おはようございます。
梅つま子です。
先日読んだ、こちらの本がとても面白かったのです。
それでは、と手を伸ばしたのが、同じ著者による、こちらの本。
こちらも、うわさにたがわず、面白い本でした。
『ぼくたちは習慣で、できている。』と合わせて読むとより納得というか、筆者の思考の跡がよりしっかりたどれるような気がしました。
なるほど、「断捨離」は「習慣」と密接な関係があるな、と、納得です。
モノを捨てるための考え方のコツが満載でした。
グッと来た箇所を中心にレビューしていきたいと思います。
- ミニマリストの定義
- 「ワタシ=私が持っているもの」、でいいのか?
- 捨てるためのヒント3つ
- 「足るを知る」感覚、自分が強くなる感覚、雑事を寄せ付けない感覚
- ミニマリストになることは、自分の復権のことなのかも
- ミニマリストがやせている理由
- 幸せと感謝とミニマリズム
- 終わりに~今、感じている自分の変化~
ミニマリストの定義
そういえばミニマリストの定義って、なんとなく「モノが最小限のヒト」くらいにしか考えたことがありませんでした。
佐々木さんによれば、こうです。
(以下、引用文の太字ハイライトは梅つま子によるものです。)
ミニマリストとは、
「本当に自分に必要なモノがわかっている人」
「大事なもののために減らす人」
だと、ぼくは考えている。(p.47)
増やすことのほうがずっと安易で簡単なので、その結果、モノは増えていきます。
「自分に必要なものを知り、大事なもののために減らす」というのは痛みを伴う過程のように見えますが…本書全体を通して読んで、わかってきた気がします。
やっぱりちょっとそこには、大事なものとそうでないものを分けるときの痛みがあるんですよね。
痛みがあった上での幸せというか。
大切なものを大切に懐に入れて愛でることによって大事にするのではなくて、大事にする方法には、あえて「持たない」「捨てる」というやり方もあるのかな。
変なたとえですが、筋トレする人は、「筋肉をいじめる」という言い方をするみたいで。
大事に大きくしたい筋肉をあえて痛めつけることによって、大きく育てることをねらうように、「あえて見つめ、捨てる」ことには、痛みと、そこから先に進んでいこうという気持ちがあるように思えています。
「ワタシ=私が持っているもの」、でいいのか?
英語の言い回しで「You are what you eat」という表現があります。
● あなたは、あなたの食べるもので出来ている、
● あなたの食生活にあなたが現れている、
● 健康はあなたの食べるもの次第、
という感じの意味合いのようです。
それと同じように「You are what you have」と表現してみたら、どうなるか。
「”あなたという人”は、”あなたの持っているもの”に現れている。」
と言われても、私は大丈夫か?と考えてみました。
ワタシは、私を構成するモノを、私の持ち物として取り揃えているか。
それ以外のモノを持たないように努力しているか。
…そう改めて問い直すと、私は「えっ、ちょっと待って、もう少し捨てたいかも!?」と言いたくなります。
やっぱりまだ、捨て損ねているガラクタがまだある気がしてきます!
以下の文章を読んだら、ちょっと背筋が寒くなりました。
ぼくは「処理中」のアイコンがぐるぐるしている、あの重いパソコンだった。
新しいことをしたくても、データは満載、同時平行にやることも多すぎてフリーズ寸前だから軽い作業しかできない。
人間は1日に6万のことを考えていると言われている。
そのうち95%は機能と同じことを考えていて、さらにそのうち80%はネガティブな考えだそうだ。
以前の自分を考えてみる。
毎日毎日、将来の不安に怯え、自分の職業について悩み、人からどう思われているかばかり気にしていた。
80%どころではなく、ネガティブな考えしか浮かんでこなかったように思う。
ぼくはいつもの作業でいっぱいいっぱいで、情報を入れても新しい答えを出せず、昨日と同じ答えを出し続けるだめなパソコンだった。(p.54-55)
「重いパソコン」の比喩はぐさっときます。
私自身も、そんなにたくさんのことはできないし、容量のあまり残ってない、古めのパソコンなのかも。
自分が、自分の持っている機能を充分に動かせているかどうか…、気になります。
特に専業主婦になって、自分のインプットが格段に落ちたことがわかるから、本を減らすのは勇気がいるんですよね。
自分がバージョンアップしてるだろうか、という不安はわりと常にあるので、本は手軽にその不安を癒してくれるツールなんです。
