入れのある、好きな曲ばかり集めました。
そして、家事をしながら聴く。
こういうラインナップです。
なんて贅沢なことでしょう。
別に、ポップスやジャズとかだって、
好きな曲を好きな順に並べて自分のプレイリストをつくるのは贅沢なんだけど、
自分だけのオーケストラが、自分の好きな曲ばかりを弾いてくれるような、
贅沢すぎてそら恐ろしいような感じさえあります。
そして私は、こう言うのです。
「アレクサ、私のクラシックかけて」と。
私のクラシック、と言い続けていると、
クラシック音楽が本当に身近になる気がする。
ちなみにこの「私の***」は、覚えやすいし、
アレクサに指示が通りやすいので気に入ってます。
あまり聞き間違えられることがない。
他のプレイリストには「私のジャズ」「私のエクササイズ」もあります。
贅沢でいい気分になる約1時間のコンサートタイムです
今日もいい一日になりますように!