おはようございます。
梅つま子です。
子どもたちの運動会が無事終わりました。
表題の「焦ったほうがいいですよ」という言葉は、
ある演目の練習に際して、先生からの言葉だったそうです。
先生に「”まだ**が出来ない人は焦ったほうがいいですよ”って言われた」と、
小5の娘が言いました。
娘はそのときまさに「まだ**が出来ない人」だったのですが、
「でも、そう言われても出来ないものはできないよね」という感じで、
「やばい、どうしよう、私できていない」という深刻な受け止めはしてなかった様子。
もし私が今小5だったら、きっと後者のようなビビり方をしてしまっただろうなと思うので、
いい意味では鷹揚な、悪い意味ではのん気な娘の態度が「私と違うわ…!」という驚きでありました。
私と性格の違う長女氏よ。
でもさ、焦る、ってどういうことだろう。
私の使う焦る、の用例は、
「…焦ったー!!(今日集金日だと勘違いしてて、うっかり忘れたかと思い込んだけど今日じゃなかった)」
とか、
「焦って出てきたら書類置いてきちゃった」
とか、
「焦る」にまつわる状況には、いいことがないんですけど。
「焦る」を辞書で引いてみると、
1 早くしなければならないと思っていらだつ。気をもむ。落ち着きを失う。気がせく。「勝負を—・る」「—・ってしくじる」
2 不意のことで動揺し、あわてる意の俗語。「乗り遅れるかと—・ったよ」
3 いらだって暴れる。手足をばたばたさせる。
ほら、やっぱりいいことではないよ。
それに「焦る」って、やりたくでできることではなくて、もっとすごく内発的なことだよね。
「急いでください」は言えるけど、
「焦ってください」は微妙な気がする。
だから「焦ったほうがいいですよ」という言葉は、
「(焦るかどうかはあなた次第ですが)焦る気持ちがあなたから生まれてくるといいなと私は願ってます」ということですかね。
なんというか学校の先生話法だなあ、と思う。
かつて学校教員だった私もおそらく同じことを言ったことがある気がする。
教員という立場から離れ、親になった私も、そういうことならとてもわかる。
言いやすい言葉というものがある。
花が咲きますようにと祈りながら水をまくのと同じような気持ちで、
実はちょっと妙な言葉をいっぱい言っちゃったし。
「焦ったほうがいいですよ」で「やる気スイッチ」が押せるなら、100万回だって言いたいよ。
子どもがもっと幼いとき、
散々「ホラッ早くしてっ」を繰り返して(そして失敗して)きた親としては、
子どもの行動をどうにかしたくても、本人にその気がなきゃ無理だよ、と今ならわかるんですよね。
「焦ったほうがいいですよ」は、トリッキーですね。
日本語にない表現、「できたいです」と同じで。
周りがどんなに焦ってほしくても、
焦るという気持ちは、なかなか火がつきにくいところにある。
自分ですら焦りたくても焦れないのに、
他者がコントロールできるものでしょうか。いや、無理でしょう。
かくして長女は、運動会の当日、
その演目は、彼女なりの工夫で乗り切っていました。
先生が教えた、児童たちの大部分がやってる方法じゃないけど、
ちゃんと出来ていた。
そして、出来ない子もいた。
彼女は私をチラッと見てニヤッと「見た?」とばかりに笑ってた。
2013年の夏に彼女が生まれた日のことを昨日のように覚えているけど、
あの時生まれた子が、こんなふうに身体的に強くなって、
こんなふうに全体行動できるようになるなんてね。
出来なくたって大丈夫なことすらを、こんなふうに出来ている。
すごいな、と思った。
出来た子のことも。出来ないままでそこにいた子のことも。
そこにいることがどれだけ根性を要求されるか。
学校って、いるだけで結構過酷なものだ。
私、運動会って好きじゃなかったなあ、と、子どもの運動会でもまた思う。
陽キャの祭典、運動会。
私ときたら陰キャ文弱運痴なのに、よく乗り切った。
大人になれば、運動会で何をやったかなんて記憶のかなた。
出来たほうがいいかどうかは、全体の見栄えからしたら、そうなのかもしれないけど、
誰が出来たか出来てないか、
出来ない子がいることで全体の仕上がりがどうか…というのは、
運動会はコンクールでも競争でもないし、
周りはそこまで気にしていないかな、というのが、
大人になった私の見解です。
他の人は違うかもしれないけど。
焦ったほうがいいですよ、か。
もう私の人生にそんなことを言ってくる(あるいは、言ってくれる)人はいないけど、
子どもの運動会の種目より、
たとえば私の腹肉とかのほうが焦ったほうがいいかもしれないよね。
(でも言われたくはないね。)
焦った結果、怪我をしちゃったとかは、焦れといった人すら責任とってくれないことも知ってしまったし。
あ、ほら「焦れ」じゃないよ、「焦ったほうがいいですよ」、だよ、
きっと「焦れとは言ってない」とか言われちゃいそう。
はあ。
子どもはまだ学校教育の中にいて、
ここで学ぶことはまだいっぱいありそう。
言われたとおりにすることよりも、
それに対して、自分はどういう結論を見つけるかということ込みで学んでほしい。
運動会明けの日曜日、娘氏は、宿題でもないリコーダーを、
大音量で吹いている。
私は、自分で自分の課題を見つける時代に入ったことが私は嬉しいです。
裏回し蹴りできるようになりたいのでこれからちょっとずつ練習します…!
— 梅つま子@月経カップとオンライン英会話と空手とウクレレ (@umetsumako) May 23, 2024
今日もいい一日になりますように!