読んだ本を血肉にして使いこなしていなかったのに、本を増やし続けていた。
ぼくは自分の価値を、置いてある本の量で示そうとしていた。
ついには読んでもない本を「自分自身」だと思い込んでいたのだ。
実際にはほとんどの本は自分には必要なモノではなかった。(p.95)
本はほんとうに増やしやすくて、とにかく増えていきました。
簡単に手に入るし、手に入れたことで自分もレベルアップしたような気持ちになれてしまう。
でもやっぱりこれってよくないな。
そうして増えすぎたモノは、今度は逆に自分に牙を剥いてくる。
時間も、エネルギーも「自分」と化したモノに奪われるはめになる。
そうしてかつて自分の道具だったモノが、自分の主人になっていく。
モノはもう機能のために使われるモノでも、「自分の価値を伝える」ためのモノでもなくなる。
ついにモノは「自分を損なう」モノになる。
モノが主人で、自分はその奴隷だ。(p.97)
読んでいてもう苦しくなったので…読書の手を止めて、捨てました。
これだけの本と書類を処分することにしました。
まだあったんです、いろいろ。
書類と本を処分して、ちょっとすっきり。
700円くらいになりました
捨てるためのヒント3つ
本書にあった、捨てるための考えのヒントになりそうなこと、厳選してみました。
1.捨てれば捨てるほど捨て上手になる
話せば話すほど外国語が上達するように、捨てれば捨てるほど、捨てることは上手になっていく。捨てる習慣が身につき、捨てるまでの時間が短くなっていく。
捨てるための公式を縦横無尽に使えるようになってくる。
捨てることは、正しく「技術」である。(p.101)
私は小さい頃からモノが好きで、溜め込むことしかしてませんでした。
自分にとってより大事なもの、より必要なものをわかるための練習にもなるので、小さい頃から捨てる練習が出来ていたらよかったな…。
たぶん、引越しなどがないと難しいのかも。
2.タダなものこそもらわない
タダだという理由でもらうのも危険だ。
モノは持っているだけで、どうしても意識してしまうので、それだけ自分のメモリを使う。
そして維持・管理のために時間もエネルギーもかかる。
タダのモノはタダでは全然ない。
持つということには、お金だけでなく、さまざまなコストがかかる。
このことを知れば、お得というだけでモノを増やさずに済む。(p.149)
捨てるのには時間がかかるので、 もらわないことが一番だと思うようになりました。
捨てるかどうか判断するための時間、判断力。コストかかるんですよね。
3.プレゼントも捨てていいものの対象に入れる
気に入っていないがもらったプレゼントなので、捨てるのが悪い気がしてしまう。
まだまだ使えそうなので、もったいないという罪悪感がある。
そのせいで、今日も、明日も、これからも持ち続け、ずっとあなたの気持ちは損なわれ続けなければいけないのだろうか?
それこそが本当に「もったいない」ことである。(p.153)
あげるのも難しいけど、もらうのも難しいプレゼント。
気持ちだけやりとりしたら、それで完結、と思うことにします。
「足るを知る」感覚、自分が強くなる感覚、雑事を寄せ付けない感覚
本書を読んでいて気づいたこと。
「ミニマリスト」って、強い人だなと思いました。
ミニマリズムを意識していると、あらゆるメディアや広告に惑わされる時間が減る。
「自分は必要なモノをすべて持っている」という自覚ができるからだ。
すべて持っていると思えればほとんどのメッセージはスルーできる。
逆に「自分は何か……足りない!」と思っていれば、あらゆるメッセージが自分向けに送られているように感じてしまう。
そのメッセージにひとつひとつ向き合っていれば、時間はいくらあっても足りなくなってしまう。
ミニマリズムのひとつの帰結は、「あなたに足りないモノなんかない!」ということだ。
足りないと思うモノのために、心がかき乱される時間も減る。(p.175)
モノで装備をかためたわけじゃないのだけど、心がしなやかで強い感じ。
自分を強くして、雑事を寄せ付けない感じ。
かつ、モノの力も引き出すみたいです。
なんと、片付けは、自分で片付けるというよりは、モノが勝手におうちに帰っていく感覚に近いらしい。
もはやぼくが片付けている意識すらない。
モノが勝手に自分の巣に帰ってくれているような感覚だ。
片付けでなくモノの「帰巣本能」に任せているのだ。(p.191)
モノの帰巣本能に任せている…。
頭の中に鷹匠の姿が浮かびました。
自分で操っているんだろうけれども、モノが持つ力も積極的に利用している、みたいな感じでしょうか。
そうなりたい!!
