おはようございます。
梅つま子です。
先日、「受けてきました」とご報告した、TOEICのテストの話です。
昨日、結果が出ました!
TOEICの点数はこうでした
こういう点数でした。
目標としていた900点に届きました…!
前回(20年ほど前)、865点だったので、
伸びていたことがうれしかったです。
ちなみに前回も、一応、たぶん、そのときは本気で受けておりました。
当時は大学生で、留学も10ヶ月していて、
留学後に受けたものだったのです。
その点数を超えるものが今回出たので、
この1年あまり、
オンライン英会話やポッドキャストを通じて英語に触れてきたことが、
結果になったようでうれしかったです。
お世話になった先生にも結果を伝えて、お礼を言いにいかないと!
ちなみに、TOEICというのは990点満点のテストです。
神田外語学院によるスコア解説によると、900点というのは下記のようなレベルだそうです。
(出典:【一瞬でわかる】TOEICスコアの目安を100点ごと7段階で解説)
自分としては、
900点から990点でひとつにくくっていただけるのは光栄すぎると言いますか、
「いやいや、そこはやっぱり、900点ジャストと、900点後半とでは、だいぶ開きがありますよね~~~^^;」
とお伝えしたいとこなのですが、
(神田外語学院の解説は、あくまで便宜上の分類であろうと理解しております)
素直に喜びたいと思います!
900点ヤッター!
というのは、この結果を、誰が喜ぶかといえば、
865点を取った20代のときの自分が喜ぶと思うのですよね。
「君はこの先20年くらいほぼ英語と無縁の生活になるよ。
だけどその後、40代でまた英語との距離が近づいて、楽しく英語と親しんだ結果、900点を取ることができるよ」
と言われたら、
「あー、英語が未来の自分の楽しみになっているのね。英語を勉強してきてよかった!」と思うと思うんです。
20代までの私と、40代になった私が手をつないだような気がします。
英語は武器じゃなくて防具なんだと思う
よく耳にする言説として、「英語を武器にする」という言い方があります。
TOEICで高得点を取ると就職に有利とかそういう話です。
もちろんそういう側面もあるんでしょうけれど、
私にとっては、英語は武器としてよりも、むしろ、防具としての役割を果たしているようです。
というのは、英語があることで、私の心はだいぶ守られているからです。
具体的には、日本語母語話者としての私は、日本語での生活に疲れることがあります。
たとえば、「AはBである」という意見があるとして、私は「AはCじゃないの?」と思うのに、テレビやツイッター、周りの人の意見で「AはBだよね」と複数の人が言っているのを見てしまうと、
「おおう…」
となり、場合によっては傷ついたりします。
「みんな違ってみんないい」、の境地に、日本語だと到達できないことがあります。
自分の性格によるものでしょうが、私と日本語との距離は近すぎて、
「そういう考えの人もいるよね」と切り替えることができないことがあります。
そういうときは、
ほかの誰かと同じように考えられない自分がつらいし、怒りを感じるし、
逆に、私と同じように考えてくれない誰かに対しても悲しく思ったりすらしてしまいます。
もちろん、落ち着いているときに考えれば、「そういうもんだよ」と思えるのですが、
いつもいつも割り切っていられるわけでもなく、ネガティブモードな時もあるのです。
ここ一年、いつもの習慣として朝、パソコンを開き、英語で会話をすることが、どれほど私の心をすくい上げてくれたことか。
使用する言語を別の言語に切り替えることを、言語学の言葉で「コードスイッチング」というそうですが、
英語学習も私にとってのコードスイッチングになっていて、
日本語での思考の流れを一回カットしてくれます。
そして英語の世界から日本語の世界に戻ったとき、
私の気持ちはだいぶ「マシ」になっているのを感じます。
言語の切り替えは、そのまま気分の切り替えでもある。
そういうわけで、英語は防具なのです。
防具が防具としての役割を果たすには、メンテナンスも大事だと思っています。
