明日も暮らす。

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シンプルで暮らしやすい生活を目指しています。 2013年に娘を、2016年に息子を出産した2児の母。東京近郊在住です。 大学院修了後、教育関係の仕事に就いていましたが、現在は専業主婦です。

『コロナ後の世界を語る』を読んで、自分の「暴力への耐性」の低さを考えました。

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おはようございます。

梅つま子です。

 

図書館で、気になっていた本を借りました。

 

コロナ後の世界を語る 現代の知性たちの視線 (朝日新書)

 

今回収録されたものは、世界の第一線に立つ知識人が、同じ困難に向き合いながら、語りつづった論考である。

新聞社だからこそ成しえた即時性にも意味があると思う。

コロナ後の世界を語る 現代の知性たちの視線 (朝日新書)』(p.6) 

 

コロナはまだ収束していないので、

「コロナ後の世界」について考えることができるのだろうか…と思いつつ、

知識人と呼ばれる人たちがどう考えるのか知りたくて読みました。

 

 

「会うことは暴力」

読んで最も心が揺さぶられたのは、

精神科医・斎藤環さんの語りでした。

 

「会うこと」は暴力と、語られていました。

暴力、といわれてしまうと、すごくショッキングな気がしました。

(太字強調は梅つま子によるものです。)

 

無理に満員電車に揺られて通勤し、行き先の職場で疲弊して、

ハラスメントにあってまで働くことはないと。

そんな声が上がる一方で、「やはり会わなければダメだ」という声もある。

議論は今も続いていて、なかなか糸口が見えない。

なぜかと言えば「人に会う」ということは、ある種の「暴力」だからなのだと思います。

どんなにやさしい人同士、気を使いあっていたとしても、相手の境界を侵す行為なので、その意味では、会うことは暴力です。

それでもなぜ、人と人が会うのかと言えば、会ったほうが話が早いから。

(『コロナ後の世界を語る 現代の知性たちの視線 (朝日新書)』p.141-142)

 

「暴力」と聞くと、ショッキングだけど、でも確かにそうだなと思いました。

会ってしまえば、相手に自分の思いを話して、それは多かれ少なかれ、相手から何らかの反応を引き出します。

それが「相手の境界を侵す行為」であり「暴力」なのだといわれれば、なるほどな、でした。

 

思い出したのは「酸素」のこと。

酸素は毒性があるのに、人間は酸素がないと生きられない、というのはなんかすごい話だなと、小学生のときに思ったのですが、その感覚です。

 

会議も、人と人が会うと、やっぱり話が早いし、効率が良い。

なぜかといえば、暴力だから。

この暴力の存在を、私はコロナ禍の中であらためて自覚しました。

私が日々している会議、授業、診察。

それらもまた、暴力なのだなと。

私自身、そこに入る前に緊張したり、気が重くなったりする。

でも、終わってしまうと、やってよかったという気持ちになる。

その理由も、「会うことの暴力性」から来ている。

(『コロナ後の世界を語る 現代の知性たちの視線 (朝日新書)』p.142)

 

私も以前、人に教える仕事をしていたので、この感覚はすごくわかりました。

授業というものに対して、すごく気が重かったのに、いざ終わってみたら何かスカッとしている…。

 

自分の仕事の「侵襲性」の高さ

ここで、医療の世界で言われる「侵襲性」のことを考えました。

体に負担を与える程度の大きさのことで、

開腹手術よりも腹腔鏡手術のほうが「侵襲性が低い」とかいわれるあの言葉です。

 

会うことが、暴力であるならば、

私にとって教育の仕事は、侵襲性が高い仕事だったんだなあと。

(あるいは、私の働き方が、私が耐えられないような侵襲性の高さだったのかもしれない…)

 

良くも悪くも、自分の体への反動が大きいというか、回復するまでに時間がかかる。

なのに、授業というのは大体毎日あるので、回復する前に次のダメージがふりかかる…という。

なんとも悲しいことに、自分をつぶしにかかってるシステムの中で働いていたと思います。

自己理解、そして仕事への理解が浅かったとしか。

 

喉もと過ぎれば…で、数年後の私が「ああ、やっぱりまた教える仕事がやりたいなあ」と思ってしまったとき、

「教える仕事は、侵襲性が高いよ?」と、自分にささやいてやりたいです。

たぶん、私のこの性質は変わらないと思うので。

 

暴力を必須とする人、暴力がないと健康に生きられない人もいる。

人と会い、会社に行く方がいいという人、それが恐らくはマジョリティーなのだと思うけれど、社会の予想を超えた規模で、じつは自分自身は暴力に耐えられないんだ、と気づいた人たちもいたわけです。

(中略)

在宅が向く人と、出社が向く人、それぞれの出力を見て、向き不向きを変えながら、フレキシブルなやり方を考える。

そうしたハイブリッド化が進むことは大いに期待したいです。

 (『コロナ後の世界を語る 現代の知性たちの視線 (朝日新書)』p.144)

 

退職後のこの数年、私は「外的な刺激に耐性が少ない」という自分の性質にゆるゆると気づいていったので、

自分自身は暴力に耐えられないんだ、と気づいた人」は、まさに私もそのタイプだなあと感じました。

 

とはいえ…

そんな私でも、”暴力ゼロ”にすると、さすがに調子が悪くなるんですよね。

引きこもればいいってもんじゃない。

その程度をうまくコントロールできると、自分なりに生産性がアップするのを感じるのです。

 

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自分と、「他者」「労働」との関係などを考えるとき、

「暴力性」「侵襲性」をキーワードにしていきたいなと思いました。

 

コロナのなかで、私が手に入れたもの

とりあえず今の段階での結論、ですが、

 

ステッパー英語学習、そして手帳

この3つです。

 

これは、コロナ下の社会の中で、私が必要に迫られて手にしたものであり、

実は、コロナだろうがそうでなかろうが、自分をバックアップしてくれるものだろうなと感じています。

なぜかというと、暴力耐性の低い私が、自分の生活を守るために、何が必要なのかを考えて、使い始めたものだからです。

 

もちろんコロナは忌むべきもので、

はやく安心安全に暮らせるようにならないと非常に困るのですが、

この社会の変化の中で、自分が何とかバランスを保つために手に入れたものは、

この後も、ずっと役に立つように思っています。

 

 

どうやったら自分をうまく生かすことができるのかを考えているから、

こういう本も気になっています。

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう 新版 ストレングス・ファインダー2.0

 

今日もいい一日になりますように!

 

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