そしておそらく、ドラクエ好きの方なら納得されそうな、こちらの比喩。
大好きです。
何もない部屋での掃除は、たとえるなら部屋で毎日現れるドラクエの「スライム」をピコピコハンマーでやっつけていくようなものだ。
簡単だし、めんどくさくもなく、ちょっと楽しい。
「気持ちよさ」という経験値、報酬もしっかり得られる。
掃除が難しくなるのは、そのスライムを放置していると、ドロドロのバブルスライムになったり、合体してついにキングスライムになったりするせいだ。
そうなるとピコピコハンマーでは手に負えず、強力な掃除用品、「ロトの剣」などが必要になってくる。
苦闘の末倒せても、経験値は毎日スライムをやっつけていたときと同じだ。(p.193)
スライムは、スライムのうちに倒すのが楽だし楽しい、ということですよね…。
ミニマリストになることは、自分の復権のことなのかも
ミニマリストになることは、自分が本来持ちえるはずの自信や自己肯定感を、自分に取り戻すことなのかな、と思いました。
「性格」であり「環境」を変える。
モノを少なくすることで、家事、あらゆる生活は簡単になり、楽になる。
簡単で楽なわりに、こなせば自分に自信が湧いてくる。
めんどうだな、嫌だなと思う自分を退け、自らを「コントロール」できている実感が湧いてくる。(p.194)
自分に足りない能力をモノで補う感じは納得しやすいのですが、その逆もそうなのか!とひざを打ちました。
すなわち、モノを少なくすることで自分の能力を引き出す…。
発想の転換ですね。
そして、 モノが多くてモノ支配の強い部屋にいるときの感覚が「教養学部にいたようなもの」というのはわかりすぎる比喩でした。
虎の威を借る…じゃないけど、モノをもっていること、モノの力を自分の力にしたかのような安心が手に入るんですよね。
たとえるなら今までずっと教養学部にいたようなものだ。
名作だから読み、すでに評判になっているモノを見聞きしてきた。
偉大な誰かと、その誰かについての偉大な批評家について、学んでいた。
偉大なモノがたくさんありすぎて、自分で選んでいなかったのだ。(p.236)
現代の教養学部は、アマゾンや楽天の売れ筋ランキングみたいなものかしら。
評価もいいし、よさそうだから…と、手を伸ばしてしまう。
やりがち
そうやって手に入れたものは、いいものもあるけど、どこかでしっくりこないこともあるんですよね。
ありました。しっくりこなくて最近捨てたものが。
自分で選んだようでいて、自分で選んでなかったんですよね。反省。
教養学部は、いつか独り立ちして自分で研究・実践できる人になるための場所。
教養学部の知識のぬるま湯に温まっているのはとっても安心なんだけど、いつまでも浸っていたらだめだな~と思いました。
ミニマリストがやせている理由
やっぱり、ダイエット系の言及は気になります!!
ミニマリストはモノがあることのストレスもないし、自分に必要で、充分満足できる、必要な食べ物の量がわかっている、だから痩せるのだ。
また「ちょこまかダイエット」という日常生活でちょこまか動いてカロリーを消費するというダイエット方法もあるが、部屋が広くなり、家事も楽しんでやっているので、確かに小さな積み重ねがダイエットにつながっているかもしれない。
(中略)
さらには普段の荷物も軽く、行動的になれるので、ぼくはよく歩くようになった。
モノを最小限にすると痩せる。(p.247)
ミニマリストは、「足りないかも!」という恐れを持たなくなるのはあるかもしれないなと思いました。
無意識にどんどん食べることを許していた頃の私は、必要な食べ物の量がわかっていませんでした。
「途中でおなかがすいちゃうかも?」「もっとあったほうが安心かも?」そんなことを恐れて、多めに食べる、多めに買うことが日常。
おなかが減る、足りなくなる、ということを極端に恐れていた気がします。
でもそんなに重大なことでもないんですよね。
足りなかったら、我慢すればいいんだし、どうしても我慢できなければ、どこかで何か、そのとき手に入るものを調達すればいいんだし。
たぶんミニマリストって、「おなかがすかないようにしなきゃ!」と身構えるよりは、「あとからおなかすいても、なんとかするから別にかまわない」、と思える人たちなのじゃないかな…。
幸せと感謝とミニマリズム
本書の最後につづられるのが、幸せと、感謝についての言及。
デール・カーネギーの『道は開ける』に出てくる「汚れてもいない皿を洗おうとしない」という言葉がぼくは好きだ。
今日1日で洗わなければいけない皿は1日分だけ。
明日の皿を洗うことや明後日の皿、一年分の洗うべき皿を洗うことまで考え始めると、誰でも嫌になり不安になり、今日の皿洗いすらおぼつかなくなってしまう。