ここでいうメンテナンスとは、「英語がいつも楽しいように工夫する」ことです。
自分にとって負荷のかかりすぎる教材であるとか、
マインドセットにならないように気を配ること。
どういうものなら楽しく英語を勉強できるのか、
自分が自分の英語学習のコーディネーターになったつもりで、
テキストやらyoutube、アマゾンプライムなどに目を配っておくこと。
自分にとって有益な情報や楽しい気分が、英語を通じてやってくる、
といつも思えるようにしたいところです。
そうじゃないと、ドラクエにある「やいばのよろい」みたいに、
英語が「着ているだけでダメージを受ける防具」になってしまうので、
そこは注意したいところです。
また受けようと思っている件
私の点数を再掲しますが、こうなんですよね。
満点の990点は、リスニング、リーディングともに495点の配分です。
リスニング→480/495
リーディング→415/495
つまり私の900点の構成は、
「リスニングはそこそこ聴き取れてるけど、リーディングはあまり読めてない」
ということなんですね。
(心当たりがありすぎる)
点数のアップを考えれば、
「リーディングをもっとがんばりましょう」という話になりそうです。
でもね、
何で点数が低いかというと、そこが苦手であまりやりたくないからなんですよ…!
(全力で正直に言った)
というわけで、ここは少し慎重に様子を見ようかなと思っています。
「リーディングの点数が低かったから」という理由で、
いきなりTOEICのリーディング対策の本を買い、
バリバリがんばるにはまだ気持ちが整っていなくて、
今すぐ飛び込むと、自らやいばのよろいを着込む人みたいになっちゃいそうです。
それでテストに臨んで、もし結果が出なかったら。
私はきっと、「あんなにがんばったのにどうして?」と思うと思うんです。
それがきっかけで、英語そのものに嫌気が差したら、ものすごい損失なんです。
なので、「どういうやりかたで、どういうペースなら、無理なく、楽しくできそうか」をもう少しリサーチしてから、やろうかなと思っています。
昨日オンライン英会話で、
「TOEICの結果が返ってきて、リーディングの点数低かったけど、リーディングの勉強はしたくないよー、google翻訳があるし…」
と弱音を吐いていたら、
「google翻訳は必ずしも正確じゃないよ。諦めないで!」
と言われたのもあり、
そう簡単に手放さず、ちょっとずつやりたいな、
という気持ちを育てていこうと思います。
英文を苦手意識なく、さーっと読めるとかっこいいですしね。
そういうふうになりたい、という憧れはあるのです。
この憧れを、駆動力にしたいものです!!
終わりに
ここ1年の私のオンライン英会話は特にTOEICに特化したものではなかったけど、
この勉強の仕方でもそこそこ力がついているんだろう、と思える結果でした。
これからも英語に力を借りながら、
英語が私がよりよく生きるのを助けてくれるツールである状態を保っていきたいなと思います。
このあいだ、youtubeを見ていて、
「Find motivation that resonates with you.」
あなたに共鳴する(心に響く)モチベーションを探そう、というメッセージを見ました。
これはダイエットの動画だったのですが、私の英語も、自分に共鳴する理由があるから続けていけると感じています。
今ははっきりわかるけど、私が英語学習をしているのは、
第一に、自分の心の健康のためです。
英語が、日本語をベースとする自分の言語生活を整えてくれるものだから。
必要だからするんですよね。
もし、私が今後「英語めんどくさいなー」と思うことがあるとしたら、
そのときは私の心の健康がどうなっているかをよくよく見る必要がありそうです。
英語に代わる心の健康のケアがいつか見つかるのかもしれないけれど、
それまでは、英語が私の心にもたらしてくれる効果を常に心に留めておきたい。
↓この気持ちを忘れないでいたいです。
応援してくださった方、ありがとうございます!
今日もいい一日になりますように!