明日も暮らす。

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シンプルで暮らしやすい生活を目指しています。 2013年に娘を、2016年に息子を出産した2児の母。東京近郊在住です。 大学院修了後、教育関係の仕事に就いていましたが、現在は専業主婦です。

子育てを通して社会を知ること、学ぶこと。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読みました。

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おはようございます。

梅つま子です。

 

話題になっていた本を読みました。

 

ブレイディ みかこ 新潮社 2021年06月24日頃
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何でもこの本は、

本屋大賞ノンフィクション本大賞
毎日出版文化賞
八重洲本大賞
キノベス!
ブクログ大賞
読者が選ぶビジネス書グランプリ
中高生におすすめする司書のイチオシ本
神奈川学校図書館員大賞
埼玉県の高校図書館司書が選んだイチオシ本
書店新風賞
君に贈る本大賞

の11冠を達成したそうです。

 

私はそれでこの本を手に取ったわけではなく、

「本屋に平積みになっていて面白そうだから気になった」

という理由で読み始めました。

 

結果、ものすごく引き込まれた!

 

著者であるブレイディみかこさんは、若いころに渡英した女性で、

現地で結婚して子を産み育てていて、

この本は、主に著者とその中学校に入学した長男をめぐる話です。

現在のイギリスの教育の等身大のところを知ることができます。

 

イギリスは私にとって、ロンドンにこそ数日間の旅行で行ったことがあるけど、

物理的にも心理的にも遠い国で、

ニュースなどで聞くこともあまりピンと来ることではなかったのですが、

著者の軽妙でかつ力強い文体に引き込まれ、

「ここに生きている人の生活がある」と感じました。

読んでいて爽快で、

筆者の思考力と行動力がリズムを伴って入ってくることが気持ちいい。

あまりない感じの読書体験でした。

 

私自身は、学生時代から、

・共生社会

・多文化社会

というような言葉に惹かれ、

移民政策やそれにまつわる国内外の状況について、自分なりに考えてきました。

 

個人的な経験で言えば、

私は海外で(留学生として)数ヶ月暮らしたことがあるけれど、

働いて暮らしを立てるのは、自分の性格や能力からいっても大変だろうなと思っていました。

 

日本で暮らしていると、

人種差別を自分が受ける側であると感じることはほぼないけれど、

海外に出ると(あるいはアジアを出ると?)、

東洋人であるということで、差別される実態があるわけで。

(ただ日本でも、特に就労後は、女性であることの厳しさ、そして母親であるゆえに受ける差別はすごくあるな…と感じています。)

 

子どもをもってからの海外生活では、

自分が自分を守ること以上に、子どもをいかに守り育てるかということが課題になります。

子どもの教育を中心に、物理的精神的な安全を確保しながらの生活構築になるわけで、

筆舌に尽くしがたい苦労が日々あるだろうなと感じています。

 

私自身が

「私らしく、安全に暮らしていけるのは、この先もおそらくずっと日本なのであろう」という結論に達している人間であるというのもあり、

著者ブレイディみかこさんの毎日は、刺激的でまぶしく、カッコイイです。

 

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本文中から、いくつか引用します。

 

シンパシーの方はかわいそうな立場の人や問題を抱えた人、自分と似たような意見を持っている人々に対して人間が抱く感情のことだから、自分で努力をしなくても自然に出てくる。
だが、エンパシーは違う。

自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうだとは思えない立場の人々が何を考えているのだろうと想像する力のことだ。

シンパシーは感情的状態、エンパシーは知的作業と言えるのかもしれない。
(『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』75ページ )

 

これは私も気になって調べてみたのですが、

オンラインのケンブリッジディクショナリーによると、

sympathy
(an expression of) understanding and care for someone else's suffering

 

empathy
the ability to share someone else's feelings or experiences by imagining what it would be like to be in that person's situation

とあります。

 

確かにempathyのほうはabilityであり、imaginingによって推し量ることなんですね。

 

「小さな政府」という言葉を政治について議論する 人々はよく使う。

が、現実問題として政府があまりに小さくなると、「恵まれない人に同情するならあなたがお金を出しなさい。そうしないのなら見捨てて、そのことに対する罪悪感と共に生きていきなさい」みたいな、福祉までもが自己責任で各自それぞれやりなさいという状況になるのだ。
(『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』106ページ)

 

この国の緊縮財政は教育者をソーシャルワーカーにしてしまった。
(『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』108ページ)

 

この本では、英国の教育の格差と、底辺の方の厳しい状況について書かれていて、

そうか…そういう方向に向かっていくのか…と、胸がえぐられる気持ちです。

特に貧困のイメージが強いわけでないイギリスでさえそうなわけで、他人事ではない。

 

教育の世界に親がどう介入していくかということも考えさせられるんですが、

日本では話題になりがちなPTAの無償労働、

この是非をどう考えるかということに関しては私も思いがないわけじゃないんですが、

ブレイディみかこさんの関わり方、

たとえば学校見学の参加や水泳の試合の見学、

制服を繕って経済的に厳しい家庭に安く売るためのボランティアへの参加などは、

無理がなくて、彼女自身も楽しんでいて、

「こういう機会を通して学び、知見を深めていけるんだ」とわかって、すごく気持ちがよかったです。

 

ブレイディみかこさんは、現地で保育士の資格を取り、保育施設で働いていたそうです。

以下は、幼児教育の経験を通して語られたこと。

 

それにしても、幼児たちの世界は何とカラフルで自由だったことだろう。

子ども達には「こうじゃなくちゃいけない」の鋳型がなかった。

男と女、夫婦、親子、家庭。

「この形が普通」とか「これはおかしい」の概念や、もっといえば「この形は自分は嫌いだかりかっこみたいな好き嫌いの嗜好性さえなかった。

そうしたものは、成長するとともにどこからか、誰かからの影響が入ってきて形成されるものであり、小さな子どもにはそんなものはない。

あるものを、あるがままに受容する。幼児は禅の心を持つアナキストだ。

しかし、成長するにしたがって、子どの達も社会にはいろいろな言い方があることに気づく。

あれほど自由だった。というか世の中のあれこれに無頓着だった朗らかな存在ではいられなくなる。

(『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』166から167ページ )

 

そして、息子さんとのやりとりは、どこを切り取っても、すがすがしくてとてもいい。

上から目線じゃなくて、ブレイディみかこさんも息子からたくさん刺激を受けて学んでいることがわかります。

 

「ちょっと悲しかったんだもん。成績とかいろんな意味でイケてる学校の子はみんなデモに参加できて、しょぼい学校は参加させてもらえないなんて、仲間外れにされてるっていうか、疎外されてる感じがしたから」

「マージナライズド( 周辺化されている)って呼ぶんだよ、そういう気分を」

(『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』246ページ )

 

何かに似てるなと思ったら、どことなく、『君たちはどう生きるか』のコペルくんと叔父さんのやりとりを髣髴とさせるんですよね。

 

つま子

続編『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』もぜひ読みたいです☆

 

今日もいい一日になりますように!

ブレイディ みかこ 新潮社 2021年06月24日頃
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