将来の失業、結婚、子どもを持つこと、年を取り病気になること、孤独死、これは未来の汚れてもいない皿のことだった。(p.268)
私も、不安が強いタイプだと自覚しているので、この種の不安はよくわかる…。
でも、腑に落ちました。
今日1日のお皿だけ洗おう。
明日、もっとお皿が汚れるかもしれないけど、今は汚れていないんだし、明日の皿は明日の私(or食洗機)が洗うでしょ、 ということで…。
今に集中すること、ってそういうことですね、きっと。
自分に足りないモノばかりを数えていたときには、今持っているモノに対してなんて感謝することはなかった。
感謝どころか、足りない部分ばかりを見ていた。
だがあれもない、これも足りない、と思っていた部屋には、ベッドがあり、机があり、エアコンすらもあった。
ぐっすり眠れて、シャワーが浴びれて、食事が作れて、趣味も楽しめる、安心してくつろげる部屋がそこにはあった。
ついに、雨や風を遮ってくれる壁や天井があることに、感謝し始めた。
(中略)
感謝をすることだけが、すでに「飽きている」モノを「ありがたい」と思いなおし、新鮮な気持ちで日常を見なおさせてくれる。
感謝を通して、当たり前のことは、当たり前でなくなる。
感謝で「刺激」を作りだすことができるのだ。
それはモノを新しく買いなおしたり、増やしたりする「刺激」よりもはるかに安らかな気持ちにさせてくれる。
どれだけモノを増やしたところで、感謝がなければいずれ飽きるだけ。
逆にどれだけモノが少なくても、感謝があれば充分満足できる。(p.275-276)
これも、捨てるときの指針になりそう。
「これ、感謝できるかな?」と問うてみて、感謝できないものは捨てていこう。
そして、これ人間関係にも当てはまりますね…!
深く考えるとドキドキするぞ
「幸せー!」という気持ちの中には、確かに感謝が紛れ込んでいる。
だから感謝は「手段」ではなかった。
感謝は幸せの一部であり、つまり「幸せそのもの」だったのだ。
(中略)
感謝はものごとを「肯定的に見る」ことでもある。
(中略)
足りないモノを見て、否定的に思うのではなく、目の前にあるモノを肯定的に見て、これでいいのだ、と思えるのが感謝だ。
感謝とは「肯定的に見る」ことでもある。(p.279-280)
著者の佐々木さんは 「幸せになることはできない。幸せはその都度『感じる』しかないものだと思う。(p.269)」と言います。
だとしたら、感謝できないようなモノも人間関係も、切り離すのがよさそう。
似たようなことは、以前読んだ本でも感じたことがありました。
こちらの記事に書いた、カナダ在住のミニマリスト、筆子さんの本でした。
『それって、必要?』モノの持ち方だけでなく、考え方も問い直すことができました。(後編) - 明日も暮らす。
いらないものを処分するとき、多くの人は、「邪魔だ、役に立たない、ときめかない」そんなふうに思って捨てますが、物のほうに落ち度はありません。
たまたまその家に同じものがたくさんあったりして、そのものの活躍の場がないだけです。
好ましくない人間関係もこれと同じで、自分との関係において、ある人の特定の行動が、自分のためにならないことがあるのです。
問題は、「関係性」であり、相手の人、そのものではありません。誰かを切り捨てるのではなく、自分にとって好ましくない関係を取り除くのです。
これは自分の成長のために必要なことです。
長いつきあいのあった人と距離をおくことは大きな痛みをともなうかもしれません。
しかし、自分を毒してしまう関係を整理すると、もっと健全で豊かな人間関係が生まれるスペースができるのです。
うん…!やっぱり、重なります。
落ち度があるのは、モノやヒトではない。関係性のほう。
感謝できないからといって、否定することはない。淡々と整理すればいいだけ。
終わりに~今、感じている自分の変化~
ここ1,2年で断捨離の本を読んできて、自分なりに、どんどん捨てられるようになりつつあるのを感じます。
そのことによって、かつてより、自分に自信がついた気がします。
うまくいかないことがあっても、そんなに自分を責めないし、楽しいことを見つけられると思える。
これはもしかして…。
あれかな、私にとってのキーストーンハビットであるブログが身についたからだろうか?
そうであってもそうでなくても、今の自分が自信を持って過ごせているのは、それこそほんとに感謝すべきこと。
ミニマリストになれなくても、いつでも、「今」が、快適であるように。
ブログ・筋トレ・断捨離を、ゆるゆるとでも続けようと、改めて気持ちを確認できた一冊でした。
今日もいい一日になりますように!